- 2024-10-2
- お知らせ, 論創通信, 矢口英佑のナナメ読み
No.89『未完の平和記念都市』
矢口英佑
軍人恩給の受給者が千人台になっているという記事が最近の新聞に掲載されていたと記憶する。兵士として戦場にかり出された人びとが戦後に受給できた、厚生年金や国民年金などとは別立ての年金に相当するものである。
1945年の敗戦から79年ともなれば、かつて軍人だった生存者が減っていくのは避けられないところだが、戦場に行かずとも戦争のむごさ、恐ろしさ、命の軽さを身をもって体験した日本人もいなくなってきているのはまちがいない。
79年前、家族に戦争の犠牲者を出したり、空襲や疎開を体験したり、敗戦の焼け跡を目の当たりにしたりと、さまざまな戦争の悲惨さを体験してきた多くの日本人は、二度と戦争を起こしてはならないと痛切に受け止め、平和な世界の創出を誰もが願ったはずだった。ましてや原爆が投下された広島、長崎の人びとには理屈なしで、そうした思いが強くあったであろうことは容易に想像がつく。だからこそ、1949年8月6日、被爆4周年に当たるその日に「広島平和記念都市建設法」が公布・施行されたのだ。
この「建設法」は、原爆によって壊滅した広島市の再建を目指すために設けられただけでなく、想像を絶する被害がもたらされた核兵器の被害都市としての広島、長崎が率先して核兵器廃絶を訴えるのはむしろ当然であり、広島がこの地球上から戦争をなくし、平和を築き上げていく不断の行動・実践を続けていく覚悟を示しているのである。
しかし、残念ながら1945年以降もこの地球上で戦争や武力衝突が繰り返されている。現在まで武器として核兵器が使われ、その甚大な被害を受けた人類は広島と長崎の人びとだけである。だが、それはあくまでも〝現在まで〟という限定付きでのことでしかない。
その原初的な意味から考えるなら、本書『未完の平和記念都市』に見える「未完」にはいくつかの思いが込められているはずである。
まず〝平和〟だけを取り出せば、それが「未完」であることは世界中の誰一人として否定できない。ましてや核兵器については「核兵器禁止条約」が発効したのは、驚くべきことに2021年1月22日のことでしかなく、まだ4年にも満たない。しかも世界で唯一の被爆国である日本がこの条約に署名、批准していないのである。
また、「広島平和記念都市建設法」に沿ってみるならば、1965年頃に広島の戦後復興はほぼ果たされ、この「建設法」の役割は早くも終わったとみなされ、国の行政改革論議の過程で過去3回、廃止論が出ていたという。さらに「建設法」施行から30年が経過した頃には、広島市民からも忘れ去られようとしている状況にあり、現在ではこの法律の存在さえ知らない人の割合がかなり高いはずだと著者は推測している。
このように「広島平和記念都市建設法」を取り巻く広島市の状況の変化を見てとった広島市は1970年に「国際平和文化都市」構想を策定し、「広島平和記念都市建設法」にとって代わる目指すべき都市像として打ち出していた。つまり「平和都市」の理念を受け継ぎ、さらに発展させたものとして位置づけているのだ。広島市企画調整局企画調整部編『広島市新基本計画:国際平和文化都市をめざして』によれば
対外的には、世界最初の被爆都市として、戦争の悲惨さ、核兵器の残虐さを全世界に訴え、その廃絶を求め続け、世界恒久平和の実現に努め、対内的には、安全・快適で文化的にも魅力ある人間性豊かな都市環境を創設するとしている。
これに対して著者は広島市が新たに構想した「国際平和文化都市」は、「広島平和記念都市建設法」に基づいて「「平和(記念)都市」に、「国際」及び「文化」の要素を加える形で発展させたもの」としながら、広島市が『広島平和記念都市建設法』に対して「まちづくりの重要な理念を提示し続けている」と説明していることに疑問符をつけている。なぜなら、
「実際には、広島市の行政及び市民に意識されることはほとんどなく、平和記念都市法が打ち出した「平和記念都市」という概念も、1970年以降は、広島市基本構想が掲げる「国際平和文化都市」によって上書きされたといえる」
と批判的に述べているからである。
ここで著者が言う〝上書き〟とは、コンピューター用語であり、元データ(文章)の上に新しいデータ(文章)を書き込むことを意味している。つまり元の文章が消えて、新たな文章に書き換えられたという意味にほかならない。
このように見るなら、本書には『広島平和記念都市建設法』がこのまま消去され、忘れ去られる存在にしてはならないという著者の強い危機意識が凝縮されており、それが原動力となっているとみなしてよいだろう。
著者は言う。『広島平和記念都市建設法』は、衆参両院において全会一致で可決された法律であり、「新たな立法によって改廃されない限り、「全国民」の意思の表明として在り続ける」と。
本書ではこの法律の原点回帰とその意義の再発見に著者の努力が傾けられていく。そのため、この法律を生きた法律としてその存在価値を高めようと「現在及び将来の広島市や広島市民に対して何を求め、何をもたらし得るのか」を明らかにしようとするのである。
繰り返すが、この法律の今日的な意義を広島市民だけでなく、広く日本人に正しく理解させることによって、これまで3回も廃止論が出てくるような状況を防ぎ、広島市の行政側から上書きされている現状を打破し、真に広島市のまちづくりの理念を提示し続ける永続性を持たせようとしているのである。
以下に本書の目次を示せば、上述してきた著者の意図は見てとれるにちがいない。
・広島平和記念都市建設法の制定過程
・「平和記念都市」とは何か
・広島平和記念都市建設法の解釈及び運用
・地方特別法としての広島平和記念都市建設法
・広島平和記念都市建設法の国際的位置
・広島平和記念都市建設法の今日的意義
なお目次には「序章」と「終章」があるが省略した。
著者が『広島平和記念都市建設法』にいかに深く踏み込んでいるのかは、本書の巻末に付された注釈の多さから見てとれる。本書はこの法律の詳細な再検討を試みることで、この法律の原点回帰をはかり、その上でとその意義をあらためて見直そうとしているのである。
本書は『広島平和記念都市建設法』を未完のまま終わらせず、再生に向けた著者の努力の結晶と言えるだろう。
(やぐち・えいすけ)
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