本を読む #090〈桜井昌一『ぼくは劇画の仕掛人だった』〉

(90)桜井昌一『ぼくは劇画の仕掛人だった』

 

                                        小田光雄

 

『漫画主義』第8号の表紙裏に幻燈社と東考社の広告が掲載されている。前者に関しては拙稿「幻燈社『遊侠一匹』」(『古本屋散策』所収)、後者は本連載79で取り上げているけれど、ここで再び東考社にふれてみたい。

 

その東考社の広告は「HOMERUN・COMICS」の沢田竜治『ワッパ78』、真崎守『地獄はどこだ!』、影丸譲也『ラリー・キラー』、いばら美喜『凶状旅』、山上たつひこ『鬼面帝国』だが、いずれも未見である。沢田、真崎、山上の作品のどれもが『週刊少年マガジン』連載とされていることからすれば、1970年代までは同誌連載であっても、講談社からすべてが単行本化されておらず、東考社のような小出版社がそれを担っていたことを示している。全書判はB6判と見なしていいだろうし、250円という定価にしても、当時のコミック出版を彷彿とさせるものであろう。

 

だが私が東考社を意識したのは1976年に梶井純の『戦後の貸本文化』が出版されたことによっている。それは同年に地方出版社や小出版社の取次として、地方・小出版流通センターが発足し、東考社も取次口座を設けたことで、一般の書店でも入手が可能になったからだ。そのことは初めて東考社の本、つまり『戦後の貸本文化』を手にして実感したのである。地方・小出版流通センターの発足事情は中村文孝『リブロが本屋であったころ』(「出版人に聞く」4)を参照されたい。

 

それは全書判ならぬタイプ印刷の文庫版で、「桜井文庫」16と記載され、表紙カットは貸本短編誌『魔像』からとられた剣を構える浪人の姿、裏表紙は貸本屋の貸出票=バックペーパーをそのまま転載したものだった。しかも奥付には限定650部で、その上に528という手書き数字があり、印刷製本も東考社となっていた。それらによって、東考社が印刷製本も兼ねる版元だとわかった。また『戦後の貸本文化』を読むことで、発行人の辰巳義興が辰巳ヨシヒロの兄にして、同じく貸本マンガ家の桜井昌一であり、「桜井文庫」の由来を知った。

 

その後まったく偶然だったにしても、1978年に桜井の『ぼくは劇画の仕掛人だった』(エイプリル出版)が刊行されたのである。この本はとても興味深く、知らなかった劇画出版の誕生と歴史を伝える貴重な証言に他ならず、とりわけ前半の「劇画風雲録」は当事者ならではのリアルな記述に充ちていた。それらのすべてをたどっていきたいけれど、今回は東考社のことだけに限りたい。

 

桜井は戦後の貸本マンガと出版の動向に関して、次のように述べている。1960年代に入って貸本マンガ市場は貸本屋の廃業も目立ち始め、その打開のために、桜井は出版社設立考えるようになる。そのきっかけは61年にさいとうたかを が実兄とともに始めたさいとうプロダクションによる自立出版の試みだった。ところが資金の問題もあって、同じく危機感に襲われていた佐藤まさあきと共同戦線をはることになった。まず佐藤プロダクションを作り、出版を始め、そこで得られた資金の無利子提供を受け、自らの出版社も始めるという計画だった。それは佐藤の短期日での大量制作できる特技と安定した人気にあやかるつもりでいたし、出版のイロハはさいとうプロのマネージャーから教えを受けた。

 

同じ頃、やはり貸本マンガの三洋社を倒産させた長井勝一も新しい出版社の青林堂設立を目論んでいたのであり、佐藤プロとほぼ同時に始まり、その主たる取次は朝日書籍で、その土井勇社長は貸本小説を主とする青樹社も設立し、また貸本マンガの竹内書店も兼ねていた。その土井の力添えと佐藤の実力を支えとして、佐藤プロはスタートしたのである。桜井はその内情にふれている。

 

 “当時、初版で三千部の部数を配本できるのは、業界で五本の指にかぞえられる人気作家だけで、多くの出版社が基準とした刷り部数は二千五百だった。その二千五百から何割かが返品されてくるので、実売は二千部を上下するほどに過ぎなかった。一冊の定価が二百円、取次―問屋―貸本屋と流される。貸本店でも定価で仕入れるとはなかったので、その中間マージンと商品になるまでの用紙、植字、製版、印刷、製本、運送の経費を差し引くと、出版社の取り分は……簡単な計算でじきはじき出されるであろう。
したがって、出版社として貸本マンガにしがみついて生きていくには、一ヵ月間に最低四、五冊の単行本を出さなければならなかったのである。”

 

このような出版状況において、桜井は「マンガ家の立場も、出版社と変わりなかった」とも述べているが、それでも佐藤の実力によって、佐藤プロは軌道に乗り始めた。ところがそこに佐藤の実兄の記本隆司が弟のために大阪から上京し、「泥沼のごときマンガ界に埋没しながら、飽くことなく進軍ラッパを吹きならし、今日の佐藤プロの基礎を作りあげること」になった。

 

そのために桜井は佐藤プロを去るしかなく、「日本一小さな出版社、東考社」の誕生となる。当初は主として弟の辰巳ヨシヒロの作品を出版し、資金繰りに苦労したが、国分寺に移転し、それから「多くの奇人や変人のマンガ家の応援を得て、二百点以上の貸本マンガを出版すること」になった。しかし劇画の悲惨な状況は67年頃まで続き、それ以後大手出版社の手にわたった劇画は億万長者を生むまでの花形の位置へと躍り出て行く。だが忘れるとなく、菊池寛の「無名作家の日記」を引きながら、桜井は書きつけている。

 

 “しかし、劇画にかかわりあい、非文化的とそしられながら底辺を這いずりまわってきた人たちの大半は陽の光を見ることなく消え去っている。彼らは隆盛を誇る昨今の劇画の有様を、どのような心境で眺めているのだろうか。“

 

(おだ・みつお)

 

 

 

 

 

—(第91回、2023年8月15日予定)—

 

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