本を読む #042〈紀田順一郎、平井呈一、岡松和夫『断弦』〉

㊷紀田順一郎、平井呈一、岡松和夫『断弦』

 

 

                                         小田光雄

 

 紀田順一郎の『幻想と怪奇の時代』において、慶應大学時代に推理小説同好会に入り、大伴昌司と親しくなりSR(密室を意味するSealed Room)の東京支部の一員に加わったことが語られている。その月刊の会報が「SRマンスリー」で、1962年に東京支部編集版「怪奇文学研究」を出し、好評だったので、幻想怪奇研究誌の創刊が提案された。

 

 メンバーは二人の他に、シナリオライター修業中の島内三秀、後に『戦慄の創造』で紀田訳、M・R・ジェイムズ「十三号室」と並んで、ブラム・ストーカー「判事の家」の訳者となる桂千穂だった。たまたま近年、桂の『カルトムービー本当に面白い日本映画1945⇒1980』(メディアックス)などを愛読している。

 

 それはともかく、執筆、翻訳などと編集は進んだものの重みがなく、誰かに顧問を頼んだらという話が出た。そこで大伴が平井呈一はどうかといい、紀田と桂も賛同し、依頼に出かけることになった。そのことに関して、紀田は次のように述べている。

 

  私は、ちょうどそのころ刊行された岩波版『荷風全集』に収録の『断腸亭日常』や『来訪者』を読み、一九三五年ごろから数年間にわたる平井呈一との贋作事件および師弟関係の解消の経緯を知ってショックを覚えていたところだった。荷風に不義理をして、「情婦」と逃亡し、文壇から干されたという話など、到底信じることができなかったのである。平井呈一訪問の話が持ち上がったさい、本人に真偽を確かめるよい機会だと考えたとしても無理はあるまい。ちょうど畢生の『全訳小泉八雲作品集』(恒文社)も完結する前後であった。

 

 実際の訪問は63年の秋で、桂は所用で参加できず、紀田と大伴の二人で出かけたのである。当時平井は千葉県君津郡、現在の君津市富津町に住んでいて、東京湾をフェリーで渡り、君津港から内陸部へ数キロ入ったところだった。長い農道をたどり、木立の向こうに農家らしい家屋が見え、私服姿のあるじが待ちかねたように玄関に出ていた。

 

 平井は六十一歳のはずだが、総白髪で、七十歳を越えているようだったし、「吉田ふみさん(俳人で後半生の平井呈一を支えた)」も「穏和な村婦」の雰囲気で、荷風のいうような「妖婦」の俤はまったくなかった。だから荷風の一件を問うことはできず、幻想怪奇文学、それも『オトラント城綺譚』の原本の口絵の話になると、平井は原本を取り出し、その口絵を示した。それが紀田に平井訳による『オトラント城綺譚』の出版を決意させたきっかけでもあった。この平井訪問のところに、平井の写真と『オトラント城綺譚』の口絵が掲載されている。そして64年に同人雑誌“THE HORROR”創刊号が出され、平井からは「Congratulations !! わが国初の怪奇小説専門誌の誕生、おめでとう!」という葉書が届いた。

 

 紀田は『幻想と怪奇の時代』でふれていないけれど、実は平成5年に平井をモデルとする岡松和夫の『断弦』(文藝春秋)が出されている。これは『文学界』に平成3年から4年にかけて断続的に連載された作品である。そこで平井は白井として登場している。語り手は秋川で、彼の妻の伯父が白井という設定である。1961年に秋川は母校の大学図書館閲覧室で茶色の和服姿の六十ばかりの男を見かける。背広の若い男と一緒で、秋川は彼の妻の伯父だと気づいた。一ヵ月ばかり前に一度だけ会っていたからだ。

 

 そこで秋川が白井に近づいて挨拶すると、白井は一緒にいる男が出版社勤めで、自分の本を出してもらっていると紹介した。また彼に対しても、秋川が「自分の姪と結婚していること、高校で教師をしながら小説を書いていて、『文学界新人賞』を受賞していることまで、ずいぶん正確に話したのには秋川の方が驚かされた」のである。これは岡松のそのままの経歴で、彼の作風から考えれば、実際に平井は彼の妻の伯父だったと見なせよう。

 

 また秋川も「白井についての醜聞めいたこと」だけは知っていて、それを次のように記している。

 

  若い頃妻子を捨てて愛人と生活するようになったこと、昭和十年代には高名な文学者永江荷葉のもとに出入りしていたが、荷葉の副本を作るように頼まれた時に偽書を作って古書店に売ったこと、それが発覚して出入りを差しとめられたこと、のちに荷葉はその経緯を短編小説に書いて白井に筆誅を加えたこと―秋川はその短篇小説を読んで、白井の輪郭について知った気になっていたのだった。

 

 この『断弦』における白井=平井に関する記述は先の紀田のものと重なるし、岡松と紀田はほぼ同世代であり、平井と会ったのも同時期なので、平井呈一はそのようなイメージの中で戦後を生きてきたことになる。それを岡松は「その無口さからも、丁寧な立居振舞からも、壮年期に受けた生涯消えぬ傷痕のようなものを感じた。それは六十になった今も続いて、このまま白井の生涯を終わらせるのであろうかとさえ思った」と書いている。

 

 ここに岡松の『断弦』を書くに至るモチーフが述べられていることになろう。白井とはその後もう一度会ったが、1976年に74歳になる少し前に病没した。秋川はやはり千葉県に住む、まだ健在だった白井の愛人「村田タツ子」を訪ねる。彼女も玄関のところで待っていて、「余りにも普通の老女」に見え、小説に出てくるのは「荷葉の空想の女」だと納得する。それから二ヵ月後、名前だけは知っている老英文学者から、白井の名が自筆で記された二冊の大学ノートが送られてきた。それは白井が亡くなる前に託した「青春期の記録」であり、秋川は二日かけて「小説体の白井の文章」を読み、老英文学者に会いたいと思い、電話すると、昨日亡くなったと告げられた。そして白井の二冊の大学ノートが残され、『断弦』の本編が始まっていくのである。

 

−−−(第43回、2019年8月15日予定)−−−

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