本を読む #017 『都市』と吉本隆明「都市はなぜ都市であるか」

⑰『都市』と吉本隆明「都市はなぜ都市であるか」

                                                                小田光雄

 

 前回の『血と薔薇』から離れた後、矢牧一宏は都市出版社を設立し、1969年に「詩を中心とする文学・芸術季刊誌」である『都市』の創刊に至る。

 

 このリトルマガジンは『薔薇十字社とその軌跡』(「出版人に聞く」10)で、内藤三津子が語っていたように、デザイナーや執筆者も共通していたけれど、田村隆一を編集長とするもので、「荒地」に連なる詩人たちが中心となっていた。また判型も異なり、A5変型判で別冊以外に四冊が出された。その判型と厚さ、ビジュアルな造本は、1975年に朝日出版社が創刊した『エピステーメー』の範となったように思われる。

 

 しかしこの『都市』への言及はほとんど見られず、赤田祐一/ばるぼら『20世紀エディトリアル・オデッセイ―時代を創った雑誌たち』(誠文堂新光社、2014年)においても、巻末の「雑誌曼陀羅1901→2000」のところに、第2号の表紙が収録されているだけである。

 

 それでも私にとって『都市』、とりわけ第1号は愛着が深いものであり、そこには吉本隆明の「都市はなぜ都市であるか―都市にのこる民家覚え書」(以下「民家覚え書」)が掲載されていたからだ。しかもそこには吉本自身が作成した谷中地帯の地図と18枚に及ぶ民家の写真が付され、露地出身者の視点だけでなく、思いがけずに地図製作者兼写真家としての吉本の一端にふれることもできた。そこで吉本は都市の民家の「〈格子〉戸や窓の存在は、家屋の占めている空間と戸外の空間を連結する意識を象徴するもの」で、「家屋はおなじ露地にあるすべての別の家屋に〈格子〉戸をとおして連帯の手をさしだしていた」と始めている。

 

 だが現在の都市では〈格子〉戸や出窓を持つ民家は数が少なくなっている。それはすでにプリミティヴな文様である〈格子〉の意識が無意味になりつつあること、及びせまい〈格子〉戸を拭いたり磨いたりする余裕がなくなったことによっている。その一方で、民家の玄関先や軒端に置かれた植込みや鉢は、露地自体を庭と見なす住民の知恵に他ならず、それは古都の寺院の離宮の名園に拮抗するものだとも述べられている。しかし都市の膨張と機能化の進展は、「愛惜すべき地域の民家の様式をローラーで押しつぶし」てしまうだろう。そして吉本は問う。「だが、都市の民家が、高層ビルの窓の一個または数個に転化してしまうことをきみは肯定するか?」と。そこに添えられた地図と写真がオーバーラップしてくる。

 

 私の要約はぎこちなく単純化しているので、吉本が民家に関しての「懐古的探訪者」として受け止められることをおそれる。もう少し補足すれば、吉本は懐古でも伝統再発見でもなく、民家に「思想の基底」を見ているのだ。この吉本の「民家覚え書」は20のセクションに分かれ、民家と「ヤシキ」の歴史、都市と東京がたどり着いた現在、都市政治家と建築設計家たちの関係などにも及び、その言及は重層的に絡み合っている。そして最後のセクションは「みづからは何ものをも意味しないのに、存在すること自体が価値であるものがこの世界にたしかにありうる」という一文だけで閉じられている。なおこの論稿は後に吉本の『詩的乾坤』(国文社、1974年)に収録されている。

 

 それからほぼ40年後に、私は『民家を改修する』(論創社、2007年)を上梓することになる。拙書は吉本の「民家覚え書」を念頭に置きながら、都市ならぬ地方の民家の改修のプロセスを詳細に記録したものである。その口絵写真には、玄関とその内部の格子戸が写っている。残念ながら前者は吉本のいう「民家の孤立」を示すようになった「裏ガラスとしていわゆる〈スリガラス〉を総張り」するしかなかったけれど、後者は60年前に職人によって作られた、吉本が好む「せまく組みこまれた〈格子〉戸」を再利用したものだ。これはすでに1960年代後半において、現在の都市では見つけ出すのが困難になったと彼がいう、民家の格子戸と同じもののように思われる。それゆえに私はこの一冊を吉本に送ることにした。かつての自著を読んでくれたことは人づてに聞いていたが、『民家を改修する』、とりわけ口絵写真を目にしてくれたであろうか。

 

 これが私の、吉本の「民家覚え書」に関する残響と後日譚ということになるのだが、私以外にもやはりその影響下に一冊を書いた著者がいたと思われる。それは四方田犬彦の『月島物語』(集英社、1992年)である。これは彼が「ドウェリング・ライター(居住作家)」として、月島に5年間暮らした記録をベースとするエッセイ集である。しかし月島こそは吉本が生まれた町であり、四方田が住んだのも露地の奥に位置する格子戸の家で、露地と家の写真も収録され、それらは吉本の「民家覚え書」を彷彿とさせる。

 

 しかも四方田は『月島物語』の第十六回の章を「エリアンの島」と題し、「少年は路地で生まれた。細い格子戸と、所狭しと並べられた植木鉢と、防火用水の水槽のある風景のなかで育った」と書き出している。この「エリアン」と「少年」が吉本をさすことはいうまでもないだろう。そして1990年暮れに「ぶらりと吉本さんがわが家に来られ」、「食卓のうえに月島の地図を展げ、午後いっぱいいろいろと昔話を楽しく聞」き、少し散歩して、吉本が少年時代をすごした新佃の家の跡を見にいった。その「二軒の家はどちらも現在は消滅しており、ガレージや倉庫になってい」た。それから西仲商店街のレバカツ屋で、「吉本さんはなんと六枚をぺろりと平げてしまった」エピソードも語られている。この章こそは四方田も引用している吉本の詩「佃渡しで」へのオマージュであり、四方田版「佃渡しで」と見なせよう。それと同時に「民家覚え書」の木霊のように思える。

 

—(第18回、2017年7月15日予定)—

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