- 2019-2-20
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No.2 『蓮田善明 戦争と文学』
矢口英佑〈2019.2.20〉
「蓮田善明」という人物を知る日本人はそう多くないに違いない。ましてや平成生まれのほとんどの日本人は〝忘れていた〟ではなく、ほとんど〝知らない〟だろう。いや昭和生まれの読書好きの日本人でさえも、この人物が若くして国文学に傾倒し、俳句、短歌、詩、小説、評論を書き、近代浪漫派作家の一人に数えられていることを知る人は少ない。かく言う私もこの人物について、他人に伝えられるほどの知識はなかったし、今もあるとは言えない。
私が本書に関連して、なぜ「昭和」という一時代をことさら持ち出すのかと言えば、蓮田善明が日本の〝戦争の時代〟と呼んでいい、「明治後半期」から「昭和前半期」までの、まさに申し子だったと思えるからである。
蓮田は1904年(明治37年)に生まれている。日露戦争が起きた年である。これより10年前の1894年には清国との戦い(日清戦争)で勝利し、「富国」「強兵」「近代化」は膨張し続け、もはや国内だけに留まらなくなって、国外へとその手を広げ始めていた時代だった。
「黒船の来航」で恐れおののいた日本人は、わずか三、四〇年後には大きな自信を持ち始め、幕藩体制から立憲君主制国家となり、天皇を中心にした国の形をごく自然に受け入れていった。
こうした時代の空気を吸っていた蓮田善明が日本人の精神の所在、日本文化の根源に文学(詩)を通して迫ろうとしたのは、現在の日本人が考えるよりもずっと違和感はなかっただろうし、ある意味では当然のありようだったと思われる。
それにもかかわらず本書の「序章」が「いまだ「解禁」されざるもののために——保田與重郎と三島由紀夫と蓮田善明」となっているのはなぜなのだろうか。著者は蓮田善明という人物への接近には、現在の日本にはなお〝ためらい〟、あるいは〝無視〟があることを、先ず何よりも伝えたかったからに違いない。
著者がどれほど計算していたのかわからないが、本書の冒頭から「なぜ?」という疑問を読者に抱かせるミステリアスな構成になっていると言えるだろう。
蓮田の国文学への傾倒には、常に「詩」があり、しかもそこには「戦争の時代の申し子」にふさわしく、「死」が寄り添っていたようである。蓮田は雑誌『文藝文化』1938年11月号に発表した「青春の詩宗———大津皇子論」で、「予はかかる時代の人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。新しい時代を表明するためには若くして死ぬ———我々の明治の若い詩人たちを想ひたい。それは世代の戦ひである。かういう若い死によって新しい世代は斃れるのでなく却って新しい時代をその墓標の上に立てるのである。然うして死ぬことが今日の自分の文化だと知っている」と述べている。
著者はこの蓮田の言葉を捉え、「明治の若い詩人たち(おそらくその中心には北村透谷がいる)のそのさらに後裔として、古典研究を通じて日本の「詩」の伝統を新たによみがえらせたい、とは昭和のロマン主義者・蓮田善明の希いであった」と分析している。
「死」が寄り添っていたとはいえ、著者も言うように、蓮田のこのときの言葉はあくまでも大津皇子を論じたもので、蓮田自身を語っていたわけではない。だからこそ著者も、蓮田は「古典研究を通じて日本の「詩」の伝統を新たによみがえらせ」たかったと述べているのである。
しかし、後年、三島由紀夫は蓮田のこの文章を蓮田自身の生き方として受けとめていく。三島のデビュー作となった「花ざかりの森」が『文藝文化』に掲載されるや、最大の讃辞と期待の言葉を送った蓮田であればこそ、著者が「蓮田は三島の精神的な「父」にして「師」になったのだ、と言ってもよい。……死に方のモデルを提供して三島の最晩年を「自決」に向けて導いたという意味では、蓮田善明こそは三島由紀夫の最大にして最終の「師」であったとさえいえるだろう」と、この二人の精神上の強烈な結びつきを語るのである。
その蓮田が1945年8月15日、日本が戦争に敗れ、昭和天皇の「終戦の詔勅」が放送された4日後の8月19日、当時、連隊本部が置かれていたマレー半島ジョホールバル(現在のマレーシア領)で、上官を射殺したあと、41歳の生をみずから閉じてしまうのである。
本書の冒頭で抱くことになる「なぜ?」は、蓮田の自裁にも向けられるに違いなく、2つの「なぜ?」が直結していることは言うまでもない。その意味では、本書は蓮田の自裁に至る「なぜ?」に迫ろうとした、緻密な謎解き本と言えるかもしれない。まるでミステリー小説で執拗に犯人を追っていくように。
確かに著者は「なぜ蓮田は上官を射殺し、自裁しなければならなかったのか」という「なぜ?」に、証拠(証明)となり得る手がかりを求め、複眼的な視点を駆使しながら迫ろうとしていることがわかる。以下の目次を見れば、それは明らかだろう。
序章「いまだ「解禁」されざるもののために―保田與重郎と三島由紀夫と蓮田善明」第一章「文学者の戦争―玉井伍長(火野葦平)と蓮田少尉」
第二章「教育者・蓮田善明の「転向」付・二つの宣長論と二つの公定思想」
第三章「文学(一)詩、短歌、俳句―趣味の自己統制」
第四章「文学(二)古典論―大津皇子へ 付・キルケゴールと保田與重郎
第五章「内務班 帝国軍隊の理念と現実 付・杉本少佐と村上少尉
第六章「戦地(一)聖戦の「詩と真実」」
第七章「戦地(二)「「山上記」または美と崇高と不気味なもの」
第八章「戦地(三)「詩の山」の『古今集』、または古典主義と浪漫主義」
第九章「戦地(四)晏家大山と伊東静雄「わがひとに与ふる哀歌」
第十章「戦地(五)晏家大山または山顛のニーチェ」
第十一章「戦地(六)詩と小説の弁または戦場のポスト・モダン」
第十二章「文学(三)表象の危機から小説『有心』へ」
第十三章「文学(四)小説『有心』と『鴨長明』、または詩と隠遁」
第十四章「文学(五)小説『有心』―生の方へ、温かいものの方へ」
第十五章「文学(六)『有心』の三層構造―冷たいもの/温かいもの/熱いもの」
第十六章「文学(七)謎解き『有心』―再び「死=詩」の方へ」
第十七章「文学(八)「文藝文化」と危機の国学 付・三島由紀夫と保田與重郎」
終章「最期の蓮田善明―非転向者の銃口」
著者がいくつもの手がかりを求め、同時代的な戦争小説に、軍隊というものに、詩や韻文に、文学仲間に、戦場に、小説『有心』に、蓮田自身の生活にと論ずる対象を変えながら「謎」への重層的な接近が試みられているのである。
本書がひたすら「死」に突き進んで行く蓮田の「なぜ?」を追究しているのは、述べてきた通りだが、著者の複眼的な視点という点から、ここでは一つだけ触れておく。
蓮田は応召するまでに通算7年半、中学、高校の教員だった時期があった。その時期の蓮田の教育方法が形式主義ではなく、創意工夫に富んだ自由主義的なものだったという著者の指摘である。
日中戦争が始まっていた日本で、国家と結びついた日本人、大国の民としての自覚を持つべきとの認識を蓮田は強く持ち始め、その先に「天皇」が明確に姿を現し始めていた。しかし、彼が自由主義的な教育方法を実践した教師でもあったからこそ、一般的な評価となっている、単純な「国粋主義者」ではなかった、と蓮田の思想的営為に対して、著者がさらに深く切り込むことを可能にしているのである。
著者の検証の緻密さとともにこの複眼的視点が本書に重厚さを与えていると言っても過言ではないだろう。
さて、それでは本書の「謎解き」は、どのような結末(結論)を迎えたのだろうか。
ミステリー小説の解説者がストーリーの概要を示しながら、その結末については「読者ご自身でお確かめください」という手をよく使う。私も今回はその手法に乗ることにしたい。ただし、著者の謎解きの結末(結論)に私も大いに納得しているということだけつけ加えておくことにする。
(やぐち・えいすけ)
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〈次回、2019.2.28予定『歪む社会』〉
『蓮田善明 戦争と文学』 四六判上製320頁 定価:本体2,800円+税