本を読む #022 〈自販機本の時代〉

㉒  自販機本の時代

                                         小田光雄

 

  鈴木宏は『風から水へ』の中で、出版の仕事をするようになったのは佐山哲郎に声をかけられたのがきっかけだったと語っている。その佐山は鈴木と東京都立大学の同窓で、同人誌仲間だった。その一方で、鈴木によれば、佐山は一部で注目を浴びていた歌人であり、サブカルチャー系の出版社に出入りし、漫画原作者も兼ねていた。佐山原作、高橋千鶴『コクリコ坂から』(現在は角川文庫)が40年後に、スタジオ・ジブリによってアニメ化されている。

 

 この佐山が大学院の修士課程にいた鈴木を、リトルマガジン『幻想と怪奇』の編集へと誘った。それを契機として、鈴木は国書刊行会に入り、『世界幻想文学大系』の編集に携わり、それから「風から水へ」という自らのリトルプレスの道を歩んでいくことになったのである。そうした意味において、もし佐山という出版への媒介がいなかったならば、鈴木はそのままアカデミズムの道を歩み、大学教師、研究者としての人生を送っていたかもしれない。

 

 その佐山が編集発行人を務めていた『NOISE 1999』という雑誌が3冊手元にある。これは1980年に創刊された自販機雑誌で、それを示すように、月刊と謳われているにもかかわらず、雑誌コードがなく、その代わりに「KYODO」というマークが印刷されていた。

 

 ちなみに、これももはや40年近く前の雑誌であり、一連の自販機雑誌のことを説明しておく必要があるだろう。1970年代後半から80年代は、大手出版社を中心とする雑誌創刊ブーム、及び地方・小出版流通センターによる『本の雑誌』や『広告批評』などのリトルマガジンの出現といった出版状況の中にあった。そうした雑誌動向と併走するように自販機雑誌も生まれてきたと考えられるが、異なっていたのは流通販売ルートに他ならない。

 

 それは通常の出版物が出版社・取次・書店という流通販売ルートをたどっていることに対して、そのルートを経由しない自販機雑誌を誕生させたのは、東京雑誌販売、大阪の日本雑誌販売、大阪特価、名古屋の三協社などのスタンド販売業者だった。念のために、1971年刊行の『出版事典』(出版ニュース社)を繰ってみると、思いがけずにそれが立項されていたので、そのまま引いてみる。

 

 スタンドはんばい―販売 週刊誌その他、大量販売をめざす大衆誌の増大に伴い、それに適した簡便な販売方法として特選の売台(stand)を設け、ここに陳列して販売すること。書籍・雑誌の類を販売する小売書店以外の売場として、薬屋、たばこ屋、雑貨店など、他の商品の販売店の店頭を利用して行なわれるものが多い。戦後アメリカで著しく発達した例にならい、わが国においても1965(昭和40)年ころから急激に発展し、さらに増加の勢いにある。ほとんどは一般の小売書店と違い、即売ルートを通じ、しかも、再販売価格雑誌契約を結んでいないため、この進出はとかく小売書店との競合を招き、とくに発売日等をめぐって問題を(ママ)生じている。

 

 ここで「卸売ルート」と呼ばれているのは、主として大手新聞社の週刊誌などを取次を通さず、直接卸しでスタンドなどで販売する雑誌の流通経路をさす。これは1970年代のスタンド販売業者の実態をリアルに伝えているといえよう。この立項からわかるように、スタンド販売業者は出版業界からすれば、アウトサイダーに位置づけられ、販売環境と利益率からして、劇画を含んだポルノ雑誌の比重が大きく、そこは次代を担う漫画家たちの揺籃の地でもあった。

 

 そのスタンド販売業者が自販機で雑誌を売り出したのは70年代半ばだと推定され、先の東京雑誌販売グループは70年代に7千台、全業者でピーク時には2万台に及んだと伝えられている。そして無数に刊行された雑誌類は平均して数万部は売れたという。それもあって、7千台を有する最大の自販機業者の東京雑誌販売グループは、自販機雑誌専門の出版社を傘下に抱えることになり、アリス出版やエルシー企画を始めとする多くの版元が誕生する。自販機本の時代の到来である。

 

 かくして自販機雑誌の制作と編集のために、従来の出版とは異なる様々な分野から優れた人材が集まり、自販機ならではの特有なポルノ雑誌群を送り出すに至った。そのうちの一社がセルフ出版であり、後に白夜書房として、81年に末井昭によって『写真時代』が創刊されるのである。

 

 そのような自販機雑誌の集成版、もしくは過渡期を告げる一冊として、アリス出版から『NOISE 1999』は創刊されたようにも思える。それは従来の自販機雑誌が丸背で、ほとんど編集人も不明だったことに比べ、同誌は角背で、そこに編集発行人と発行所と住所、電話番号も明記されていたことに表出していた。しかも第2号には編集長の佐山をはじめとするスタッフ名が挙げられ、そこには編集者だけでなく、写真家、スタイリスト、モデル、デザイナー、イラストレーターなども含まれ、いちいち名前を挙げないけれど、30人を超え、自販機雑誌関係者が総動員されているようだ。それは執筆者たちも同様である。

 

 スタッフ構成からしても、もはや『NOISE 1999』は自販機雑誌ではなく、内容にしても、巻頭の8ページに及ぶカラーグラビアは「李礼仙熟撮行」としての「状況劇場ブラジル公演」、それにエッセイを寄せているのは「ゆうじょうぼうひであきサラリーマン」=嵐山光三郎、同じく巻末10ページは「神代辰巳の誌上映画館」を掲載し、演劇、映画雑誌を錯覚させる。また表紙の表裏と中ほどの4ページグラビアは、「人形人格」と稲垣足穂の『人間人形時代』(工作舎)を想起させ、グラビアだけでも、同誌が雑誌の異なる地平を出現させようとしていたことを示唆している。

 

 しかしどのように考えても、自販機雑誌としての『NOISE 1999』が成功を収めるはずもなく、所謂3号雑誌として終わってしまったのであり、それは自販機による流通販売の限界を告げていたことになろう。

 

—(第22回、2017年12月15日予定)—

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