『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.004

Ⅰ 日蓮の出自について

日昭と日朗

日蓮の弟子の中でも、抜きんでた存在だったのが、日昭である。残された最大級の曼荼羅は、日昭あてのものだ。日昭の経歴については伝承が残る。後世のもので、慎重な検討は必要だが、まったくの創作とは考えられない。

 

それによれば、日昭は下総国海上郡印東領能手の人で、父は印東二郎左衛門尉祐照(祐昭)、母は工藤祐経の娘とも伊東祐時の娘ともされる。父の印東祐照は、伊東四郎成親の孫とある。印東祐照も伊東成親も詳しいことは分からないが、成親は一一八九(文治五)年七月の奥州合戦に源頼朝の御供として騎馬で参陣した一四四名の中に、その名がある。日昭の「昭」は、父の祐昭からの一字をとったことは容易に推定される。同時に日昭の阿闍梨号である成弁阿闍梨の「成」も、曾祖父からのものだろう。成親の奥州参陣は頼朝への忠義の証であり、語り継がれたに違いない。

 

一方、母は工藤祐経か伊東祐時の娘とされるが、祐経は『曽我物語』では極悪人である。日昭には兄と姉妹がいる。兄は印東三郎左衛門尉祐信、姉は池上左衛門大夫康光に嫁し、宗仲・宗長の兄弟を産む。また、妹は平賀有国に嫁して日朗の母となる。有国は早世し、日朗の母は同じ平賀氏の大内忠治のもとに日朗を連れて嫁ぐ。忠治との間に生まれたのが、後に京で布教に努める日像である。

 

このうち日蓮の書簡から門下と確認できるのが、日昭の父母・兄・池上兄弟・日朗である。池上兄弟と日朗はともに日昭の甥になる。以上の理解は、多少の異説はあるものの、定説とみて次に進む。なお、日朗が開山となる平賀本土寺は、大内忠治の館跡とされる。

 

—次回2月1日公開—

 

バックナンバー 日蓮誕生

 

 


好評発売中!

関連記事

「二十四の瞳」からのメッセージ

澤宮 優

2400円+税

「西日本新聞」(2023年4月29日付)に書評が掲載されました。

日本の脱獄王

白鳥由栄の生涯 斎藤充功著

2200円+税

「週刊読書人」(2023年4月21日号)に書評が掲載されました。

算数ってなんで勉強するの?

子供の未来を考える小学生の親のための算数バイブル

1800円+税

台湾野球の文化史

日・米・中のはざまで

3,200円+税

ページ上部へ戻る