本を読む #060〈『ノヴァーリス全集』と戦前の翻訳〉

(60)『ノヴァーリス全集』と戦前の翻訳

                                        小田光雄

 『牧神』8が特集「ノヴァーリス―夜の想像力」を組んでいる。これは1976年に刊行され始めた由良君美編集・構成『ノヴァーリス全集』刊行を記念してのものだ。巻末の見開き2ページで、『ノヴァーリス全集』の広告がうたれ、次のようなキャッチコピーが目に入る。

 

十八世紀から十九世紀初頭にかけて、彗星のような一瞬の光茫を放って夭逝したノヴァーリスは、ドイツ・ロマン派の枠を越えて、闇と光、暗黒の想像力、魔術的観念論など、今日になおその存在理由を問いかけている。これまでに紹介されたすぐれた翻訳を集大成し、改筆し、新訳を付け加えて、この全集全3巻を贈る。今われわれが模索する新しい創造力の契機を、この甦える天才の精鋭な闘いのうちに掬い取らんことを。

 

 おそらくは由良自身の手になるコピーであろう。それに続いて、山室静や種村季弘など5人の推薦者の言葉が並び、前者は牧神社の「雑誌の特集や、続けて出すという全集に参加を求められて、喜びと共に困惑を感じ」、後者は「もう一度飯田安氏や山室静氏のような先学の訳文に触れたい」と記している。

 

 これらの推薦の言葉からしても、由良だけでなく、戦前の翻訳も含め、1970年代後半にノヴァーリスの復権と新たなる発見が望まれようとしていたのである。由良は平井呈一や生田耕作に続く3人目の牧神社のブレインとして、前回のゴシック・ロマンスに続く、ノヴァーリスの復権に挑んだことになろう。拙稿「四方田犬彦『先生とわたし』と由良君美」(『古本屋散策』所収)において、由良が牧神社の参謀格で、「牧神社が健在である期間は幸福そうに見えた」との四方田の言を引いている。それはこの『ノヴァーリス全集』が由良にとって満を持した出版企画だったことを伝えていよう。

 

 私の場合、ノヴァーリスといえば、現代思潮社の「古典文庫」の一冊である『日記・花粉』(前田敬作訳、1970年)に尽きたし、特に『花粉』をアフォリズム集のように読んでいたので、『ノヴァーリス全集』の出現は新鮮だった。それで第1、2巻は購入したのだが、第3巻は未入手のままになってしまったのである。それであらためて第1巻の奥付を確かめてみると、1976年12月第一刷、77年2月第二刷で、由良のことを考えると、安堵を覚えた。確か90年代にはこの全集の古書価がかなり高くなり、そのことを北宋社を興していた渡辺誠と話したことがある。彼が苦笑混じりに「そうだね」といったことを今でも思い出す。それもあって、沖積舎からの復刊がなされたのであろう。

 

 さて『牧神』8の特集を読むと、山室静の「ノヴァーリスの童話と童話感」から始まっている。山室はドイツ・ロマン派の人たちがいずれも童話に深い興味を持っていたが、わけてもノヴァーリスはその代表者で、自らも『青い花』に挿入された「アトランティスの物語」と「エロスとファーベルの童話」を書き、「童話はいわば詩の尺度である。すべて詩的なものは童話風でなければならない」との『断章』の一節を引いている。そして17世紀末にフランスの美しい文体を伴った『ペロー童話集』の出版が全ヨーロッパで反響をよび、多くの童話集が生まれ、昔話や童話再認への道が開かれたのである。それに併走するように、18世紀初頭に『アラビアンナイト』が初めてヨーロッパに紹介され、東洋の神秘と驚異がヨーロッパ人の想像力をかき立て、『ロビンソン・クルーソー』や『ガリバー旅行記』が生まれてきた。そのようなメルヘンルネサンスの中でノヴァーリスも育ったとされる。

 

 山室の論考に続く、由良・高橋巌・今泉文子・中村章子による座談会「夜と光の自然学」は70年代後半のノヴァーリスの用意周到なチェチェローネのように思われる。そこで由良は大東亜戦争下におけるノヴァーリス体験に関して述べ、「当時大変いい研究書や翻訳がいろいろ出ておりましたので、ノヴァーリスを手掛かりにして観念論的世界の迫力に触れていた」ことを語っている。また第1巻「解説」で、「日本は戦前・戦中を通じて、ノヴァーリス学の栄えた国であった」とも証言している。

 

 とすれば、『牧神』特集に、小牧健夫「『断章』の世界―魔術的観念論」(同『ノワ゛ーリス』所収、岩波書店)、丸山武夫「ノヴァーリス―時代詩的展望」(同『ノヴァーリス』所収、世界評論社)の掲載があるように、ノヴァーリスの戦前戦中訳も全集に収録されることになる。それらは第1巻が斎藤久雄訳「夜の讃歌」(共栄書房)、佐藤荘一郎訳「聖歌」(外語研究社)、笹沢美明訳「詩篇」(蒼樹社)、斎藤久雄訳『青い花』(同前)、山室静訳「ザイスの学徒」(青磁社)、第2巻は飯田安訳『断片』『続断片』『日記』(いずれも第一書房)、山室静訳「基督教世界或は欧羅巴」(青磁社)である。

 

 このように列挙してみて、長い間「古本屋散策」を続けてきたけれど、一冊として見ていないことに気づかされる。そのことを考えると、由良が戦前戦中の「ノヴァーリス学の栄えた国」であった時代に関して、『ノヴァーリス全集』を通じて再現させようとした思いを理解できるのである。

 

—(第61回、2021年2月15日予定)—

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