本を読む #078〈けいせい出版と宮谷一彦『孔雀風琴』〉

(78) けいせい出版と宮谷一彦『孔雀風琴』

 

小田光雄

 

1980年代前半に宮谷一彦が『人魚伝説』(上下、ブロンズ社、80年)、(第一部、けいせい出版、83年)、『肉弾時代』(広済堂、85年)を続けて刊行していた。

 

当時の印象をいえば、60年代から70年代にかけて『ガロ』や『COM』により、カリスマ的人気を博していた宮谷が、80年代になって異なるコミック誌と出版社と遭遇したことで、新たなリバイバルを迎えたのではないかと思われた。

 

といっても作風や描写が変化したわけではなく、前回の小崎泰博『幻の10年』に寄せて、かわぐちかいじが述べた「劇画とは『絵』なのだという単純な事実」をさらに進化させる表現とドラマツルギーへと向かったように見えた。

 

『人魚伝説』は志摩の海女をヒロインとして、半島での原子力発電所の誘致をめぐり、漁師の夫が殺されたことで復讐に挑んでいく物語である。その戦いの相手は地方を牛耳る財閥とその傘下にある暴力団や行政機構などで、まさに凶々しいまでの海と人魚の伝説を描いている。これは同タイトルで、池田敏春監督、白都真理主演により84年に映画化もされたが、その後池田は自死したようだ。また『肉弾時代』は明らかに三島由紀夫をモデルとする作家と満洲での殺戮の記憶をトラウマとするボクサーの肉弾の世界の果てへの旅といっていい物語に仕上がっていよう。

 

それら以上に日本の「バンド・デシネ」的作品の白眉として、第一部のままで未完に終わってしまったけれど、『孔雀風琴』のほうを挙げることに躊躇しない。この作品はA4判を一回り大きくした造本で、宮谷と編集者のコラボレーションによって、戦後コミック史においても満を持して刊行されたと思しき一冊だと思われる。表紙には水際に羽を全開した孔雀とその中から生まれ出たような全裸の少女が描かれ、宮谷の『孔雀風琴』の世界への誘いとなっているし、それはこれまでにない絵画的試み、クローズアップ技法、ディテールへの注視などを予感させてもいる。実際にイントロダクションのページからして、見開きで森の中に不時着したらしき飛行機がローアングルで捉えられ、『孔雀風琴』が「本土上空においては、日本がいまだ制空権を握っていた時代」の物語であることを、まず告げている。

 

その第一部は「薔薇の骨格」として、「緑青の孔雀」から始まる7つの章によって形成され、戦時下の軽井沢を想起させる別荘地の物語の幕が開かれていく。季節は初夏で、地形と気流がもつれあい、空気はなまめかしく、空は蠕動し、今しも「呻き声と共に異形の者産み落されんばかり」の森の中を、一人の少年が馬に乗って現われ、彼はそここそすべての生き物が創り出された「海」ではないかと思う。

 

そして少年は別荘の離れの土蔵に屋根から忍びこむ。するとそこにいたのは孔雀をあしらった和服をまとう妖婆で、裸身の少年を愛撫しながら、一族の甥が隠匿しているロシア王家の秘宝を与えると約束する。だがそこは実質的に外側から施錠された「牢獄」で、「遺棄(いきじん)館」と呼ばれていた。その当主は高麗葡萄夫(こまえびお)で、ワインカラーを意味する名前は妖婆の沙羅による命名だった。彼は眷族によってノイローゼによる人格失調者と見なされ、この別荘に蟄居の身であり、それは望むべき最良の地位だった。

 

その葡萄夫は川で魚をとる半裸の少年と出会う。女性を避ける傾向の彼は少年の美しさと官能性にいきなり魅せられ、少年が開拓民の中にいた旧士族の子で、「まさしく幾代にも渡る、剰余の結晶だ!」と感嘆する。葡萄夫は少年を別荘へと誘い、ピアノを教えこむ。彼が教えるピアノ曲の音色、メロディ、ハーモニイは5ページにわたって描きこまれ、その演奏が交感としての性行為のメタファーに他ならないことを意味し、そこから神が生誕することを暗示させている。少年は葡萄夫の腕の中で、「天使」のようでもあり、「極限的な官能(エクスタシー)の沸騰に一瞬、気を失っていた」のである。そして3章が「孔雀風琴(くじゃくおるがん)」と題され、葡萄夫は少年に語り出す。峠の岩壁には無数の空洞があり、気温や気流の変化で風穴と化す。だからそこに巨大な導管風琴(パイプオルガン)を入れるための音楽堂を建立し、それを孔雀風琴と名づけるのだと。そこで少年が弾いたピアノがそのミニチュアだったことを知らされるのだ。

 

まだここまで45ページであり、さらに凶々しいまでに登場人物と背景と物語が渾然一体となって展開されていくのだが、それを味読するためには実際に読んでもらうしかない。ただこのような紹介だけでも、『孔雀風琴』が『肉弾時代』の三島由紀夫、それに宮谷自身が「あとがき」の歌で逆詠みしているように、塚本邦雄からの影響をうかがうことができよう。それは1960年代から70年代にかけての大江健三郎の影響下から、三島や塚本の世界へと移行しつつあった宮谷の軌跡を伝えているのだろう。

 

それもあってか、「敢えて翔ばず」という解説を寄せているのは『刺青、性、死』(平凡社)、『闇の上のユートピア』(新潮社)などを著した国文学者の松田修で、それは次のように書き出されている。

 

“いかなるジャンルであれ、その時代の象徴ともいうべき一群の作家たちがいる。

意図せずして彼らは一つの時代を生き時代を死ぬ。栄光絶巓において、はた挫折の黒い海溝において、彼らはあまりにも時代そのものであり過ぎた。生に過激であったものは、しばしば死においても過激なのである。

 

ここで松田は宮谷を三島のような「時代の殉教者」に見立てて始めているけれど、そこにとどまらず、宮谷の変貌をたどり、その根源へと迫ろうとしている。管見の限り、最も優れた宮谷論のように思われるが、ここでしか読むことができないのではないだろうか。それも含めて、『孔雀風琴』は1980年代に出現した日本の「バンド・デシネ」的作品の記念すべき一冊のように思われる。

 

—(第79回、2022年8月15日予定)—

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