本を読む #016 〈天声出版と『血と薔薇』〉

⑯天声出版と『血と薔薇』

 

                                      小田光雄

 

 矢牧一宏が天声出版で創刊した『血と薔薇』については忘れられない思い出がある。それは上京した1969年末から70年代にかけてのことだったと記憶しているが、早稲田のどこの古本屋でも『血と薔薇』が平積みのゾッキ本として売られていた。『血と薔薇』は商店街の書店で見ていたけれど、高校生が気軽に買える定価ではなかったし、地方の古本屋ではそのようにして売られてはいなかった。

 

 それは「澁澤龍彦責任編集」とある第一号から三号までで、平岡正明編集の第四号は数が少なかったと思う。この「エロティシズムと残酷の綜合研究誌」と銘打たれたビジュアルな雑誌はまだ十代だった私にとっても新鮮で、定価千円のところが、ゾッキ本のために三百円であり、まさに必然的に買い求めた。それは私ばかりでなく、友人の多くが同様であったためか、一年ほどすると古本屋の店頭から姿を消していった。この体験から、出版社が倒産、もしくは資金繰りに窮した場合、在庫が古書市場に流出し、それがゾッキ本と呼ばれることを知った。

 

 それから半世紀近く経つのだが、『血と薔薇』3冊を書棚からとり出し、ページを繰っているうちに、そうした記憶が蘇ってきたのである。あらためて確認すると、B5変型判の表紙や背にLE SANG ET LA ROSE のタイトルに加えて、この雑誌がテーマとするサディズムがフランス語で表記され、これまでなかったハイブロウなエロティシズム雑誌を志向し、創刊されたことが伝わってくる。その意気込みは巻頭の「血と薔薇」宣言に示され、「私たちは、あらゆる倒錯者の快楽追求を是認し、インファンティリズム(退行的幼児性)を讃美する」という文言もある。

 

 今になって思えば、この宣言は本連載12、13の『奇譚クラブ』や『裏窓』に代表される隠花植物のようなアブノーマル雑誌とは異なる、文化芸術誌としての『血と薔薇』の創刊を謳っていたのであろう。具体的にいえば、「あらゆる倒錯」をマニアの手から、文学や芸術の領域へと奪還しようとする試み、雑誌闘争の幕開けと見なすこともできる。これは奇妙な偶然だが、『奇譚クラブ』は一時期天星社名義で刊行されていたし、『血と薔薇』の天声出版と相通じてもいる。

 

 ここで創刊号の奥付を見てみると、編集内藤三津子、製作矢牧一宏、発行神彰となっている。神に関しては「『呼び屋』神彰の生涯」のサブタイトルが付された大島幹雄の『虚業成れり』(岩波書店)が出ているので、視点を変え、神の側から天声出版と『血と薔薇』の経緯をたどってみる。といっても、それは内藤の証言によるのだが。それによれば、矢牧は神がドン・コサックを呼び、「呼び屋」として名をはせる前からの知り合いで、神が「呼び屋」になってからも一緒に飲む仲だった。当時矢牧は芳賀書店に勤めていたが、神は彼の作家や詩人たちとの豊富な人脈と出版に関心を示し、矢牧を誘って天声出版を興し、出版事業を始めることになる。

 

 その資金は、神が有吉佐和子と別れた後の2番目の夫人の義兄が日光の寺の要職にあり、そこから調達されたようだ。内藤は新書館の編集者で、寺山修司、白石かずこ、立原えりかなどの「フォア・レディース・シリーズ」を送り出していた。彼女もそこに加わり、ずっと懸案だった澁澤龍彦を編集長とするビジュアルな雑誌の企画を神に持ちかけた。前々回の『脱毛の秋』(社会評論社)の追悼文にあるように、澁澤も「なにか新しい分野で自分の可能性をためしてみたいという気がないこともない時期だったから、この新雑誌の企画には二つ返事」で乗り、66年10月に創刊号が出されたのである。下世話なことを付け加えておけば、澁澤は矢川澄子が谷川雁のもとに走り、離婚したばかりで、手持無沙汰だったことも参画理由に挙げられるだろう。

 

 そして澁澤、矢牧、内藤のトリオによって、創刊号に続き、第二、三号も斬新で充実した編集で刊行され、神もその内容についてはほとんど口をはさまなかった。しかし第三号を出した時点で、発行者の神にはもはや続刊する資金が残されていなかった。かくして神と矢牧の関係は金のことが原因で破局に至り、内藤も天声出版から去り、澁澤も編集から降りてしまう。

 

 ところが神はそのような状況であるにもかかわらず、『血と薔薇』を続けることを望み、天声出版を「呼び屋」の後継者ともいうべき康芳夫に託すのである。康は第四号の編集を平岡正明に依頼する。その後の「『血と薔薇』四号の敗戦処理」については、平岡が「神彰の大いなる遺産」(『スラップスティック怪人伝』所収、白川書院)で、次のように証言している。

 

   神彰が二度目の倒産をし、天声出版もつぶれた。できあがった四号は印刷屋に押さえられ、俺の手元に残ったのは製本前の見本刷り一冊だった。原稿料は未払いのままだ。(中略)作品を依頼した人々に顔向け出来なかったが、俺も貧乏なので、手のうちようがなかった。

 

 これで神と『血と薔薇』の関係は終わるのだが、『血と薔薇』をめぐる出版の物語はさらに続いていく。内藤は薔薇十字社、矢牧は都市出版社を設立し、両社が倒産した後、二人は出帆社を立ち上げる。この二人の他にも、康は創魂出版を興し、第四号を平岡と編集した田辺肇は白川書院の東京支社を発足させ、前述の平岡の著作に加え、竹中労の『聞書アラカン一代・鞍馬天狗のおじさんは』を始めとする映画書などを出版していく。白川書院設立経緯は、これも「出版人に聞く」シリーズ16の井家上隆幸『三一新書の時代』に詳しい。したがってこれらの出版の起源はわずか4冊しか出されなかったが、『血と薔薇』に求めることができる。なお内藤の肝煎りで2005年に白順社から幻の雑誌と化していた『血と薔薇』3冊が復刻されるに至っている。

 

—(第17回、2017年6月15日予定)—

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