本を読む #063〈イザラ書房と高橋巖『ヨーロッパの闇と光』〉

(63)イザラ書房と高橋巖『ヨーロッパの闇と光』

                                        小田光雄

 

 神谷光信は『評伝鷲巣繁男』の最終章「残響」のところで、鷲巣の1982年の訃報を知った時、大学で中国古代思想史専攻だったが、「高橋巖先生のもとで神智学も学んでいた」と記し、次のように続けている。

 

死者の実在を前提とし、社会の構成員たる死者たちと共に、我々がいかに生きるべきかを真剣に考える雰囲気が、高橋先生の周囲にはあった。ある時のことだが、横浜での神智学研究会の帰り、横須賀線下りの車中でイザラ書房(当時)の今泉道生氏と雑談中、鷲巣繁男に話が及んだ。今泉氏は驚くべきことを言った。高橋先生は鷲巣繁男と、内藤三津子氏の薔薇十字社を通しての知己だというのである。

 

 そこで『牧神』7の特集「神秘主義について」がリンクする。冒頭に久野昭・寺山修司・笠井叡・松田修による座談会「神秘主義の今日と明日」が置かれ、寺山がシュタイナーの名前を出しているだけだが、続いてルドルフ・シュタイナー、高橋巖訳「血はまったく特製のジュースだ」が掲載されている。これはシュタイナーの講演で、テーマとタイトルはゲーテの『ファウスト』からとられたメフィストフェレスの言葉で、人間と悪魔の戦いにおいて、血が決定的役割を演じることを示唆すると述べている。そして「血の問題に関してでも、神話や伝説は重要な意味」を物語り、「古代の叡智は血というあの特製のジュースが人類にとって何を意味しているか」をよく知っていたからだとされる。それを神秘学の立場から考察すると、「下にあるものはすべて上にもある」という言葉へとつながっていう。

 

 この命題は人間の五感の把握している世界がすべてではなく、その背後には霊界が隠され、そのより深い世界の表現であることを告げている。これはヘルメス主義の根本命題からすれば、霊界が上の世界、感覚世界はこの霊界の表現としての下の世界と考えられる。古今の神秘学はこれを自明のこととしてきた。「下にあるものはすべて上にある」を人間の顔にたとえれば、相貌の中に魂や霊の表現を見るのである。人間と知恵との関係において、神秘学は人間の知恵が何らかの苦悩を伴った経験と結びつくし、知恵とは結晶化された苦悩もあると教えてきた。

 

 これは「血はまったく特製のジュースだ」のイントロダクションにすぎないけれど、シュタイナー、及び先の神谷の言に示された高橋と神智学研究会の位相をうかがうことができよう。「訳者あとがき」によれば、これは1906年のベルリン公開講演のひとつで、「血をめぐる諸問題、神秘学だけでなく、生理学、民族学、医学、社会学などにわたる多様な人生との関係も含み、シュタイナーにとっても重要な講演とされ、1907年に単独出版されている。

 

 前述の座談会やシュタイナーの翻訳とコレスポンダンスするように、三光長治が高橋巖の『神秘学序説』の書評「現代の聖杯を求めて」を寄せている。同書はその前年の75年にイザラ書房から刊行されていた。そして続けて、77年には『ヨーロッパの闇と光』、シュタイナーの翻訳『神智学―超感覚的世界の認識と人間の本質への導き』が出されていく。これらに合わせ、『牧神』7の「広告のページ」にもイザラ書房が登場し、『シュタイナー著作集』の5冊が予告され、その第1回配本が『神智学』に当たるとわかる。またその横には人智学研究会の広告も見られ、1970年代後半にシュタイナーの翻訳出版が様々に繰り広げられようとしていたことを示している。

 

 だがここではそれらのシュタイナーではなく、シュタイナーや神秘学へ至る高橋のプレリュードとしての『ヨーロッパの闇と光』にふれてみたい。これは70年に新潮社から出された初版の改訂版である。新潮社版は見ていないけれど、このイザラ書房版の特色はカバー絵のカスパル・ダヴィト・フリードリヒ「テッチェン祭壇画」を始めとする60の図版であり、それらはまさにドイツロマン主義と聖杯探究のみならず、ヨーロッパそのものの「闇と光」を表出させている。そうした図版の採用と配置は高橋の次の言葉に則っているのだろう。

 

精神は感情の深みから人間の意識の地平、まずフォルムとして現われてくるのであって、概念としてではない。だから芸術家が夢や予感に忠実であるかぎり、ひとつの新しい時代のはじまりは哲学者よりもまず芸術家によって告知される。ひとつの単純な基礎形式の中に、ひとつの時代の様式のみならず、その精神の特徴さえ、現われてくることがある。

 

 これは高橋も引いているクレーの「芸術は見えるものを再現するのではなく、見えるようにするのである」との言葉、つまり芸術が聖杯探究に他ならないという表明と呼応しているのだろう。おそらくそのようにして、60の図版が選ばれ、それが各章にはめこまれることによって、「廃墟」と「魂の故郷の喪失」を冒頭に置く各章の「闇と光」が必然的に浮かび上がってくる仕掛けになっている。したがってイザラ書房版『ヨーロッパの闇と光』を読み終えると、フリードリヒの「テッチェン祭壇画」が表紙絵とされたことが不可分だったと了承されることになる。

 

—(第64回、2021年5月15日予定)—

 

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