本を読む #005〈澁澤龍彦、山手樹一郎、柳田民俗学〉

⑤ 澁澤龍彦、山手樹一郎、柳田民俗学

                           小田光雄

 

 今になって考えてみると、私が様々なジャンルの本を読むようになった1960年代は、どのような分野にも「優しい入口」的役割を果たす著者や作品、シリーズ類があった。シリーズ類は挙げていくときりがないので、ここでは著者と作品だけにとどめる。

 

 その組み合わせとして、アンバランスな印象を与えるかもしれないが、澁澤龍彦の『秘密結社の手帖』と山手樹一郎の『又四郎行状記』にふれてみたい。それは64、5年頃、これらの二作を続けて読んでいたからだ。なぜ時代が特定できるかというと、澁澤の『秘密結社の手帖』が新書判で早川書房から刊行されるのは66年で、それが『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に連載されていたのは、その前年だったはずであり、今はなき商店街の書店で、欠かすことなく立ち読みしていたことによっている。

 

 それがきっかけとなって、後にフランスの先端文学や神秘思想などに馴染んでいくようになるのである。澁澤の死後、彼の著作の大半の出典が明らかになり、オリジナルなものではないことも判明したけれど、それは優れた編集者にして翻訳者だったという証になろう。それゆえにこそ、サドやバタイユ、オカルティスムといった、当時はマージナルな文学や思想に関する「優しい入口」たりえたように思われる。私と同様の読者も多くいたと考えられるし、平凡社で『西洋思想大事典』の企画編集に携わった故二宮隆洋こそは、澁澤を「優しい入口」として最も深く異端的西洋思想へと向かった不世出の同世代編集者だったように思える。

 

 さてここで澁澤とはまったく異なる時代小説家の山手樹一郎に移るわけだが、私が彼の作品を読み始めたのは、ひとえに当時の新潮文庫に収録されていたことによっている。『新潮文庫全作品目録1924~2000』を繰ってみると、『又四郎行状記』全3冊は1959年、それから『桃太郎侍』も62年に刊行されているとわかる。当時収録されていたのはこの二作品だけで、後者も新潮文庫で読んだのだろう。しかし当然のことながら、それらは絶版であるけれど、40年ぶりの再読のために探してみると、古本で春陽堂文庫の『又四郎行状記』上下を入手することができた。これは初版が1978年の『山手樹一郎長編時代小説全集』5、6に当たり、入手した上巻は2002年第39刷、下巻は2005年第43刷とあり、新潮文庫版が絶えた後も、今世紀に至るまでロングセラーとして版を重ねていたとわかる。それは山手の時代小説が長きにわたって、私のいうところの「優しい入口」であることを物語っていよう。このニュアンスをわかってほしいので、「さかだち芸者」と題する冒頭の一文を示してみる。

 

 秋めいて、空がまだ桔梗色に澄んでいる宵の口、名にしおう辰巳といわれる深川の色まちだから、軒をならべる大小の茶屋になまめかしい灯がはいって、表通りといわず、横丁路地といわず、浮き立つような弦歌の声に、通人酔客ぞめき客があふれるごとく、その間を、浅脂薄粉水もしたたる島田まげに、仕掛けというむぞり一文字のくしをいただき、無地小紋すそ模様のこつまをとって、博多の下げ帯、ひと目で辰巳仕入れとわかるいきであだっぽい女たちが、ひぢりめんのすそさばきもあざやかに、お座敷の行き帰りにいそがしい。

 

 このように始まっていく『又四郎行状記』を再読していくと、舞台は江戸時代にもかかわらず、初めて読んだ1960年代の社会や時間の流れの中に戻っていくような感慨に捉われた。山手ならではの明朗型のヒーローとヒロインたち、両者をめぐる脇役と市井の人々、それらにまつわるお家騒動、明快な勧善懲悪ストーリーはほとんどが記憶に残っていて、それを読んでいた少年の私の姿が重なってくる。もちろん過去の読書に関しての羞恥の念も禁じ得ないけれど、このような「優しい入口」から時代小説を読み始めたのは、後のことを考えると僥倖だったと思う。

 

 そうした読書体験がなければ、塩澤実信『倶楽部雑誌探究』(「出版人に聞く」シリーズ13)は成立しなかったであろう。塩澤が語っているように、山手は戦後の大衆文学のヒーローとも称すべき存在で、当時の貸本屋のベストセラー作家でもあり、その時代小説群は戦後というひとつの時代を表象していたと見なせるだろう。そして私のような読者も多くいたはずで、かつて「山手樹一郎と『桃太郎侍』」なる一文を収録した『文庫、新書の海を泳ぐ』(編書房)を上梓した時、実際に同世代の女性から、私も同じような読書の道を歩んだとの告白を聞いた。おそらくそうした読者による春陽堂文庫の再読が、そのロングセラー化を支えたといえるかもしれない。

 

 ここでさらに話を転じてみよう。それは時代小説と民俗学の関係で、柳田国男研究においてはまったくふれられていないし、また中里介山についても同様だと思われるが、柳田民俗学と『大菩薩峠』の始まりは軌を一にしている。つまり日本の民俗学と時代小説の誕生は、ほぼ同時期に出来しているのだ。柳田が『後狩詞記』と『遠野物語』を出版するのは1909年、介山が『大菩薩峠』の連載を始めるは13年である。そして『大菩薩峠』が書き継がれていくかたわらで、柳田は「『イタコ』及び『サンカ』」に続いて、「巫女考」や「毛坊主考」といった論考を発表し、『山島民譚集』や『山の人生』などを刊行している。これらの同時代性から考えても、介山が柳田の著作や論考を読み、柳田民俗学の初期エキスを、時代小説の始まりとしての『大菩薩峠』に取り込んでいたように思われてならない。

 

 それは山手にあっても同じで、柳田の『桃太郎の誕生』の刊行は1932年、山手の『桃太郎侍』は40年であることからすれば、柳田による昔話研究が広く伝播した時期を受けての時代小説化だったとも考えられる。とすれば、時代小説もまた柳田民俗学と併走していたことになるし、これからの柳田や介山の双方の研究は、その検証を課題とすべきかもしれない。

 

 またこれは余談かもしれないが、1975年に始まる菅原文太の映画「トラック野郎」シリーズの主人公の名前が桃太郎であることは、山手の『桃太郎侍』からの命名と見なしてかまわないだろう。

 

 なお柳田民俗学と江馬修『山の民』、及び小山勝清『それからの武蔵』の関係については、拙ブログ「古本夜話」488と490を参照されたい。

 

—(第5回 2016.7.15予定)—

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