本を読む #025 〈追悼としての井家上隆幸『三一新書の時代』補遺〉

㉕ 追悼としての井家上隆幸『三一新書の時代』補遺

                                         小田光雄

 

 『三一新書の時代』(「出版人に聞く」16)の井家上隆幸が亡くなった。彼への追悼は「出版状況クロニクル」117でも記しているし、本連載は鈴木宏『風から水へ』の補遺の半ばでもあるけれど、ここでもその一編を挿入しておきたい。

 

 同書で井家上は1960年代において、自分たちが三一新書で模索していたのは、反アカデミズム、反啓蒙主義に基づく思想とカウンターカルチャーによる「風俗左翼路線」だったと語っている。それに加えて、三一新書は五味川純平の『人間の条件』がミリオンセラーとなったこともあって、他の新書と異なり、小説も多く刊行している。

 

 それらの中で特筆すべきは1966年の清水一行のデビュー作『小説兜町(しま)』で、これは経済小説の走りといっていい。現在ではそうした経済小説やビジネス小説が氾濫しているが、60年代にあっては先駆けのような出版だったのである。さらに当時は山一証券の危機も起きていて、そうした証券会社と株を巡る社会状況も作用し、『小説兜町』は20万部を超えるベストセラーとなった。

 

 これを手がけたのはもちろん井家上で、その経緯と事情は次のようなものだった。週刊誌で株式評論などを描いていた清水は、まず河出書房の著名な文芸編集者坂本一亀のところに持ちこんだが、色よい返事がもらえなかったので、講談社にも頼んだ。ところが編集者がその風呂敷包みの原稿を机の足台にして、いつまで経っても読んでくれない。

 

 それで人を介して、井家上に読んでくれないかと打診した。そこで井家上はすぐに読み、三一新書での刊行を決め、それを清水に伝えた。だが問題は分量で、新書判には収まらない倍くらいの生原稿だった。そのままでは出せないので、削るしかない。その仕事は清水には無理だと思い、井家上が担当し、フィクションの部分、とりわけ女性絡みの部分を削り、株をめぐるシンプルな欲望のドラマに特化させ、清水の作家としての新しさを強調するようにした。それに合わせ、井家上は清水が初稿を別に一式保存しているはずだと思い、削除した原稿を捨ててしまった。しかしそうではなく、完全な初稿は失われてしまったことになる。

 

 その『小説兜町』のベストセラー化の後日譚として、ひとつは二作目の『東証第二部』も三一新書から出される一方で、河出書房からも『買占め』が刊行される。それからもうひとつ、三一書房の竹村一社長が佐高信の『経済小説のモデルたち』(社会思想社)のインタビューで、「『小説兜町』は俺が手掛けた」と発言し、佐高はその出版事情を知っているはずなのに、それをそのまま掲載に及んでいる。これはベストセラーをめぐる経営者の功名争いの色彩もあるけれど、佐高の責任も見逃すわけにはいかない。そのことに関し、井家上は「それ以来、佐高のインタビューや本はなんか信用できないという気分」だと述べている。

 

 実はそれに類する事柄として、佐高は『メディアの怪人 徳間康快』(講談社+α文庫、改題『飲水思源』、金曜日)で、「自分が手掛けた」小説にふれている。それは徳間の「敗戦」に関するところで、梶山季之の『生贄』の絶版化に続いて、ゲラが出ていたにもかかわらず、刊行できなかった安田二郎の『マネー・ハンター』に関してである。これは『問題小説』の1979年2月号から12月号にかけて連載され、徳間書店から刊行されるはずだったが、佐高によれば、その中に出てくる野村証券を思わせる「M証券」から圧力がかかり、刊行がストップしてしまった。

 

 そのことから、大学時代のゼミの同級生で、徳間書店の編集者の守屋弘がそのゲラの束を持ち、佐高を訪ねてきた。以下は佐高の証言である。

 

 そのころ、経済小説についての評論家の看板を掲げ始めていた私は、これを読んで衝撃を受け、小さいながら硬派の出版社である亜紀書房に持ち込んだ。同社の棗田金治社長も感心し、一九八〇年暮れに『経済小説 兜町(しま)の狩人(ハンター)』と改題されて刊行され、話題を呼んだのである。

 

 そして佐高は「これから数年して、総会屋に食い込まれていた野村証券はトップが一斉に失脚することになる」と加え、自らの先見を誇示しているように見える。確かにこの小説が「話題を呼んだ」ことは事実で、手元にある同書は80年12月第1刷、81年2月第3刷で、それを裏づけている。だがこの出版に関する証言は本当なのだろうか。

 

 安田二郎は『兜町の狩人』の巻頭に、「著者」として「まえがき」に当たる一文を掲載し、「単行本として発行するにあたり、一部改稿し、版元の示唆により題名を変更した」と記し、次のように続けている。

 

 改めてお断りするまでもないが、物語は想像と虚構の上に築かれたのであって、すべて架空のものとしてお楽しみいただきたい。仮に作品の中に真実の残映を読みとられるとすれば、それは読者自身の記憶の中に知識や体験としてあったものが甦ったにすぎない。

 

 この小説を字義通り文学作品として評価し公刊に踏み切られた亜紀書房の英断に謝意を表する。

 

 ここには「文学作品として評価し公刊」に至った版元への謝意が見えるだけで、「経済小説」として「持ち込んだ」とされる佐高の存在はうかがわれない。それに佐高はそのことを「当の守屋は忘れてしまった」と書いているが、編集者として自社で刊行できなくなった作品の、他社からの発売を忘れてしまうはずがないと考えるほうが妥当であろう。またこのことに関して安田はすでに故人となり、棗田も引退して久しい。いってみれば、肝心の編集者に記憶はないとされ、著者や出版者にしてもすでに不在で、確かめるすべもない。とすれば、佐高が「持ち込んだ」という言にしても、「想像と虚構の上に築かれて」いるのかもしれない。いずれ棗田に会う機会があったら、それを確認してみたい。

 

 井家上の死によって、これらのことが想起されたので、追悼に代える一編として草してみた。

 

 なおこれは余談だが、私は以前に「『アサヒ芸能』と梶山季之『生贄』」(「古本屋散策」69、『日本古書通信』2007年12月号所収)を書いていることも付記しておこう。

 

—(第26回、2018年3月15日予定)—

バックナンバーはこちら➡︎『本を読む』

《筆者ブログはこちら》➡️http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/

 

関連記事

ページ上部へ戻る