本を読む #012〈『縄炎』を見る〉

12.『縄炎』を見る

                                         小田光雄

 

 私が『裏窓』を目にしたのは、やはり中学生だった1960年代半ばである。それは商店街の書店で、『古雑誌探究』でふれている早川書房の『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の隣に置かれていたからだ。その隠花植物的なニュアンスは記憶に残っていたが、まさか私がその『裏窓』編集長にインタビューすることになるとは思ってもいなかったのである。

 

 ここで「出版人に聞く」シリーズ12の飯田豊一『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』に関する補遺の一編を書いておきたい。

 

 飯田=濡木痴夢男は『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出文庫)の最終章「縄炎そして終焉」において、須磨利之が病に倒れ、半身不随となり、神奈川県の温泉療養所で、リハビリの毎日を送っていたと記している。そこから須磨は濡木によく手紙を書いてきた。それは同じ病で亡くなった画家の中川彩子の葉書の字とまったく同じだった。「須磨のペン字もふるえ、乱れていた。その字をみただけで、こみあげてくるものがあって、私は泣いた」。

 

 そして濡木は六ページにわたって、「文字はふるえていても、文章に乱れはない」美濃村晃名で出された手紙をそのまま転載している。その一通には須磨がずっと「斯道のお守り」にしてきた伊藤晴雨の手作りの名刺が同封され、これは「斯道にとっては神秘的な霊力を持っている護符だ」と思っているので、「これを現代の斯道の最前衛に居る貴兄に贈ります」としたためられていた。つまり病に倒れた須磨は、飯田を自分の正統な後継者と見なし、「斯道のお守り」としての伊藤晴雨の名刺を贈与したのであろう。

 

 この須磨の「斯道のお守り」の贈与に対する濡木の返礼と須磨の顕彰、及び彼への病気見舞いと激励をこめた一本のビデオが1999年に製作された。それについての説明を濡木の言葉で示そう。

 

   シネマジックという映像製作販売会社から「縄炎」というタイトルの、60分間のビデオテープが発売されている。いまはもうDVDになっているであろう。これは「奇譚クラブ」の実質的創始者である須磨利之の風貌を知るには最も具体的で正確な映像であり、いまとなっては貴重な資料となっている。くわしくは「縄炎―美濃村晃の世界」(製作・横畠邦彦、監督・雪村春樹)である

 

 さらに『縄炎』には半身不随の美濃村も出演していて、「須磨の自伝的ドラマの映像」にして、「映像による『奇譚クラブ』」だと濡木は付け加え、『縄炎』のカット4枚も添えられていた。

 

 ここまで書かれれば、何としても見てみたくなるではないか。10年ほど前にレンタル店に中古ビデオが大放出された時期もあり、かなり注意して探してみたが、『縄炎』には行き当たらなかった。その後、「出版人に聞く」を始めるにあたり、資料としての必要性から、ネット検索をかけてみると、DVDにはなっていないようだったが、アマゾンの「お宝プレミア館」で『縄炎』を発見したのである。値段も高くなく、2千円ほどだった。カバーの惹句には「SM界、伝説の絵師美濃村晃。その半生を様々な角度から追求して描く、本格ドキュメンタリー」とあり、税込み1万6千円弱の定価と、送られてきたレンタル商品との説明から考えれば、マニアというよりもレンタル市場に向けて企画された一本と見なせるだろう。世紀末にあって、SMはもはやタブーではなく、広く商品化され、消費的なセックスコードに組みこまれてしまっていたからだ。

 

 しかしそのような時代状況を迎えても、『縄炎』は「映像による『奇譚クラブ』」を表出させ、SMの世界の原点を示してくれるだろうという期待のもとに、このビデオを見始めた。

 

 最初に喜多玲子=須磨の絵が大きく登場し、同じ構図で緊縛された女性の姿が映し出され、須磨が語り始める。自分のSMの原点は土蔵の中で母が縛られていたのを見たこと、戦争での女性とのSM体験だったと、もつれた言葉が映像にかぶさる。このふたつのエピソードは北原童夢と早乙女宏美の『「奇譚クラブ」の人々』(河出文庫)の中で、須磨が詳細に述べていたものである。そして自分の欲求を実現させるために雑誌を作るようになり、それが『奇譚クラブ』だった。求道者にして、職人のような須磨の顔がクローズアップされる。

 

 濡木も登場し、須磨との対話が進められ、『奇譚クラブ』創刊時のことが語られていく。自分は『奇譚クラブ』の編集をしながら、色街の「責められ女郎」の調教を手がけ、それを見世物にする仕事に携わっていた。高い金を払ってそれを身にくる客が大勢いたこともあって、発行人の吉田稔もそこに連れていった。吉田はノーマルな人だったので、そのような読者がかならずいることを見せてやりたかったからだ。このようなプロセスを経て、『奇譚クラブ』はカストリ雑誌的なものから、アブノーマルなSM雑誌へと変貌していった。

 

 団鬼六も姿を見せ、須磨のことを語っている。『裏窓』編集長になった須磨が団に会いにきたという。団は須磨について、先天的なサディスト性癖の持主で、SM雑誌の水先案内人であり、商売ではなく、自らの性癖の基づき、マニアの読者が喜ぶ雑誌を作る人だ。そして女性を縛ったとしても、痛くない縛り方をするロマン的緊縛主義者だと述べている。また編集者たちも須磨について、様々に証言している。

 

 そして濡木が実際に女体の縛りを実践し、女性の身体が縛ることによって、妖しい魅力を放つことをリアルに示す。それに須磨も加わり、モデルに言葉責めを加えたり、女体をなぶったりして、セックスそのもの以上のいやらしさを見せつけようとする。それがSMの芸だとする二人のうれしそうな顔といったらない。須磨も半身不随の身を忘れているかのようで、濡木も須磨にこれで寿命が十年延びたでしょうと語りかけている。だからこの『縄炎』は須磨へのオマージュであると同時に、彼の病を癒そうとする秘儀のようにも思えてくる。その秘儀の効果を濡木は撮影後の出来事として、「最終章」の末尾に記し、須磨=喜多玲子の生と性に対する執着に尊敬の念を表明している。

 

 しかしそれからしばらくして、須磨の訃報が届いた。濡木は自分の信念から、葬式に赴かなかった。二人のつき合いは30年に及び、須磨は72歳になっていた。そして濡木は『「奇譚クラブ」の絵師たち』を「須磨が死んだとき、私の中の『奇譚クラブ』も、ようやく終焉した」と書き、閉じている。

 

 その他にも『縄炎』にはSM小説の原典としての子母澤寛の「天狗の安」、縛り絵の巨匠としての椋陽児、コミックとの関係、SM小説の時代劇映画やテレビへの影響なども話題に挙がっていることを記しておこう。

—(第13回、2017年2月15日予定)—

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