タイトル 渇きのままに
サブタイトル 七〇年の思索をたどる自伝的小説
刊行日 2020年4月9日
著者 江口幹
定価 6000円+税
ISBN 978-4-8460-1920-4
Cコード 0095
ページ数 700
判型 A5変
製本 上製
内容
 七十代半ばにぼくは、フランスのある雑誌のために、旧知の若いフランス女性から、インタビューを受けた。フランス側は、フランスで高名だが異端の思想家であるカストリアディスを、ぼくがほぼ独力で日本に紹介していること、彼についての世界で最初の本をぼくが書いたこと、それが母国での類書の登場より十年以上も早かったことに、何か不可解なものを感じたようで、ぼくのこれまでの歩みなどについて聞きたい、ということだった。
 やがて、八頁をさいた掲載誌が送られてきた。一読して身が細る思いがした。もともとぼくは、インタビューや対談を好まなかった。話すことは、書くことよりもずっと雑になるからだった。しかもこんどは外国語で話したから、雑の度合いがひどすぎた。
 ぼくは、もっと正確に、もっと十分に、自分を語らないではいられなくなった。
 と同時に、かねてから求めていたもの、小説的な要素、歴史的な要素、評論的な要素を混在させた表現形式が、インタビューに答えるという方法でなら、可能だとも気づいた。
 そこでぼくは、今回の記事を担当してくれた若い女性相手に、架空の長い長いインタビューをしてみることにした。
 それは、ぼくが体験したことを軸にしながら、われわれがどんな時代に生きているのか、とらえ直す試みだった。
(本書巻末所収の著者による「本書の概要」〈一章〉より)

 著者は、少年期に敗戦を迎え、日本社会と人々の豹変ぶりに衝撃を受け、「自分にとって大事なことは、どうやら自分で考えて自分で見つけるほかないらしい」と思い定め、私立中学を十四歳で離れ、十五歳で家出。社会変革への道と、個人個人が自分の世界を構築していく在り方を模索し、やがてフランスの思想家のダニエル・ゲランやコルネリュウス・カストリアディスにたどり着きます。
 本書は、生涯をかけて思索を重ねてきた著者の自伝的小説であり、人間一人ひとりが主体的に生きることの方法を問い続けてきた思想・哲学の書でもあります。全十章、エピローグまで構想されたものの、九章までで途絶。未完の書となったものの、遺されたこの大部の本書は、生きることの方向性を見失いつつある多くの現代人に、その手がかりを与えてくれる1冊です。
著者紹介
江口 幹(えぐち・かん)
1931〜2019年。
職業軍人の子として岩手県で生まれ、東京で育つ。私立成城中学を経て仙台陸軍幼年学校へ進むが14歳2年生の時に敗戦を経験。復学した成城中学をその年3年生で中退、15歳で家出。1947年『週刊平民新聞』を通じてアナキズムを知る。同紙専従の後、大阪労働組合の専従を経て東京にもどる。50−53年結核のために療養生活、その間にヴァレリーと出合う。54年交通関係の業界紙記者となり、60年からはフリーの編集者兼ライター。65年仏語学習のため渡仏、仏のアナキストと交流する。67年ゲランの『現代のアナキズム』を翻訳・刊行。68年に再度渡仏して五月革命を体験、またカストリアディスの著作を知る。60年代後半より五月革命や欧州での社会運動の潮流の紹介や評論活動を展開した。74年からはカストリアディスの理解に努め、80年に入ってカストリアディスの翻訳と紹介に務めた。
【主要著作】『五月革命の考察』(麦社)、『方位を求めて』『黒いパリ』『疎外から自治へ 評伝カストリアディス』(以上、筑摩書房)、『評議会社会主義の思想』(三一書房)、『文明変革の視点』『パリ68年5月』(以上、論創社)
【主要訳書】ダニエル・ゲラン『現代のアナキズム』(三一新書)、ダニエル・ゲラン『神もなく主人もなくⅡ』(河出書房新社)、コルネリュウス・カストリアディス『社会主義か野蛮か』『想念が社会を創る』『したこととすべきこと』(以上、法政大学出版局)

目次
この本の始まりから途絶まで 山﨑弥生実

一章 特異な日本人
二章 生真面目な道草
三章 騎兵将校の三男坊
四章 十三歳の幼年学校生徒
五章 敗戦と疑念
六章 消えた呪縛
七章 十代半ばの岐路
八章 十九歳の混沌
九章 主体であるための始動

本書の概要(著者による全十章の構想)

解説 奥沢邦成
江口幹の著作と訳業
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