本を読む #004〈コミック、民俗学、異神論〉

④ コミック、民俗学、異神論

                                         小田光雄

 

 前回は白土三平の『カムイ伝』と『忍者武芸帳』にふれた。私はかつて『カムイ伝』に関して、高橋貞樹の先駆的労作『被差別部落一千年史』(岩波文庫)、及び村岡素一郎の『史疑―徳川家康事蹟』(『明治文学全集』77所収、筑摩書房)に端を発する、南條範夫『三百年のベール―異伝 徳川家康』(学研M文庫)や榛葉英治編『史疑徳川家康』(雄山閣)の影響下に成立したのではないかという推論「『カムイ伝』と『被差別部落一千年史』」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収、編書房)を書いたことがあった。

 

 それに関連して、小池一夫原作、小島剛夕作画『子連れ狼』もまた徳川武士階級の差別構造が物語のパラダイムを形成していることから、こちらにも言及したいと考えていたが、果たせないままに時も過ぎ、小島剛夕も鬼籍に入ってしまった。しかも彼は長きにわたって『カムイ伝』のペン描きも務めていたのである。だがそれは『子連れ狼』のストーリーにはリンクしておらず、ひとえに小池一夫の原作者センスによっているはずだ。小池が山手樹一郎に師事したことは承知しているけれど、その白樺派的時代小説の系譜からは、『子連れ狼』の差別構造テーマが立ち上がってこない。そうではない流れから物語が構想されたのではないかと思うのだが、その核心にたどりつけないでいる。

 

 その一方で、諸星大二郎は自ら作品のよってきたるところを語り始めていた。それを最初に読んだのは「礎」(『アダムの肋骨』所収、奇想天外社、一九七八年)であった。この作品は都内の地震研究所の庶務課に勤める地方公務員の贄田を主人公とし、一年以内に関東大震災級の大地震が起きるのではないかと発表される中で、彼はそれまで知らなかった地震予防課勤務を命じられる。研究所の人たちはその存在を承知しているようで、贄田の移動を祝するが、彼の片目がおかしくなり始め、眼帯をかけて地震予防課に通うことになる。ところがそこには課長がいるだけで、以前と変わらない単調な書類作りの日々だったけれど、給料だけは驚くほど増えていた。それゆえに「ある時は片目の公務員、またある時は高額所得の平サラリーマン」として、バーに通い出し、そのマダムと愛人関係を結ぶようになる。だが目はいっこうによくならず、眼医者にいくと、角膜が傷ついていると診断される。

 

 そのような中で、贄田は角川文庫の柳田国男『一目小僧その他』に出会う。そこには次のように書かれていた。

 

  ずっと昔の大昔には、祭のたびごとに一人ずつ神主を殺す風習があって、その用にあてられるべき神主は前年度の祭の時から、籤または神託によって定まっており、これを常の人と弁別せしむるために、片目だけ傷つけておいたのではないか。この神聖なる役を務める人には、ある限りの款待と尊敬をつくし……

 

 また「イケニエ」とは「これを世の常の使途から隔離しておく」との一節も引用されている。そう、まさに贄田は「片目」「款待」「隔離」という条件を備えた「イケニエ」であり、大地震から東京都を守るための「神聖なる人身御供」に選ばれたのだ。そして都庁の地下の聖所において、神の用に供されるのである。

 

 この諸星の「礎」に至って、コミックは柳田民俗学ともダイレクトにつながるようになっていく。そして八〇年代を迎えると、民俗学を経由してマンガ家になった近藤ようこが出現してくる。その『水鏡綺譚』(青林工芸舎)は八八年から雑誌連載され、二〇〇四年に書き下ろしも含めて、単行本化された連作集で、中世を舞台とし、狼に育てられた捨て子のワタルと家を探し求める鏡子の修行と探索の旅を描いている。

 

 同書の奥付の片隅にひっそりと一冊の参考文献が挙げられていて、それは山本ひろ子の『異神―中世日本の秘教的世界』(平凡社)である。その理由は『水鏡綺譚』の第十一話の「宇賀の御玉」が、山本の著書の第三章「宇賀神―異貌の弁才天女」をベースにして編まれた物語であることによっている。ある城下に入ったワタルと鏡子は、城主が悪い病にかかり、それを治すために娘の生き血を飲んでいるので、若い娘がいなくなってしまったという話を聞く。その城主は鎧と頬当をまとい、何か悪しき影のようなものに取り憑かれているようだった。ワタルと鏡子は城主に見つかり、ワタルは負傷し、鏡子は捕らわれてしまった。ワタルは気を失う中で、「観音さま」のお告げを聞く。

 

   鏡子はわたしの申し子じゃ、鏡子を助けてくれ。

   あの男には飢渇神、貪欲神、障礙神という三悪神がとりついている。

   私の変化身、宇賀神王がおまえに如意宝珠をさずける。それを用いて三悪神をとりはらえ。

 

 ワタルは乾の方角にいけという指示に従い、宇賀神王と出会い、その「如意宝珠」を得て、城主と三悪神を退治し、鏡子を救出する。

 

 これが「宇賀の御玉」のストーリーだが、そのコアとなる宇賀神、三悪神、如意宝珠のコンセプトは、いずれも山本の「宇賀神―異貌の弁才天女」に由来している。宇賀神とは日本中世に出現した異神たちの一人で、それは天女のようにエピファニーしているが、その頭に戴く宝冠の中には眉毛の白い老人の顔をした白蛇がいるという奇怪な像容、まさに「異形の尊」なのだ。それが口絵写真や図像として山本の著に掲載されている。それらを範として、近藤は365ページに自らの宇賀神王をクローズアップさせて召喚し、異神を配置することによって、「観音さま」=宇賀神=鏡子という関係性を暗示させ、『水鏡綺譚』の物語の奥行の深さを伝えようとしている。

 

 ただそうでありながらも、近藤は「あとがき」で、『カムイ外伝』を読むことで、体験したこともない「山奥の川霧の中で木を切る男たちの歓声、薪がくすぶる匂い、旅の夜風」を知り、「大人になって柳田国男を読み折口信夫を読み宮本常一を読んで、懐しく思い出すのはこういう漫画」だと書いている。私も同じような思いに捉われる。近年になって時代コミックと民俗学の関係は、想像する以上に接近してきているのかもしれない。

 

—(第5回 2016.6.15予定)—

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