本を読む #050〈『マラルメ全集』と菅野昭正『ステファヌ・マラルメ』〉

㊿『マラルメ全集』と菅野昭正『ステファヌ・マラルメ』

                                         小田光雄

 

 私はマラルメという柄ではないけれど、菊池明郎『営業と経営から見た筑摩書房』(「出版人に聞く」7)のインタビュー後、筑摩書房が全集の五掛けバーゲンを行なった際に、菊池を通じて『マラルメ全集』を購入している。これは水声社の鈴木宏も所持し、彼の恩師宮川淳たちによるマラルメを読む会が発端となり、全集へと結実したと聞いていたし、鈴木も『風から水へ』の中で、そのことにふれていたからだ。

 

 しかし入手したものの、函背が銀色の『マラルメ全集』は版元出荷のビニールのシュリンク状態で、まったく未読のままで放置されていたのである。私もご多分に漏れず、ブランショの『文学空間』(粟津則雄・出口裕弘訳、現代思潮社)などによってマラルメの重要性を教えられていたが、たまたまこれもブランショを参照した田辺元『マラルメ覚書』(筑摩書房)を読み、さらに敷居が高い存在になってしまったのである。田辺の著書はヘーゲルやハイデガーのフランス受容をふまえ、マラルメの「イジチュール」と「双賽一擲」を読む試みで、とても歯が立つものではなかったのだ。

 

 それから半世紀近くが過ぎ、前回のベックフォード『ヴァテック』に寄せられたマラルメのすばらしい「序」をあらためて読み、マラルメとゴシックロマンとの通底性に目を開かれた思いを味わった。それに菅原孝雄も『本の透視図』の中で、菅野昭正を援用し、フランス語版『ヴァテック』再刊とマラルメの「序」の執筆は、ほぼ『イジチュール』を書いた時期と重なっていたと指摘していたのである。それはようやく『マラルメ全集』全5巻をひもとく機会を与えてくれた。

 

 ベックフォード関係はⅡの『ディヴァガシオン他』に、「『ヴァテック』要約のための断章」「ベックフォード」「『ヴァテック』序文」(いずれも高橋康也訳)の三編が収録されていた。前の二編は「『ヴァテック』序文」の抽出と要約で、牧神社版の「序」にあたる生田耕作訳「ベックフォード」は、高橋訳「『ヴァテック』序文」である。この『ヴァテック』の出版は当初1871年だったが、マラルメがいうように、「これまで最も入念に書いた散文作品の一つ」としての序文ができ上がらず、1876年ずれこんでしまったこと、及び『イジチュール』は1869年頃から書き始められたのではないかとの推測からすれば、確かに両者の構想、執筆時期が重なっていたと見なしてもいいだろう。

 

 そこで菅原が援用している菅野だが、それは菅野が1985年に上梓した浩瀚な『ステファヌ・マラルメ』(中央公論社)に見出される。その第十四章には「『ヴァテック』を論ず」という一節が設けられ、マラルメが『ヴァテック』の翻訳刊行を出版業者のアドルフ・ラビットと進めていたことが述べられている。ただマラルメがどうして『ヴァテック』に大きな関心を示すようになったかについて、確実な筋はひとつも見当らないけれど、1871年にラビットとの出版交渉が始まったこと、その契約細目が挙げられている。だが実際に刊行されたのは76年になってからで、その理由として「『ヴァテック』という不思議な魔術的魅力をまきちらす作品について、またベックフォードという地上離れした豪華な夢にふけりつづけた人物について、マラルメは序文に結晶させるだけの所見をまだ精錬しきっていなかった」からだと菅野は指摘している。この菅野の見解を『マラルメ全集』Ⅱの「解題・読解」も採用していることが了承される。

 

 それゆえに75年における大英博物館図書室でのベックフォードについての調査も必要とされたのであり、この調査を経ずして、その「序」は成立しないがゆえに、75年から76年に書かれたとする。だが『ヴァテック』の物語の本質的記述の中には1871年のマラルメが認められ、それが「序」に投影されていると見なし、前回も示した「序」の部分を引く。それは「教主(カリフ)ヴァテックの物語は、天空が読みとれる或る塔の頂きにおいて始まり、地下の魔界深くで終る」に連なる一節で、ヴァテックは「国教を否定して、飽くなき欲望と結びついた魔術の礼拝を行いたかったのだ」まで続いている。そしてその物語の本質に迫ろうとする。

 

 ヴァテックが豪奢な逸楽にふけりつづけていたのも、さらに来た異教魔神の誘いに乗ってしまうのも、教主であるという自分がいま置かれている状態にたいして、不快さを感じているからにほかならない。彼は自分のなかにわだかまる不快さを見つめ、そしてその不快さから逃れようとする。そういうヴァテックのなかに、マラルメが物質的な存在として地上に縛りつけられながら、その閉塞された状態を脱れようと腐心する人間の映像を見ていたことは、「なにか宿命的に不可避なもの」という一句から推測できる。ヴァテックはただ異教の魔神を礼拝するが故に地獄へ降るだけでなく、この騒然たる夢のような地獄降りは自分がいま置かれている状態からの逃避行であるという、この物語の特異な性質をマラルメはきちんと見ぬいていた。

 

 この部分こそ、菅原が引いていたものであり、これが『イジチュール』へとリンクしているとも見なすことができるのかもしれない。

 

−−−(第51回、2020年4月15日予定)−−−

バックナンバーはこちら➡︎『本を読む』

《筆者ブログはこちら》➡️http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小田光雄さんの著書『古本屋散策』が第29回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞!

また、新刊『近代出版史探索』も絶賛発売中。

関連記事

「二十四の瞳」からのメッセージ

澤宮 優

2400円+税

「西日本新聞」(2023年4月29日付)に書評が掲載されました。

日本の脱獄王

白鳥由栄の生涯 斎藤充功著

2200円+税

「週刊読書人」(2023年4月21日号)に書評が掲載されました。

算数ってなんで勉強するの?

子供の未来を考える小学生の親のための算数バイブル

1800円+税

台湾野球の文化史

日・米・中のはざまで

3,200円+税

ページ上部へ戻る