本を読む #054〈ロジェ・カイヨワ『戦争論』と『人間と聖なるもの』〉

(54) ロジェ・カイヨワ『戦争論』と『人間と聖なるもの』

                                         小田光雄

 

 もう一編、ロジェ・カイヨワについて書いておこう。

 

 それはカイヨワの没後ほぼ四十年となる2019年8月に、「NHK 100分で名著」テキストシリーズの一冊として、西谷修『ロジェ・カイヨワ「戦争論」』(NHK出版)が出されたこととリンクしている。この刊行に伴い、西谷による「NHK ETV」での4回の講義が放映され、そのテキストが現在の国際政治状況から考えても、極めてアクチュアルな啓蒙書であると同時に、ひとつの専門的な社会学研究会論としても提出されていることを実感した。それに加えて、本連載48のミシェル・レリスではないけれど、同じように日本におけるカイヨワ・ルネサンスの気配を感じ、私もそれを期待したいと思ったからでもある。

 

 いうまでもなく、この西谷のテキストは「われわれの内にひそむ女神ベローナ」をサブタイトルとする『戦争論』(秋枝茂夫訳、法政大学出版局、1974年)を論じた一冊だ。ベローナとはローマ神話の戦争の女神で、男神のマルスが勇敢さや武勲などの戦争の表の面の体現であることに対し、ベローナはその裏で血や肉が飛び散り、殺し合う凄惨さを表象している。カイヨワがサブタイトルにベローナを召喚していることからわかるように、その戦争論に何を幻視しようとしているのかが浮かび上がってくる。

 

 その表紙には「内なる禍々(まがまが)しきもの」「グローバルな濁流に『個』という堰(せき)を立てる」というコピーが掲げられ、「国家によって動員される人びとの内に生じる破壊と殺戮の衝動を人類学的視座から読み解き、政治や市場によって人権が侵されないために何をすべきかを考える」との文言が寄せられている。そして表紙を繰ると、カイヨワの口絵写真に続き、その「戦争」に寄り添う言葉が引かれ、そして「軍神マルスとベローナ」の並立画像が示される。

 

 西谷の「人間にとって戦争とは何か」から始まる講義は、彼のこれまでの『戦争論』(講談社学術文庫)や『夜の鼓動にふれる――戦争論講義』(ちくま学芸文庫)などの集大成と見なしてかまわないだろう。それゆえにカイヨワの『戦争論』の詳細はこのテキストに委ね、その淵源となった戦前の『人間と聖なるもの』(小苅米晛訳)にふれてみたい。これは『戦争論』に先立つ1969年にせりか書房から本邦初訳として刊行されている。同書の出版はせりか書房編集長の久保覚と新進の文化人類学者山口昌男のバックアップによっていたようで、当時の二人の関係は拙稿「せりか書房と久保覚」(『古本屋散策』所収)などを参照されたい。

 

 西谷も「世界戦争」が起きる半年前に、バタイユの影響下の仕事として、「当時の社会学・人類学の知見をまとめる形で、『人間と聖なるもの』を出版」と述べている。だが「聖なるもの」はルドルフ・オットー『聖なるもの』(山谷省吾訳)やデュルケーム『宗教生活の原初形態』(古野清人訳、いずれも岩波文庫)、エリアーデ『聖と俗』(風間敏夫訳、法政大学出版局)からバタイユやエルンスト・ユンガーの体験まではたどられているけれど、『人間と聖なるもの』へのダイレクトな架橋はなされていない。

 

 しかしカイヨワの『戦争論』に見られるディスクールや展開は『人間と聖なるもの』、とりわけ「付論3 戦争と聖なるもの」を彷彿させずにはおかない。それは例えば、第二部第七章「社会が沸点に達するとき」における「戦争と祭りはともに社会の痙攣である」「聖なるものの顕現」「祭りから戦争へ」の三節に顕著で、そこから西谷も次の一文を引いている。引用は削除されているので、補足して示す。

 

 別の全体と対決することにより、国家は自己を肯定し、自己を正当化し、自己を高揚し、強化する。その故にこそ、戦争は祭りに類似し、祭りと同じような興奮の絶頂を出現させるのである。そして祭りと同じように一つの絶対として現われ、ついには祭りと同じ眩暈と神話を生むのである。

 

 これは「戦争と聖なるもの」からのそのままの引用と見なしていいが、カイヨワは『戦争論』第一部「戦争と国家の発達」において、戦争を次のように定義し、これも西谷が引用している。

 

 戦争の本質は、そのもろもろの性格は、戦争のもたらすいろいろな結果は、またその歴史上の役割は、戦争というものが単なる武装闘争ではなく、破壊のための組織的企てであるということを、心に留めておいてこそ、はじめて理解することができる。

 

 この戦争に関する視座こそは『人間と聖なるもの』が全体戦争としての第二次世界大戦前に書かれ、39年に出されたことに比べ、『戦争論』第二部は大戦後の1951年、第一部も含めた完本刊行は63年であり、そこには四半世紀の時が経っていたことになる。またこれは西谷のテキストの注で知ったのだが、『人間と聖なるもの』は塚原史訳による改訂版が94年に同じせりか書房から刊行されているようだ。しかし私は70年に小苅米の本邦初訳を読み、今回もそれを再読しながら拙稿を書いた。そこには若き頃の読書の痕跡としての傍点が各所に残り、その記憶が甦ってきた。なおその後の仄聞によれば、小苅米は演劇評論集『憑依と仮面―劇的想像力の世界』(せりか書房)を残し、急逝したと伝えられている。

 

 

 

−−−(第54回、2020年8月15日予定)−−−

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