本を読む #033 〈河出書房新社「人間の文学」「今日の海外小説」と白水社「新しい世界の文学」〉

㉝ 河出書房新社「人間の文学」「今日の海外小説」と白水社「新しい世界の文学」

                                        小田光雄

 

 二回続けて、集英社の1960年代から70年代にかけての『世界の文学』と『世界文学全集』を取り上げ、集英社がこの時代に新しい世界の文学の翻訳紹介に取り組んでいた事実にふれておいた。

 

 しかしそれは集英社だけの試みではなく、鈴木宏の『風から水へ』で提示しておいたように、やはり同時代にそれぞれの出版社がいくつものシリーズを刊行していたのである。それらを挙げてみよう。河出書房新社はポルノグラフィを主とする「人間の文学」、新しい世界文学の潮流をリードする作家、作品としての「今日の海外小説」、幻の名作の復権を謳う「モダン・クラシックス」、白水社からは『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)を始めとする「新しい世界の文学」、新潮社はシリーズ名は付されていなかったが、ガルシア・マルケス『百年の孤独』(鼓直訳)などの翻訳小説群、その他にも小出版社による新旧の未知の世界文学が翻訳されていた。

 

 ただこれらはトータルすれば、数百冊に及ぶであろうけれど、集英社のような『世界文学全集』というかたちではなかったので、単行本としての読書の記憶が強い。それらの中から記憶に残っている一冊を取り出してみる。

 

 「人間の文学」は三六判の造本と相俟って、ドリュ・ラ・ロシェル『ゆらめく炎』(菅野昭正他訳)、ジュネ『葬儀』(生田耕作訳)、バタイユ『マダム・エドワルダ』(同前)、『О嬢の物語』(澁澤龍彦訳)などのフランス文学が異彩を放っていた。だがその中で一冊を挙げるとすれば、ここでは最初の『ゆらめく炎』になろう。

 

 実はこれを読んで7、8年後に、ルイ・マルによるこの小説の映画化『鬼火』(1963)をようやく観ることができたからだ。現在ではDVDを入手すれば、自宅でも容易に観られるけれど、1970年代までは映画の旧作、名作の上映とめぐり合うのも、本との出会いと同様に一期一会のような感もあったのだ。

 

 主人公のアランを演じるのはモーリス・ロネで、かつて社交界の花形だったが、現在ではアル中患者として療養所で暮している。そして明日死ぬつもりで、かつての友人たちを訪ね、自らの絶望感を確認し、「祭は終わった」として、銃を左胸に当て、その引き金をひくのである。モノクロのスクリーンにエリック・サティのピアノ曲が流れ、その不安と精神の飢餓の緊迫度は比類なく、『死刑台のエレベーター』と並んで、ルイ・マルの代表作と断言することに躊躇しない。原作に忠実な映画化といっていい。ドリュ・ラ・ロシェルも戦時下の対独協力もあり、戦後にアランと同様に自殺を遂げている。

 

 続けてふたつのシリーズで翻訳されたイギリス文学に属するジョン・ファウルズに言及したい。ちなみに彼は白水社の「新しい世界の文学」に『コレクター』、河出書房新社の「今日の海外小説」に『魔術師』上下が収録され、訳者はいずれも小笠原豊樹である。前者に関しては拙稿「郊外のストーカー」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)で、すでに論じていることもあり、ここでは『魔術師』のことを書いてみたい。

 

 『魔術師』の主人公ニコラスはイギリスの中産階級出身で、オックスフォード大学を出て、アリスンというオーストラリア娘との恋に破局後、英語教師としてエーゲ海の孤島に渡る。そしてそこで不思議な老人コンヒスに出会う。それからニコラスは次々と起きる複雑怪奇な出来事に巻きこまれていく。この『魔術師』という物語はミステリーにして恋愛小説、冒険小説にしてオカルティスムの様相を呈し、コンヒスに表象されるのはヨーロッパの精神的彷徨史そのもの、もしくはそれらを暗示しているようにも思われるのである。ファウルズはこの物語を、達意の散文をあやつり、さらにストーリーテラーぶりを充全に発揮し、思索の痕跡を揺曳させながら進めていく。

 

 それらを示す一節を引用したいと思って探してみたが、結局のところ、物語が閉じられ、別れを告げるクロージングシーンが最もふさわしいと考えられる。それを引いて、『魔術師』の世界を幻視し、また想像してほしい。

 

  うなだれている彼女に最後の視線を注いでから、私は歩き出した。オルフェウスよりも確かな足どりで。いつかの別れの日のアリスンと同じくらいに確かな足どりで、決して振り返らずに。秋の芝生、秋の空。一羽の愚かな鶫が池のほとりの柳の木で季節外れの歌を歌った。灰色の鳩たちが建物の上を飛んだ。自由の断片、生きた文字謎(アナグラム)。そしてどこかで落葉を焚く強烈な匂い。

 

 この1972年の『魔術師』の読書を頂点とするファウルズと私との関係はそれで終わったのではなく、まだ続きがある。ファウルズは1963年に『コレクター』、64年に哲学的アフォリズム集『アリストス』を刊行し、65年に『魔術師』へと至るのだが、この『アリストス』こそはファウルズの創作ノートといっていいし、そこに見られる哲学的命題や詩的断言は『魔術師』の中に散見できる。「アリストス」とはギリシア語で、「最上、最上の者」を意味し、ファウルズは「ある状況における最良の者」として使っている。

 

 実はこの『アリストス』(パピルス、1992年)をやはり小笠原訳で、他ならぬ私が刊行することになったのである。そして本連載㉙の安原顕が創刊した『リテレール』において、これも同⑰の吉本隆明により、92年のベスト1に選ばれるという結果を迎えたことも付記しておこう。これも1960年代の「新しい世界の文学」や「今日の海外小説」の読書の果てにもたらされたひとつの固有の出版ドラマということになろう。

 

—(第34回、2018年11月15日予定)—

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