『コロナの倫理学』 ⑨偶然を引き受ける

『コロナの倫理学』 ⑨偶然を引き受ける

森田浩之

 

シミュレーション

 

2021年4月25日から3度目の緊急事態宣言が始まった。直後のゴールデンウイークを前に、あいかわらず飲食店ファンの私は、性懲りもなく、行きつけの店に足しげく通う。必ず独りで行動し、夜は出歩かないとはいえ、この状況で外食している点で、私に人様のことを言う資格はないが、それにしても人出の多さに驚愕した。

 

ある天気のいい朝、いつものようにモーニングを楽しんでいると、2~3人組のお客さんが次々と現れて、気づいたら外に待ちの列ができていた。すべてのグループで、座った途端にマスクを外し、会話を楽しんでいる。

 

それ以前の一時期は私のような独り客が多かった。独りでいるかぎり、ほぼ絶対に感染は広がらない。独りでも食事中はマスクを外すから、くしゃみ、咳、独り言は排除できないので、近くにいる別のお客さんが感染するリスクを完全にゼロにすることはできないが、黙っていれば口から飛沫は出ないから、みんなが独りで行動すれば、外出する人、とくに飲食店を利用する人が多くても、感染は拡大しない。

 

私の印象で言えば、「まん延防止等重点措置」が適用されていた時よりも、緊急事態宣言が発出されてからのほうが人出は多いし、大きな違いは、それまで独り客が多かったのが、急に2~3人のグループが増えたことである。おそらく報道によって「5人以上の会食はダメ」というは浸透したのだろう。4人組もほとんど見かけなくなった分、2人組が急に増えた気がする。「2人なら大丈夫」という心理だろうか。

 

しかしそれにしても、緊急事態宣言が発出されてからこの人出では、感染は収まらないだろう。私がいつも頼っているNHK NEW WEB(2021年4月27日)は、秋にも第5派が来るかもしれないというシミュレーションを紹介している1)。それによると、現在の「第4波」のピークは5月中旬で、それから数か月は落ち着いて、10月頃に「第5波」になるという結果になった。

 

不謹慎な言い方で恐縮だが、私はシミュレーションについては、わくわくしながら読んでいる。シミュレーションはあくまで「それまでのトレンドが続いたら、その後こうなる」という予測であり、人間の凄いところは、その結果を知ることで、将来の行動を変えられることである。だからシミュレーションはとても大事であり、できるだけ多くの人に知ってもらいたい。

 

全般的な方向性は、過去のデータをもとにモデル化する。1年間の知見の積み重ねで、どういう数字が大きくなった時に感染者が増えるのかが、ほぼ経験的法則として確定してきている。それをそのまま未来に延長すれば、「このままだったら、こうなる」と予測できる。

 

しかし「過去にはなかったが、今後、新しく加わる」と予想される要因についても計算に入れないと、正確な予測にはならない。そのひとつがワクチンである。NHKが紹介する筑波大学の先生が依拠するのは、予測時点(2021年4月)で人口の6割が2回のワクチン接種を終えたイスラエルのデータである。それによると、ワクチンが発症を防ぐ有効性は94%だそうである。もしこれが正しい数字で、日本にも当てはまるならば、ワクチン接種のスピードが感染拡大防止のカギを握る。

 

しかし日本では、私が本稿を書き始めた2021年4月末の時点で、ワクチン接種はまだ医療従事者向けに限られており、各自治体において高齢者への接種の告知が掲示されたばかりである。筑波大学の先生によると「本当にワクチンの効果が出てくるのは、今の日本の状況だと数か月先、下手すると半年くらい先になるだろうという感じ。今まで1年かかって学んできた感染予防策を地道に繰り返すしかないのが明らかだと思います」と。

 

いままでのトレンドを延ばしていった先に将来があるというのがシミュレーションの基本で、そこに「いまはないけど、将来現れうる」新しい要因を予想して加えるのだが、感染者数を減らす要因がワクチンならば、増やす要因が変異ウイルスである。同じNHKの記事によれば、変異株(N501Y変異)がどれほど感染力を上昇させるのかについては、世界中の研究論文で35%から100%と大きく幅がある。NHKが紹介するシミュレーションはこれを50%と推定し、先ほどのイスラエルの例にもかかわらず、ワクチンの有効性を20%とした。すると2021年7月には1日の感染者数は1000人を超え、10月には3000人になるという計算結果が出た。

 

マスコミだから、シミュレーション研究の中心部のみを報じているが、おそらく変数をいろいろと入れ替えて、かなりの数のパターンを計算しているはずである。しかし想定が適切ならば、いままでのトレンドを延ばした数値としては説得力がある。その数値、つまり未来を変えられるのは人間だけである。

 

シミュレーションついでに経済的損失についても紹介しよう。やはりNHK NEWS WEB(2021年4月28日)が扱ったものだが、見出しは「“感染者減らずに宣言解除 経済損失膨らむ” 学者グループ試算」2)である。研究を行っているのは、NHKで何度も取り上げられている東京大学の経済学者のグループで、「感染者数が十分に減らないまま宣言を解除すると再び感染拡大を招き、経済的な損失も膨らむとする計算結果を公表」したとのこと。

 

感染拡大防止と経済社会活動の両立が目指されているが、実際のところは、一時的に経済をストップさせても、感染者数を一気に下げないと、かえって後々、感染者が急増するらしい。このシミュレーションでは、変異ウイルスの感染力が従来株に比べ1.5倍になったと想定されている。

 

東京都の数字をもとに計算すると、この記事が掲載された時点は緊急事態宣言が出ていたが、5月第2週に1日の感染者が500人弱で解除すると、6月第4週には再び1000人なるという。もし緊急事態宣言を延長して、6月第2週に250人弱で解除しても、8月第3週には1800人強にまで増えるとの予測。衝撃的なのは、どちらの場合も経済的損失が3兆5000億円になることだ。

 

変わらない人間の本性

 

日々、マスクを外して歓談している人たちを観察していると、つくづく自分が暇人で、変人だと感じる。上記のようなニュースを1日中、貪るように読み耽って、翌日、また多数のマスクなし会食の現場を目撃すると、どうしてこれほど異なった世界がひとつの社会のなかで共存できるのか、理解に苦しむ。マスクなし会食を楽しんでいる人たちの立場に自分を置いてみると、自分の目の前でマスクなしで比較的大きな声で話している相手がウイルスを持っていないと、どうして確信できるのだろうか、と不思議でならない。しかし不思議に思う私の頭のほうがおかしいのである。

 

以前、私の勝手な計算の際、東京都を使ったので、今度は2021年4月から5月の緊急事態宣言の前に感染者数を増やしていた大阪府を例にしよう。1日の感染者数の平均を1000人とし、感染するまでに無症状の人を6日として6000人、これ以外に、検査を受けていないが無症状のまま街中を徘徊している人が感染者の2割分いると仮定しよう。ある特定の日を想定して、“いまこの時点で、感染させ得る人”は7000人いて、これを大阪府の人口約880万人で割ると、約0.08%である。私が以前出した東京で1日500人感染者がいた場合の数字は0.03%だから、大阪の惨状がよくわかる。

 

しかし、あの頃の大阪でさえ、0.08%である。大阪でも、「まん延防止等重点措置」が明けてから、緊急事態宣言が発出されるまで、無数のマスクなし会食が行われたであろう。それでも大半の会で感染は起こらなかった。ということは、感染者が出たら大惨事だが、起こる確率それ自体はとても低いということだ。私ほど暇人はあまりいないから、上記のような勝手な計算などをして、確率を数値化することはないが、おそらく多くの人が、直観的に確率がとても低いと感じており、「自分は大丈夫」と思い込んでしまうのだろう。とはいえ、「本当に危ないの?」と質問されたら、私だって「確率的には低いです」と答えるしかない。

 

やはり問題は、これほど低い確率にもかかわらず、感染してしまったら、人口比に占める感染者の割合がこの程度であっても、人数的には病院で扱いきれなくなり、医療現場がパンクしてしまうことである。病院のキャパを超えて運ばれてきたら治療できず、一部は自宅療養中に重症化したり、亡くなったりする。さらに、コロナ病棟を増やすため、ほかの病棟を減らさざるを得ないから、それで本来受けられたはずの治療が延期される人も出てくる。そしてなによりも医療従事者が疲弊している。平然とマスクなし会食を続ける人たちの罪を、医師と看護師が背負わされるという構図である。

 

私の独断と偏見の計算でも、目の前でマスクを外して笑っている友人が私に感染させる確率は低いが、感染者のなかで実際に周りの人に感染させる人も少ない。1人の人が他人に感染させる数を「実効再生産数」という。東洋経済ONLINE3)によると、2021年4月末現在で、日本全国の実効再生産数は1.12である。これは1人の感染者がほかの1.12人に感染させたということを意味する。この数字が1以上だと感染者数は増えていく。

 

しかし2021年4月末の時点で、日本全国の感染者数は1日だいたい5000人であるが、この5000人全員がほかの1.12人にウイルスをうつしてしまうわけではない。少し古い記事だが東京新聞(2020年11月7日)は「感染させる人は2割以下。1人が多数に感染させなければ感染は抑えられる」と4)書いている。

 

東京とか、大阪とか、地域を限定した上で、人口比の感染者数の割合でも、感染者に出会う確率はかなり低いが、感染者のうち2割しか他人に感染させないとすれば、ウイルスをうつされる確率はさらに低くなる。多くの人が不用心にマスクを外して会食するのは、よくないことではあるが、理解できないことではない。

 

コロナ禍の行動規範

 

起これば大惨事だが、起こる確率が極めて低いため、それについて備えをしないのが、普通の人間のメンタリティーである。これは人間の本性だから、変えることはむずかしい。勝手な憶測であることをお断りしておくが、もし「今後、大震災に出遭う確率と、いまコロナに感染する確率の、どちらが高いか」とたずねられたら、私は大震災の確率のほうが高いと答えるだろう。しかし私は震災対策を何もしていない。家にはヘルメットも、防災頭巾も、非常食用の乾パンも用意していないし、水も備蓄していない。いま大地震がおこったら、私は孤立し、飢え死にしてしまう。

 

そういうことが頭ではわかっていながら、それでも防災用品を揃えないが、日々、出かける時はマスクをして、行きつけの店では必ず窓際に座り、会話するお客さんのグループから遠ざかろうとする。にもかかわらず、コロナに感染する確率のほうが、大震災に見舞われる確率よりも低いと、私は感じている。私自身が矛盾しているのだから、人様のことを非難する資格はない。

 

ただ、それでも自分を弁護したいのは、コロナに関しては、私は自分の身を守ることを第一に考えているわけではない。利己的なことを言えば、自分は危ない場面を避けているので、おそらく感染しなくて済むだろうと信じており、それほど悲観的ではない。そうではなく、これで社会が崩壊していくことを怖れている。

 

感染者が増えて、とくに重症者が増えれば、医療体制はいつか崩れるだろう。「医療崩壊」という言葉は抽象的で実感が掴めないが、要するに、いつでも・どこでも・気軽に診療してもらえるのが当然だった制度が、そうでなくなる。診察までの時間が長引き、そのあいだに症状が重くなったり、運が悪ければ亡くなる。これはコロナについて言っているのではない。すべての病気でそうなる。

 

救急車で運ばれても、病院の通路で担架に乗せられたまま、何時間も待たされるのが日常的なことになる。患者が多過ぎれば、新たに運ばれた患者は置き去りにされる。この傾向を助長するのが看護師の離職である。コロナによって肉体的にも、そして精神的にも追い詰められた看護師さんたちがどんどん辞めている。加えて、この惨状を見て、看護師を志願する人たちの数も減っていくだろう。患者は増えても、看護師になりたい人はいない。そしてこの原因をつくっているのが、マスクなしで会食する、われわれ一般人である。

 

すでに何度も、異質な複数の世界(パラレル・ワールド)がひとつの社会のなかで共存していることの不思議について語ってきたが、医療の世界とマスクなし会食の世界ほど、相容れない世界はないだろう。昨年末の記事だが、ふたつのパラレル・ワールドが交差すると、精神的な摩擦が生じる。元記事はBuzzFeed Japanだが、Yahoo! News(2020年12月23日)の見出しは「『インスタを見るとうんざりする』コロナの現場で看護師が感じた限界」5)で、取材に応じた看護師さんは「インスタはホーム画面から、削除しました。楽しかったツールが、いまはものすごい苦痛に、しんどいものになってしまったから……」と言う。とても大事な証言なので、以下、いくつか引用する。

 

 「医療現場は、本当に本当に今がいちばん大変としか言いようがない。次から次へ呼吸器が必要な患者さんが運ばれてくる。人数が減らないんです。このままじゃ、助かる命も助からんくなると思っています。」

 

「たとえば、私の働いているICU(集中治療室)は、ほとんどコロナの患者さんで埋まっています。ICUは去年も一昨年も、交通事故や手術の患者さんで埋まっていました。」

 

「コロナで埋まったとしても、事故や手術でICUに入る必要がある患者さんが減るわけじゃない。つまり、受け入れられない患者さんが出ているということなんです。ほんとうに逼迫しています。」

 

そして「そうして家に帰ってからSNSを見ると、うんざりしてしまうようになっちゃって……。」

 

続けて記事は解説する。

 

「緊迫した現場から帰宅してInstagramを開けば、そこに並ぶのは、コロナがまるで終わったかのような、いや、コロナ以前のような、自分たちの日常とは隔絶された、別世界。」

 

「大人数の飲み会や旅行、テーマパークで楽しむ友人たちの投稿が並ぶタイムライン。一方で、感染者数は増加の一途をたどっている。そのギャップが、樹理さんの心を追い込むようになった。」

 

そもそもコロナウイルス自体が、自然がつくりだした偶然の産物である。そして自分が感染するかどうかも、まったくの偶然である。しかし偶然を甘く見た人のうち、ほんのごく一部が医療体制を破壊しようとしている。それは、いまの、または将来の患者が診療を受けられないということだけではない。平然とマスクなし会食を続けることで、われわれを助けてくれる医療従事者の心を蝕んでいる。これでは辞めていく人は増え、なりたい人はいなくなるだろう。

 

コロナ禍の心構えは、偶然を「引き受ける」ことである。偶然を「受け入れる」ではなく、あえて「引き受ける」としたのは、確率は少ないが、起こってしまうと、誠心誠意尽くしている人をかえって追い詰めてしまう事態を、自分のこととして背負う覚悟を表したいからである。ある人がマスクなし会食をしても、直接的に看護師さんの心を疲弊させるわけではない。個と、別の個との因果関係のことではなく、ある個が、別の個の立場に身を置いて、その苦痛を体験することである。

 

因果関係では、個と個は空間だけでなく、精神的にも別の存在である。しかし「引き受ける」状態では、個と個は空間的には別々であっても、精神的には融合している。個Aが個Bの立場になって、個Bの心を自分のなかに移植するからである。この状態では、物理的には個Aは個Bと離れているが、精神的には個Aは個Bである。

 

私はこれを単なる「べき論」としての倫理(または道徳)ではなく、行動規範としての〈倫理〉と名づけたい。「べき論」は他人への批判であり指図だが、行動規範は自分が自分に対して課す振る舞いの規則である。個別の事象に対処する際に、一貫した態度で臨むことであり、それをみずから法則化することである。

 

行動規範の法則化のためには、複数の事象に対処する際、態度を一貫させる必要があるが、それがどういうルールなのかを自省して発見し、言葉にして、洗練させ、次の行動で応用して、その通りに振る舞えたかを改めて顧みなければならない。これをくり返しているうちに、行動規範たる〈倫理〉は精緻化されて、次からは意識せずして行動として示せるようになる。そしてコロナ禍で求められる〈倫理〉は「相手の立場に立つ」である。いま必要なのは、苦しい立場の人へ感情移入する高い精神性である。

 

 

1)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210427/k10012993701000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_167

2)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210428/k10013002051000.html?utm_int=all_side_ranking-social_003

3)https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

4)https://www.tokyo-np.co.jp/article/66936

5)https://news.yahoo.co.jp/articles/34ce4db78cedb9a17512520eb4b8bd9a7ca5fcef

 

 

森田浩之(モリタ・ヒロユキ)

東日本国際大学客員教授

1966年生まれ。

1991年、慶應義塾大学文学部卒業。

1996年、同法学研究科政治学専攻博士課程単位取得。

1996~1998年、University College London哲学部留学。

著書

『情報社会のコスモロジー』(日本評論社 1994年)

『社会の形而上学』(日本評論社 1998年)

『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社 1999年)

『ロールズ正義論入門』(論創社 2019年)

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