(95)東京トップ社、熊藤男、つげ義春『流刑人別帳』
小田光雄
これまで書いてきたように、私の実際の貸本マンガ体験はほとんど1960年前後の農村の雑貨屋と兼ねた貸本屋でのものにすぎない。
それに私は『古本屋散策』や『古本探究』シリーズを上梓しているけれど、蒐集家、コレクターではなく、きわめて横着は探索者に他ならず、貸本マンガに関しても同様である。それゆえに貸本マンガ史研究会員の丹念な資料収集と博捜には驚嘆してしまうばかりだ。その事実に加えて、高野慎三の配慮かと思われるのだが、『貸本マンガ史研究』も第二〇号までは献本されていたのである。その後も定期購読を申しこまなければならないと考えているうちに、同誌も休刊になってしまい、こちらも最終号まで読んでいない。
しかしそのような私でも、1冊だけつげ義春の貸本マンガを持っている。それは東京トップ社の『流刑人別帳』で、まさに半世紀以上前に、たまたま商店街の裏通りに残っていた貸本屋で見つけ、買い求めていたからだ。同書に関しては高野肇『貸本屋、古本屋、高野書店』(「出版人に聞く」8)でふれているように、A5判角背のタコ糸によって貸本用に装備されたもので、当時の貸本マンガ短編誌を彷彿とさせる。北冬書房の『つげ義春選集』全10巻には収録されていないので、どうして収録されていないのか高野慎三に尋ねたところ、作品として未熟ゆえに、つげによって外されたということだった。
ここで『流刑人別帳』を挙げたのは前々回でふれた「貸本マンガ時代のつげ義春」において、この作品の末尾の「読者らん」につげの自画像カットが引かれていたこと、それに前回のあかしや書房の編集者熊藤男が編集人となっているからである。ちなみに発行人は島村宏となっていて、定価は200円だが、発行年月の記載はない。版元の東京トップ社は文京区大塚窪町にあり、先の高野インタビュー本で、『全貸本国新聞』復刻を参照し、「トップ社」として、次のようなプロフィルを紹介しておいた。
“昭和二八(一九五三)年に設立された島村出版社が社名変更したもので、短篇誌『刑事』と『竜虎』の二本立てに長編を二冊刊行予定。編集長は熊藤男、後に東京トップ社社長となる。”
簡略な紹介だが、これで『流刑人別帳』』の発行人と編集人の由来、及びトップ社の動向がわかる。
実は『貸本マンガ史研究』6に大山学「東京トップ社周辺」、同14に三宅秀典「広告に見る貸本マンガ(五)東京トップ社」が寄せられて、前者は貸本マンガ家としての体験だが、後者の場合は、私と同じ『全国貸本新聞』の広告に基づき、東京トップ社の出版分析の試みなので、それをたどってみる。
三宅はまず『全国貸本新聞』における東京トップ社の広告が19861年から69年にかけてであることを指摘し、そこに「まさに貸本業界が消滅へと向かう貸本マンガの苦闘の一部」がうかがわれるのではないかと記している。確かに60年代貸本期になると、トップ社の他に若木書房、東京漫画出版社、曙出版の5社しか残っていなかったようだ。
そのことはともかく、三宅はトップ社の前身の島村出版のマンガ出版と先代の死、東京トップ社への変更、短編誌『刑事』『竜虎』に続く『Gメン』の創刊などに言及し、それから「アクションもの」「怪奇もの」「時代もの」の20種以上のシリーズを挙げている。このラインナップから見ると、東京トップ社は短編誌『刑事』を中心としながらも、長編の「アクションもの」を主として刊行していたことが浮かび上がってくる。そのマンガ家たちは、ありかわ栄一、旭丘光志、南波健二、佐藤まさあき、辰巳ヨシヒロ、山森ススム といった『影」と『街』、及び劇画工房に集った人々だった。
辰巳たちが上京して劇画工房を結成し、それに東京の貸本マンガ出版社が併走していたことがわかるし、それは手塚治虫がそうだったように、大阪から東京の出版編集人脈への移行であった。ただそれは手塚のような大手出版社への転進ではなく、同じ零細な貸本マンガ出版社への移行に他ならなかったのだけれど。つげの『流刑人別帳』00は「時代もの」の「残酷帳シリーズ」4に分類され、それまでに『野望の砦』『狂った忍者』『忍びの城』が既刊で、次号予定として『上忍・下忍』が巻末ページに記載されている。これらのうちの『忍びの城』『上忍・下忍』『流刑人物帳』とともに、講談社の『つげ義春初期傑作長編集』第3巻での収録を見るに至った。
このような東京トップ社の貸本マンガの動向を確認するために、『貸本屋、古本屋、高野書店』に収録された「貸本屋『しらかば文庫』(小田原市)旧蔵書目録」に目を通してみたが、トップ社は『Gメン』『竜虎』など5、6冊があるだけだった。もっともこの「目録」は1950年代後半から60年代前半にかけてのものなので、先述した東京トップ社の熊藤男による編集時代とはあまり重なっておらず、そのことにも起因しているのではないだろうか。
大阪を生誕の地とする劇画が短編誌『摩天楼』『迷路』『刑事』などを始めとして東京へ移行したことは、それらを通じて読者のみならず、編集者もまた劇画とリンクしたことになる。その代表的な存在が熊のように思われるし、彼は『刑事』の企画編集者で、これも『貸本マンガ史研究』7の三宅政吉「『刑事』の時代」に詳しい。
その後、熊は秋田書店へ移籍し、69年の『週刊少年チャンピョン』創刊に携わることになる。
(おだみつお)
—(第96回、2024年1月15日予定)—
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