本を読む #072〈ダヴィッド・プリュドム『レベティコ』〉

(72) ダヴィッド・プリュドム『レベティコ』

 

小田光雄

 

もう一編「バンド・デシネ」に関して続けてみる。

その前にコミック出版状況にふれておく。2020年は『鬼滅の刃』の神風的ベストセラーに加え、コミック市場規模が紙と電子を合わせて6126億円となり、1995年の5864億円を抜き、過去最大の販売金額となった。その内訳は紙のコミックスとコミックス誌が2706億円、前年比13.4%増、電子コミックが3420億円、同31.9%増である。さらに紙のほうの内訳を示せば、コミックスは2079億円、同24.9%増、コミックス誌は627億円、同13.2%減である。

 

数字と販売金額から始めて『出版状況クロニクル』的で恐縮だが、これがコロナ禍の中で起きているコミックの販売をめぐる現実で、2021年のコミック販売にしても、紙のほうはともかく、電子は確実に伸びているはずだ。そのようなコミック状況において、1960年代の創成期から紙のコミックスとコミックス誌を支えてきた さいとうたかを と白土三平が相次いで亡くなった。それらの事実は2021年がコミックスとコミックス誌のターニングポイントになるだろうことを予兆させている。

 

そうした中で、「THE BEST MANGA2022 このマンガを読め!」の特集を組んでいる『フリースタイル』(50号)が刊行された。この恒例の特集は最初の2005年から読んでいると断言はできないけれど、少なくとも15年近くは購入してきているし、『出版状況クロニクル』でも必ず取り上げてきた。

 

しかし残念ながら年を追うごとに未読のコミックが多くなり、今年に至っては「BEST10」は一冊も読んでおらず、「20」まで追うと、かろうじて既読のよしながふみ『大奥』が目に入り、少しばかり安堵する。ところがコメントを読むと、16年連載で19巻の完結とあり、朧気だが、確か10巻近くまでは読んでいたように思うにしても、追いかけておらず、結局は読んでいないに等しいということになる。

 

その理由として、前期高齢者になってしまい、50代に『ブルーコミックス論』(『近代出版史探索外伝』所収)を連載していた頃のコミックへの執着が希薄化したことが挙げられる。またそれにコミックス誌をまったく読まなくなってしまったこと、及び書店のコミック売場が広くなり、探すことがわずらわしくなってしまったことが加えられる。それゆえに電子コミックという心境にはならないだろうし、そうなればコミック読者として退場するしかないと思われる。

 

それらはともかく、22年の「このマンガを読め!」のランキングを見ていて、近年ずっとランキング入りしていた「バンド・デシネ」が1作も入っていないことに気づいた。アンケートの「BOOK DATA」にはそれらしき作品がいくつか掲載され、「バンド・デシネ」翻訳者の原正人も挙げているけれど、「BEST20」には届かなかったようだ。

 

21年の「このマンガを読め!」にはBEST6にダヴィッド・プリュドム、原正人訳『レベティコ』(サウザンブックス社)が入っていて、その時には刊行を知らず、年が明けてから購入して読んだことを思い出す。『レベティコ』はビジュアルな好著『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社MOOK、2013年)にも書影と1ページ転載を含めて挙げられていたが、ようやく20年になって翻訳刊行されたことになる。訳者の原にとっても、この出版はクラウドファンディングに取り組み、「ついに10年越しで夢を実現できた」というプロジェクトでもあったという。あらたなレーベルとしての「サウザンコミックス」も、この『レベティコ』が最初の出版で、さらにクラウドファンディングを通じての「バンド・デシネ」を続けて刊行していくとされる。

 

『レベティコ』はA4判を一回り大きくした判型で、102ページに及ぶが、「雑草のうた」とサブタイトルにあるように、ギリシャのブルースの物語として描かれている。そのまま「バンド・デシネ」を引くわけにはいかないので、プリュドム自らの「まえがき」から物語を浮かび上がらせてみる。

 

舞台は1936年10月のある日のアテネ、独裁者として政権を握ったメタクサスは社会の周縁に生きるレベテースと呼ばれるミュージシャンたちをならず者と見なし、弾圧する。彼らは生まれ故郷のトルコやギリシャの離島から流謫の身となり、根無し草として大都市の門前のスラム街でその日暮らしをしていたのである。そのような第一次世界大戦後の難民とデラシネ的な社会環境の中から、レベティコと呼ばれる音楽は自ずと生まれてきていた。プリュドムは書いている。

 

  20年代のギリシャに生まれたレベティコは、取り扱われるテーマの観点からタンゴやファドと比較できる。しばしばギリシャのブルースと呼ばれたりもする。目を閉じて催眠術にかかったように踊るダンスも特徴的だ。踊り手はすっと立ち上がると、まるで誰かに命じられでもしたかのように、メロディが変わるたびにゆっくりと回転するのである。

この音楽からは東洋と西洋のつながりが感じられる。流謫(るたく)の痛みが、港町のロマンティシズムが、夜のそぞろ歩きの愉しみが、みじめな失恋が聞こえてくる。そこには挫折と諧謔(ユーモア)がある。

 

さらにプリュドムは付け加えている。レベティコ誕生の当初、「聴衆とミュージシャンたちは兄弟」で、「のけ者同士が社会の最下層」にあって、「ざらついた調子っぱずれの歌を声を合わせて歌っていた」と。

 

まさにそのような「バンド・デシネ」として、『レベティコ』の物語は描かれていくことになるし、それは日本のコミックのひとつの源流ともいえる劇画のメタファーのようにも思える。私は取り立てて「バンド・デシネ」のファンとはいえないけれど、「出版状況クロニクル162」で、この『レベティコ』と谷口ジロー『LIVE!オデッセイ』との通底する音楽シーンのことを既述していることもあり、秀作として推奨する次第だ。それはまた22年のBEST1が、先のムックで『レベティコ』を挙げている松本大洋の『東京ヒゴロ』(小学館)であることも重なっている。

 

まだ『レベティコ』の他にも「バンド・デシネ」の秀作は多くあるようなので、冒頭で記した20年から21年にかけての電子コミック出版状況に抗し、紙のコミックとして翻訳刊行されることを願って止まないし、「サウザンコミックス」の健闘を祈る。

 

ようやく書き終えたので、これから書店に『東京ヒゴロ』を買い求めにいこう。

 

 

—(第73回、2022年2月15日予定)—

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