- 2019-10-1
- 論創通信, 矢口英佑のナナメ読み
No.17『半径50メートルの世界』
矢口英佑〈2019.10.1〉
この書名だけからその内容を理解するのはおそらく難しいにちがいない。実は小さな文字で「フィリピン バランガイ・ストーリー」と副題が付されているのだが、それを見落としてしまう可能性もある。かく言う私がその口だった。
つまり私は何が記されているのか掴めないまま、ただ書名に惹かれ、日本人とは異なるアジア系の子どもの笑顔がプリントされたカバーから社会学系、あるいは民俗(民族)学系の内容だろうと思いながら本書を開いたのだった。
本書の「物語のはじめに」の冒頭で著者は
ボクがフィリピンのマニラ首都圏、ケソン市に来たのは二〇一二年の秋だった
と記している。そして「おわりに」で
ボクは今、マカティ市のバランガイに住んでいる。ニイノ・アキノ国際空港からも近いメトロマニラの中心地だ。ケソン市に住み始めて六年。バランガイ生活にどっぷり浸かっていたボクだったが、(中略)なんとなくこの居心地の良い環境から飛び出したい気持ちが湧き始めてきた。(中略)大学院の授業もとりあえず単位取得は一段落し、ほっとしたこともあったかもしれない。修論は残したままだけど生活を変えたくなった。もちろん、経済的なこともあった。
運よく、邦字紙「まにら新聞」の記者として職を得ることができた。日々、取材に飛びまわり、多くの新たな出会いを経験している。それはケソン市でのバランガイ生活とはまた違った刺激を受け、さまざまな視点でこのフィリピン社会をみる必要性を認識させてくれる
この冒頭と終わりの文章から著者が7年間近く、フィリピンのマニラ周辺で生活し続けている大学院生(フィリピン大学大学院)で、学籍を置いたまま現在は『まにら新聞』の記者になっていることがわかる。
日本で大学を卒業したあと、海外での生活に憧れた筆者は日本語教師の資格を取って、数年間、中国、インドネシア、フィリピンで日本語教師をした後、結局、何かに導かれるかのようにフィリピン大学大学院でフィリピン学を専攻することになった。
ところで「バランガイ」とは何か。本書の世界に入り込んでいくためには、そして本書の書名に納得するためにはこの意味と実態とを知っておく必要がある。
「バランガイ」とは、人口が2000人から5000人(20万人という巨大なレベルもあるらしいが)の自治体の最小の行政区のこと。「一般的には人口が密集し、隣近所誰もが知り合いで、生活と零細商売が同時に営まれている空間」で、著者は「どこか「田舎」のような一種独特な雰囲気が漂う。日本では今や失われつつあるコミュニティー風景なのかもしれない」と記している。
日本に帰国するたびに感じる「閉塞感」の向こう側にあるのがこの「バランガイ」であり、著者はこの地域に住む住人にたまらないほどの親近感を覚え、その生活ぶり、物の考え方を受け入れていく。電気代と水道代込みで一ヵ月の間借り代が日本円で7000円だったとはいえ、台所なし、テレビ、インターネット、冷蔵庫なし、扇風機と机と椅子1脚あり、ゴキブリ多数出現の学生生活がバランガイから始まったにもかかわらず。
ここに住む人びとの生活は決して豊かではない。生きるために何らかの仕事を自分で見つけ、自分の肉体のみが資本というような生活を続ける人びとである。この地域の若い女性たちに風俗関係の仕事に就く者が多いのもそのためだろう。10代で母親になる女性も珍しくなく、子どもが多いのも日本の状況とはあまりにも違っている。父親の顔も知らない子どもや親の異なる兄弟も珍しくない。
本書に記されたフィリピンという国は、著者が交流してきた(している)フィリピンに住む人びとの生き方を通して映し出される。現在のドゥテルテ大統領の政策批判もすべてバランガイに住む人びとに寄り添ったところからのものである。したがって、フィリピンの旅行案内でも旅行記のような表面的なレポートでもないことは言うまでもない。バランガイに身を置き、そこに生きる人びとの目線と同じ高さから語られる実相であり、すべてが著者の目と皮膚が感じ取った貴重な記録にほかならない。
風俗で働く女性の素顔、著者が細菌性感染症で入院した病院の様子、ホモに襲われそうになった大学構内、トルコ人やフランス人のこと、バランガイでの路上飲み会とその鉄則、大学の様子と人びと、警察の取り締まりとバランガイの生活、振り売りをする友人のこと、金持ちの家の使用人として働く女性、麻薬戦争等々、7年間の生活で著者の身辺で起きたさまざまな事件やエピソードが次々にテンポよく展開されていき、その多くが私にフィリピン社会に対する無知の扉を開けて見せてくれているかのようである。
そのなかで本書が異質の〝流れ〟を見せるのが、「フィリピンにてイスラエル問題を考える」だろう。
イスラエルとパレスチナ問題について、イスラエルの主席公使の講演をフィリピン大学で聴いた著者の反応が記されているのだが、ここには一種の緊張感が張り詰めている。講演者があまりにもイスラエル側に与した考え方を述べたことへの違和感と反発が強烈に滲み出ているからである。こうした場で質問などめったにしたことがなかった著者が、「どうにも釈然とせずに質問ではなく意見をいわせてほしい」と「たどたどしい英語で話した」という。その発言内容も記録されているが、みずからの考えを臆せず述べ、中途で打ち切られそうになっても最後まで話し切るなど、「おぬし、なかなかやるではないか」と言いたいほどである。
「ボクはイスラエルという国を、そこに住む人たちの存在を否定しているわけではない。イスラエル国内にもさまざまな考え方の人がいるはずだ。殺し憎しみ合うことなく共存できる努力を、力を持つ国がもっと積極的に行なうべきだ。ボクはただ、この日のテーマに沿って、欠けた側面に光りを当てようと試みた」に過ぎなかった。しかし、講演者は著者の発言を無視したばかりか、フィリピン大学には無教養な学生がいると捨て台詞を吐いて去っていったという。
批判は批判として互いが受け止め、真摯に議論を進めていく姿勢こそ、平和構築への第一歩なのではないだろうか
と著者は述べている。
残念ながら、こうした他者との対応がいかに難しい事なのかは、現在の世界の動きを見ればあきらかであり、私たちの身の回りですら例外ではない。こうして著者は次のように言う。
このときを境に、ボクの中で変化が生まれた。もちろんもっと知識を深めなければいけないし、それを怠ってはならない。ただ、思うことがあるのであれば、とにかく発言を試みることで、周りも考え、何かが動くきっかけになり得るのだ
この著者自身の自覚からもわかるように、本書は〝「ボク」の成長記録〟にもなっていると言ってもよさそうである。
これに関連して、私自身、奇異な読書経験をしたと思っている。それというのも、本書は「あとがき」を書いた時点の著者によって書かれているわけで、そのほとんどが過去形のはずである。なのになぜか、私は著者がフィリピンのケソン市で学生生活を始めた2012年を「現在」のこととして読み始めていたのである。おそらく冒頭で英語も日常生活に欠かせないタガログ語もわからない苦戦ぶりと最低の住む条件だけしか備えていない住処とその生活ぶりが活写されていたがゆえの私の錯覚から始まったのだろう。
しかも、著者が次第にバランガイ生活に馴染み、男女さまざまな人びととの交流が盛んになるにつれ、言語問題に代わってバランガイの住人たちの思いに心を傾け、著者自身の生き方、考え方にそれらが反映されてくるのもその一因だったかもしれない。
そして、著者が敢えて居心地の良い場所から離れ、生活を変えてしまい、『まにら新聞』の記者になっていることが「あとがき」に記されているのも、私には突然の変貌に映り、これまた、本書が〝「ボク」の成長記録〟だとする理由になっている。
決して裕福ではないバランガイの人びとに常に暖かい眼差しを向け、差別意識を排除し、誰とも対等の立場で付き合おうとする著者の生き方は、バランガイでの生活が以前にも増して、著者にしっかり教え込んこんだことに違いない。
こう見ると、著者がふところの深い記者に成長する予感を私は否定できない。どうやら私は著者による記者奮戦記を次に期待しているようである。
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〈次回 2019.11月上旬予定〉
『半径50メートルの世界』 四六判上製256頁 定価:本体1,800円+税