本を読む #039〈新人物往来社『近代民衆の記録』と内川千裕〉

㊴新人物往来社『近代民衆の記録』と内川千裕

                                         小田光雄

 前回の紀田順一郎の証言によって、新人物往来社の『怪奇幻想の文学』の企画が、内川千裕という編集者を通じて成立したこと、及びその内川が同社の『近代民衆の記録』も手がけていたことを教えられた。それゆえに、その対照的な組み合わせがおもしろいし、1970年代の出版の特質を示しているようでもあり、ここで後者にもふれておきたい。

 

 もちろん出版とリアルタイムではないけれど、1970年代前半に平凡社の『日本残酷物語』全7巻も読んでいて、同時代に刊行された『近代民衆の記録』はその延長線上にあると思われた。しかしこちらのほうはA5判、上下二段組、いずれも600ページ近い大冊で、定価も4500円だったから、なかなか買えなかった。そのうちに古本屋で安くなったものをと考えていたのだが、揃えられず、半世紀が過ぎてしまった。とりあえず、5冊のランナップを示す。

 

 1『農民』 松永伍一編

 2『鉱夫』 上野英信編

 3『娼婦』 谷川健一編

 4『流民』 林英夫編

 5『アイヌ』谷川健一編

 

 所持しているのは2と4である。このうちの2冊が谷川健一編となっているので、平凡社を退職した谷川が新人物往来社にこの企画を持ち込んで成立したシリーズと見なせるだろう。なぜならば、平凡社の『日本残酷物語』は谷川の企画であり、編者の松永や上野などもその執筆者だったからだ。また同じく帯に推薦文を書いている宮本常一も同様で、その第1部『貧しき人々のむれ』に、「土佐檮原の乞食」(後に岩波文庫『忘れられた日本人』に「土佐源氏」として収録)を寄せている。宮本の推薦文も70年代の出版と歴史・社会認識状況を示し、未来社の『宮本常一著作集』にも収録されていないかもしれないので、これも引いてみる。

 

明治になって民衆も文字を学ぶことを義務づけられたのだが、大正時代までは貧しくて学校へ行けないものがまだ多かった。その人たちが文字を学ぶために苦労した話はいまでも方々で聞くことができる。その文字で書かれたものが、丹念にさがせばまだいくらでも残っているであろう。明治・大正時代の人びとはどのように生きたかということを学者やジャーナリストたちの筆によって語らせるのではなく、これらの民衆に語らせることによって、そこに本当の民衆の姿がうかび上って来るのではないかと思う。

 

 これはまさに『貧しき人々のむれ』や「土佐源氏」の意図に他ならず、『近代民衆の記録』の『流民』に反映されている。そこに収録されているのは乞食、木地師、やくざ、芸人、流浪者などの日記や聴書、香具師、大道芸人、乞食、山窩と又鬼の実録、それから東京の貧民、どん底、水上生活者などのレポートである。林英夫はその解説を「さまよえる棄民」と題し、70年代初頭において、「流民は、さらに拡大再生産されつつある」と述べている。60年代からの高度成長期が73年のオイルショックを経て終焉を迎えようとしていた。

 

 『流民』は71年8月に出され、「月報」には本連載34の『もう一つの日本美』の広末保が「遍路拒斥すべし」という一文を寄せている。彼は少年時代に見たハンセン氏病の乞食遍路のことから始め、ガリバン印刷の広江清編『近世土佐遍路資料』に基づき、明治時代の地元紙に報道された遍路乞食の拒斥の実態に言及している。これを読んで、ただちに想起されるのは松本清張作、野村芳太郎監督、加藤剛主演『砂の器』である。この映画の公開も74年だから、『流民』の1巻とほぼ併走するように撮られていたことになる。

 

 「月報」には金子光晴も「流民のこと」を書き、自らの『どくろ杯』(中公文庫)に始まる流浪の体験を背景に、大正時代に「流れ流れて、落ちゆく先は、北はシベリヤ、南はジャバよ」が流行歌としてはやったと述べ、その内実にも及ぶ。実際に金子も『マレー蘭印紀行』(同前)も著わしているからだ。これらが刊行されたのも70年代前半であった。

 

 また「月報」には「編集室より」が次のように記されている。

 

本巻では、「流民」という範疇にあてはまる民衆像は、当初村落共同体崩壊にともなって流亡する群れを主目標にしたのですが、いざ編集開拓を始めてみますと、本巻ないようのごとく茫漠たる空間と彷徨える時間にその対象を追う破目になりました。諸国を流浪した遊芸人・瞽女や山野を跋渉したまたぎ・さんか、さらに年に集まる貧民の群れ―乞食・芸人・博徒・行商人たち、かれらは近代国家がつくりだした棄民の果ての姿です。

 

 おそらくこれを書いていたのは内川千裕であろう。紀田によれば、彼は新人物往来社を退職したようだが、その後の行方はどうなったのだろうか。ただ『近代民衆の記録』は好評だったはずで、『怪奇幻想の文学』と同様に増補され、全10巻に及んだことを付記しておく。

 

 『近代民衆の記録』が刊行されていくかたわらで、戦後の日本は70年代から消費社会化していく。それとともにかつての「村落共同体」は郊外化し、マイホームを求めて流入してきたサラリーマンとの混住社会となった。そして80年代になると、かつての田や畑はロードサイドビジネスの郊外店へと変貌し、郊外消費社会の全盛を迎え、全国の郊外風景は均一化してしまった。それをテーマとして、私は97年に『〈郊外〉の誕生と死』、その20年後の2017年に『郊外の果てへの旅/混住社会論』(いずれも論創社)を上梓している。そして後者では21世紀の「流民」が移民、難民、ディアスポラに他ならないこと、さらに3・11以後の私たちも同様の状況へと追いやられるかもしれないことにも言及している。『流民』よりもさらに厚い一冊だが、どこからでも読める構成なので、手にふれて頂ければとてもうれしい。

 

 なおその後の調べによれば、内川は79年に草風館を設立し、『人間雑誌』を創刊しているが、2008年に71歳で亡くなったという。

 

 

−−−(第40回、2019年5月15日予定)−−−

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