⑱ 寺山修司と新書館「フォア・レディース」
小田光雄
本の整理をしていたら、寺山修司の『ひとりぼっちのあなたに』が出てきた。これは私が購入したものではなく、妻が若かりし頃に買い求めた新書館の「フォア・レディース」シリーズの1冊で、A5変型判、表紙デザイン・イラストレーションは宇野亜喜良が担当している。
最初のセクションは「自己紹介」と題され、「海について」という章から始まり、「ぼく」の十七歳の時の一首がまず提出される。それは次のような歌だ。
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
そして十八歳になった時に、海がLa Mer で女性名詞であることを知り、海が女であれば、水泳は自分がその女に弄ばれる一方的な愛撫にすぎないではないかと思い始めたことが告白される。それから二十七歳までの海と「ぼく」との関係がたどられていく。そこには浅川マキの「カモメ」の歌詩の原型すらも見出せる。
そして「読まなくてもいいあとがき」で、「この本に収めた感傷的なぼくのエッセイやコント」や「気恥ずかしいことを書いたもの」に愛着があり、その理由として、「人は嘘を言っているときに一番ほんとの自分をさらけだしているものだから」との断わりも入れ、次のように書いている。
人は誰でも、一生の内に一度位は「詩人」になるものである。
だが、大抵は「詩人」であることを止めたときから自分本来の人生を生きはじめる。
そして、かつて詩を書いた少年時代や少女時代に憎悪と郷愁を感じながら、逞ましい生活者の地歩を固めていくのである。
だが、稀には「詩人」であることを止め損なう者もいる。
彼はまるで、満員電車に乗りそこなったように、いつまでも詩人のままで年を経てゆくのである。
彼―すなわち、ぼくももう二十九才である。
懐かしい寺山節であり、まさに1960年代の「フォア・レディース」の嚆矢というべき1冊となっていて、「この本は、新書館の内藤三津子さんとデザイナーの宇野亜喜良さんの協力によって生まれた」との謝辞も記されている。
『ひとりぼっちのあなたに』は『血と薔薇』を創刊する以前に、新書館に在籍していた内藤三津子が手がけたものだったのである。『薔薇十字社とその軌跡』(「出版人に聞く」10)の中で、内藤も「フォア・レディース」シリーズの最初の7、8冊を担当したことを語っている。『ひとりぼっちのあなたに』、それに続く寺山の『さよならの城』と『はだしの恋唄』の三部作がこのシリーズのブランドを確立したといっていいだろう。それは驚くほど版を重ねていることが証明となろうし、これなくして「フォア・レディース」は語れないとして、2004年には復刻されてもいる。
私の推測では「フォア・レディース」の成功があり、その年少版としての集英社の「コバルト文庫」が成立し、平凡出版の『アン・アン』創刊へとリンクしていったのである。内藤はそのような感性の起源に関し、昔の吉屋信子などの少女小説を読んだ最後の世代で、1960年代にはそういった少女小説もなくなりつつあった。それでも女の子たちの気持の中にはやはり少女小説を読みたいという願望が根づいていて、それが寺山修司や立原えりかの物語として、女の子たちに浸透していったのではないかと述べている。
それを裏づけるのが、2005年に河出書房新社から刊行された近代ナリコの『本と女の子―おもいでの1960-70年代』(「らんぷの本」シリーズ)である。サブタイトルに示されているように、同書には60年代から70年代にかけて「女の子たち/女性たちと蜜月をすごした4つの読み物」のひとつとして、「新書館フォア・レディース」が取り上げられてられている。
これは姉妹を有していない私などにとって、とても啓発的な企画編集の書であり、あらためて60年代から70年代にかけての「女の子たち/女性たち」の読書史と出版史を認識することになったといえよう。ここでは寺山を始めとする「フォア・レディース」が書影入りで紹介され、その世界への誘いとなっている。確かにそのような時代があったし、大学生協でも売られていたことや、電車の中で「女の子たち/女性たち」が読んでいたことも思い出されてくる。
それに加えて、寺山修司編『ハイティーン詩集』(高校生新書)の書影も挙げられている。これは井家上隆幸『三一新書の時代』(「出版人に聞く」16)でも言及しているが、私が高校生の時に愛読していた一冊で、今になって考えれば、「フォア・レディース」シリーズと通底していることになろう。
内藤三津子が新書館を退社した後、このシリーズでの編集を引き継いだのは白石征で、彼は近代ナリコのインタビューに応じている。彼は寺山と宇野の組み合わせが、北原白秋や西条八十の詩と蕗谷虹児、高畠華宵、竹久夢二の絵のアイテムに求められ、それが「フォア・レディース」に流れこんでいるとも述べている。そういえば、この「らんぷの本」シリーズもまた、それをトレースした企画のようにも思えてくる。
白石は寺山の周辺にいた編集者だが、数年前にイタリア文学者の田之倉稔から、彼がその解説を担当している『寺山修司著作集』(第二巻、クインテッセンス出版)を恵投された。その監修者名に山口昌男と並んで、白石の名前もあった。この著作集は完結したのだろうか。
—(第19回、2017年8月15日予定)—
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