矢口英祐のナナメ読み#014〈『林芙美子全文業録』〉

No.14『林芙美子全文業録』

矢口英佑〈2019.7.16

 

 本書がどのような内容の本なのか、私が説明するまでもなく、著者が本書の「まえがき」で次のように書いている。

 

 本書は、林芙美子の詩業を含む全文業に光をあてることを目的とした基礎研究の成果である。本書の第Ⅲ部「林芙美子の文業目録」がその柱である。「作品目録」1633点、「対談目録」109点、著者生前の「単行本目録」170点を掲出した。総計1912点。既刊の林芙美子作品年譜では、難点は多いものの一つの到達点である昭和女子大学編『近代文学研究叢書』第69巻(1995年)の「著作年表」掲出点数は、没後の編集版を除き約1180点。掲出点数で言えば、同書を730点も上回る

 

 著者が挙げている、昭和女子大学編の研究叢書刊行から20余年が経過しているとはいえ、そして、公表されずとも埋もれていた作品の新たな発掘は著者以外の手でもなされているに違いないが、それにしても、一人の探索者によって新たに発見された林芙美子の文業が730点もあったとは驚きである。

 

 林芙美子と言えば、森光子が1961年から2009年までの48年間、主人公の林芙美子を演じ続け、舞台ででんぐり返しをすることから、多くの日本人に知られた『放浪記』の原作者である。

 

 日本人にはなじみのある作家であり、日本近・現代文学研究者たちの研究対象となって、作品研究、作家研究が積み重ねられてきたからこそ『近代文学研究叢書』の1冊として、この作家が収められたのだろう。

 

 それだけに素朴な疑問も湧いてくる。林芙美子という作家は、この20余年間に730点もの新資料が発掘されるほど、日本の近・現代文学の世界では研究対象としては軽く、研究に時間をかけるには値しない作家と見られてきていたのだろうか、と。また著者は一体どれだけの時間と労力を費やしてここまでたどり着いたのだろうか、と。

 

 本書は著者が控えめに言うような、基礎研究としての単純な「文業目録」などではない。まさに「林芙美子の詩業を含む全文業」に分け入って詳細な情報が記録されているからである。

 

 しかも新たな資料には著者がすべて目を通すという慎重、緻密、堅実な目録作成者としての姿勢に貫かれている。さらには、この文業資料を利用する後続者のために、書誌情報だけでなく、新資料、稀少資料には資料源まで示すという配慮までなされている。

 

 第Ⅱ部「林芙美子の作品拾遺」では、貴重な未発表作品や埋もれていた作品が原文のまま採録され、それらの作品に対する著者の作品論と言っていいほどの考証的作品解説も加えられている。未発表作品、詩稿、童話、小説、随筆・紀行、対談、ラジオ放送など、著者が「新選 林芙美子作品集」と言い換えてもいいと言うほどの、初めて目に触れることができる30編の作品が収められている。私が単純な「文業目録」などではないと言う由縁の一つでもある。

 

 著者は「まえがき」で、さらにこうも書いている。

 

 林芙美子は昭和26年6月28日に亡くなった。戦前においては日本政府の検閲を免れないし、日本の独立を見る前に亡くなったから、GHQプレスコードの制約からも免れない。芙美子が検閲から自由であった日は1日とてなかった。作家と作品を検閲との対抗関係の考証ぬきに評することはできないし、版元出版社もまた検閲に縛られる。それは作品の成立史を考える上で忘れてはならない視点なのだが、従来の芙美子研究はその考証を避けてきた。検閲済みテキストの表層をなぞるだけでは、とりわけ芙美子研究は深まらない

 

 ここには従来の林芙美子研究に対する著者の不満が述べられ、その理由も明確に示されている。彼女の代表作『放浪記』からして、たび重なる検閲を受けてきたことが「第Ⅰ部 林芙美子の詩業と文業」の第1章「さまよへえる放浪記」で、異なる版本での該当部分の比較対照によって詳細な検証が行われている。

 

 さらに第Ⅱ部に収められた「第1章 「浮雲」原型作「この憂愁」」では、定説化されてきた「浮雲」解釈を根底から覆す見解がこの検閲という視点から追究されている。

 

  「この憂愁」の出現により。「浮雲」の解釈と鑑賞は一変する。敗戦文学と評される「浮雲」の原型作は、沖縄戦批判と原爆投下批判を内包した反戦文学であったが、米軍占領下では発表できず、胸底に秘めざるを得なかった未公開版であった。そこで史実と作者の意図を何重ものオブラートに包み、叙情詩的敗戦文学として再構築した公開版が「浮雲」であったと、言えるのではないか

 

 これまで敗戦文学と評価されてきた「浮雲」が、実は反戦文学だったと著者が断じるに至ったのは、「この憂愁」という未発表の直筆原稿が新宿歴史博物館に林家から寄贈され、それを著者が実査できたからにほかならない。

 

 わずか原稿用紙8枚の「この憂愁」の執筆時期は、著者の推測では「浮雲」の雑誌連載初回が昭和24年11月から判断して昭和24年前半期としている。この2つの作品の類似点について著者は多面的に論じることで、説得力を持たせようとしていて、その試みは成功している。

 

 今回、本書によって初めて読むことが可能になった「この憂愁」を、林芙美子はなぜどこにも発表せず、みずからの手でお蔵入りさせてしまったのか。現在、本書によってこの作品を読んでみても、その理由を見出すことは難しい。それにもかかわらず、林芙美子はなぜ、その数カ月後に改めて「浮雲」を執筆、発表したのか。

 

 その理由を挙げるとすれば、著者が指摘しているように日本がGHQの占領下にあり、出版に関してプレスコードに抵触するという一点を除いてほかには考えられない。その理由は言うまでもなく、「沖縄の戦ひ八十二日、日本軍死傷九萬人餘」「アトミック・ボンブを廣島に落して街の六割は吹き飛んでしまふ」という沖縄戦と原爆投下の描写がアメリカへの批判につながっていたからである。

 

 では、林芙美子はなぜ「この憂愁」を執筆したのか。著者は「たとえ発表できなくとも芙美子は沖縄戦と原爆の惨禍を忘れず、心に刻むために執筆したのだろうか」と記している。

 

 本書を通してふっと思ったのは、これほど検閲という弾圧に自作が何度も直面しながら、それを受け入れ、自分が生み出した作品をなんとか生きながらえさせようとしてきた林芙美子という作家は、ひょっとするととてつもなく器の大きな、懐の深い人間だったのではないか、ということである。なぜならその作品を「没」にすることもできたし、みずから筆を折ることさえできたはずなのだから。

 

「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」として広く伝えられている林芙美子の詩は、正しくは「苦しきことのみ多かれど、風も吹くなり、雲も光るなり」である。

 

 この後半部の「風も吹くなり、雲も光るなり」こそ、彼女の言いたかったことで、雑草のようなしたたかな生き方を強く語りかけてくる。

 

 著者は「原型作「この憂愁」は、占領下で発表できなかった作品として、そこに発表作とは異なる意味と価値がある。芙美子があと十年生きながらえていれば、沖縄戦と原爆投下をテーマにした大作を執筆していたのではないかとさえ感じさせるのである」と記している。

 

 私は誤解を恐れずに言おう。林芙美子は間違いなく十年後に大作を書いた、と。

 

 本書が林芙美子の基礎研究の成果で、第Ⅲ部「林芙美子の文業目録」がその柱だと著者は言うが、これらの目録が詳細を極めていることは一目瞭然であり、〝労作〟などという言葉ではあまりにも陳腐で、著者には失礼に当たるとさえ思えてくる。

 

 本書は間違いなく林芙美子に関した優れた研究書であるとともに、林芙美子に足を踏み入れようとしている初学者への優れた入門書となっている。

 

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〈次回『ふたりの村上』2019.8月上旬予定〉

『林芙美子全文業録』 A5判上製640頁 定価:本体6,800円+税

 

 

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