本を読む #051〈バタイユ『大天使のように』と奢霸都館〉

(51)バタイユ『大天使のように』と奢霸都館

                                         小田光雄

 

 菅原孝雄は牧神社史に関して、『本の透視図』の中の「編集者の極私的な回想」という30ページほどのものしか残していないので、その全貌が明らかになっているとは言い難い。しかし1970年代初頭における牧神社の出版は、60年代後半からの薔薇十字社と並んで、70年代の出版シーンに大きな影響と波紋をもたらしたと思われる。

 

 しかもそれは菅原の思潮社時代からの詩集、小説、評論、外国文学の翻訳、限定本出版、とりわけ『思潮』の編集とリンクしていたので、牧神社は企画ばかりでなく、著者や読者たちにしても、薔薇十字社などの外延をさらに広げたのではないだろうか。そうした典型的な一冊として、ジョルジュ・バタイユの『大天使のように』を挙げることができる。本連載㊻で既述しておいたけれど、生田耕作訳「大天使のように」の初出掲載は1970年夏の『思潮』創刊号であった。単行本はそれに「雑纂詩篇」が加えられ、同年12月に思潮社からB6判上製、118ページ、「別刷付録」としてバタイユの詩論「オレステスであること」、及び生田による「解題」も添えられ、さらに「装幀銅版画」は山本六三、「校正」渡辺一孝というキャプションも見えている。

 

 生田はバタイユの『マダム・エドワルダ』(「人間の文学」河出書房新社、67年)や『聖なる神』(『バタイユ著作集』二見書房、69年)の翻訳を通じて、菅原とつながり、『思潮』における「大天使のように」の掲載に至ったと見なせよう。それならば銅版画の山本はともかく、渡辺一孝とは誰かということになろう。私もそのことに気づいたのは5年ほど前で、『アイデア』(368号、誠文堂新光社)の「日本オルタナ精神譜1970~1994 否定形のブックデザイン」を版元から恵送されたことによっている。その第6章は「限定本セブンティーズ」と題され、奢霸都館と生田耕作・廣政かほるが8ページにわたって、刊行物の書影ともども紹介され、そこにまずは先の『大天使のように』の書影があった。

 

 そして生田が京都祇園縄手に料亭の板前の長男として生れ、永井荷風を愛読し、フランス文学を志し、1947年京都大学文学部仏文科に入学し、卒業後その講師に就任。セリーヌ『夜の果てへの旅』(中央公論社)、マンディアルグ『オートバイ』(白水社)などを翻訳し、70年に京都大学教授となるとあり、さらに続いていた。

 

1972年、渡辺一考、谷誠二、山本六三、廣政かほる(後に生田かをる)と共にバタイユ『死者』(72)刊行を機に、プライベート・プレス奢霸都館を設立(社名は日夏耿之介主宰の雑誌から)。妻と別居し廣政と神戸に住み、生田が企画顧問、その他一切を廣政が引き受け、シュルレアリスム、オカルティズム、エロティシズムを三本柱とした高踏的作品のみをヨーロピアン・スタイルの造本で世に送り続ける。(後略)

 

 これに『大天使のように』に付された言を照らし合わせると、やはり編集は菅原と大泉史世で、渡辺一孝=一考は23歳、谷は人文書院に属していたとわかる。同じ72年に菅原たちは牧神社、生田たちは奢霸都館をスタートさせたことになり、牧神社からの『ヴァテック』の刊行、また奢霸都館からの1933年の春陽堂版のホフマン、平井呈一訳『古城物語』(78年)の復刊、「牧神」創刊号における生田と平井の対談から考えれば、両者はコラボレーションしていたことになろう。

 

 さてその奢霸都館の最初の出版物で、渡辺発行、谷編輯とされる『死者』は、ここでの書影しか見ていないけれど、刊行者を廣政かほるとする1985年版は手元にある。これは72年版とはまったく異なり、『大天使のように』の判型を模範にしたものといっていいだろうか。もちろん翻訳は生田だが、挿絵は原書に収録されたと思われるアンドレ・マッソンのものが使われ、生田の意図的にして即物的な訳文と生々しくコレスポンダンスしているようなイメージをもたらしてくれる。そうした読後感は伊東守男訳の『死者』(『ジョルジュ・バタイユ著作集』)からは伝わってこなかったもので、そこに生田訳の意味がこめられているように当時は感じられた。

 

 しかしこれらのバタイユの翻訳にもまして奢霸都館に関して記憶が残っているのは、79年に『バイロス画集』を刊行し、80年に神奈川県警によって猥褻図画販売容疑で摘発され、81年に『〈芸術〉なぜ悪い』という「『バイロス画集事件』顛末記録」を出したことだ。これによって反論をなし、起訴猶予へと持ちこんだが、生田は大学を辞め、翻訳と出版に専念することになったのである。そして94年の生田没後、生田かをるが遺志を継ぎ、出版を続けたが、2009年の生田かをるの死とともに、奢霸都館もその幕を閉じたと伝えられている。

 

 さてこれは編集や翻訳の側からは語られていないけれど、このような奢霸都館の長期にわたる出版と存続が可能だったのは、地方・小出版流通センターの口座を通じての流通と販売によっていたからである。地方・小出版流通センターは1975年に発足しているが、同時代に立ち上がった多くの小出版社も、例えば本の雑誌社にしても、『広告批評』のマドラ出版にしても、ここを抜きにしては語れないであろう。

 

−−−(第52回、2020年5月15日予定)−−−

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