(92)辰巳ヨシヒロ『劇画暮らし』『劇画漂流』と『影』創刊
小田光雄
梶井純『戦後の貸本文化』の「初期貸本マンガの世界」において、「『影』創刊前後」という章があり、桜井昌一『ぼくは劇画の仕掛人だった』にも、同じく「『影』の創刊」に一章が割かれている。
ここでは桜井の弟の辰巳ヨシヒロの自伝『劇画暮らし』(本の雑誌社、2010年)、その劇画化といえる『劇画漂流』(上下、青林工藝舎、2008年)によって『影』に言及してみたい。それだけでなく、まったく思いがけないことに、それらに寄り添うように、『完全復刻版影・街』(小学館クリエイティブ、2009年)も刊行に至っている。だが『影』にふれる前に、その版元である八興に関して、大阪の貸本マンガ出版社の見取図も含め、ラフスケッチしておきたい。
辰巳は東京の鶴書房から処女作『こどもじま』(1952年)を刊行し、続けて数冊が出され、プロのマンガ家をめざしていたが、マンガ出版状況が変わり始め、鶴書房から出せなくなってしまった。実際に大阪マンガ出版の大手の藤田文庫、荒木書房、三春書房も廃業していた。ところがその一方で、貸本屋の隆盛を背景とし、貸本マンガ専門出版社が台頭してきたのである。そうした版元が54年に山田秀三、喜一兄弟によって設立された八興=日の丸文庫で、その顧問が古参マンガ家の久呂田まさみだった。
しかしいきなり八興を訪ねたのではなく、辰巳は駅前の貸本屋で版元を調べてみた。すると、研文社、榎本法令館(榎本書店)、東光堂、三島書房などがあり、それが具体的に『劇画暮らし』に記され、『劇画漂流』に描かれている。研文社は時代劇貸本マンガ、東光堂は10冊以上の手塚治虫の作品を出していたが、手塚は上京し、トキワ荘に居を定め、『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『ジャングル大帝』を発表して売れっ子になり、もはや東光堂からの出版は期待できなくなっていた。そうした大阪貸本マンガ出版社の事情も語られ、研文社も東光堂も辰巳に作品を依頼してくれたのである。
そして辰巳は研文社のために『怪盗紳士』を描き上げ、東光堂の『鉄腕げん太』にも取りかかっていた。だが前者の原稿料を値切られたことで、結局のところ、地図を頼りに安堂寺橋二丁目にある八興という未知の出版社へ向かったのである。その八興が入居する安二ビルが『劇画暮らし』にも『劇画漂流』にも描かれている。ビルとは名ばかりの木造2階建てで、小企業の事務所が10部屋ほど並び、八興はその2階の一室にあった。これが劇画の始まりのトポスだったのであり、感慨深いし、辰巳にとっても、忘れられない劇画の原風景のようなものだと推察される。辰巳は、桜井の『ぼくは劇画の仕掛人だった」から八興にいた3人の人物のところを引き、「良し悪しは別として、この三人は劇画に重大な影響を与えた」と述べている。
辰巳の『怪盗紳士』は『七つの顔』と改題され、『劇画暮らし』の書影に見えるように、1954年に八興の日の丸文庫の一冊として刊行されている。これは1946年の松田定次監督、片岡千恵蔵主演『七つの顔』をそのまま借用したもので、そのDVD(「日本名作映画集」36、Cosmo Contents)は手元にある。『劇画漂流』に示された「日の丸文庫発刊の総目録」によれば、それが7で、38は辰巳の5作目の『木刀先生』だとわかるけれど、そこにラインナップされた日の丸文庫は映画と異なり、一冊も読んでいないと思われる。
辰巳の他にこの「日の丸文庫」に集ったメンバーの松本正彦、桜井昌一、久呂田まさみ、高橋真琴、佐藤まさあき、さいとう・たかをが描いた短編を集め、月刊誌のように刊行する計画が持ち上がり、それは探偵ブック『影』と命名された。そして56年4月10日に発行となったのである。
それが先述したように、小学館クリエイティブから復刻され、そのまま読むことができる。A5判上製96ページ、150円で、さいとう・たかを「わんぱく探偵」、松本正彦「隣室の男」、桜井昌一「呪われた宝石」、高橋真琴「まだらの紐」、久呂田まさみ「鸚鵡」、辰巳ヨシヒロ「私は見た」の六編が掲載され、月刊と謳われていないにしても、表紙には1とあるので、継続的な短編誌として刊行されたことが伝わってくる。
表紙、扉、目次は久呂田によるもので、奥付の編集人も彼の名前となっている。発行人は山田秀三、発行所は大阪市南区の八興だが、東京の台東区浅草蔵前の住所も記載されているので、「日の丸文庫」の点数が増し、東京支所が設けられていたとわかる。ところが発行年月は記されておらず、そのことだけでも、貸本マンガの特集な出版と流通販売事情がうかがわれる。
『影』は久呂田によって手塚以後の新しいマンガを意図して編まれ、続刊されていった。だが、東京の人気マンガ家たちの新書版出版の失敗と「日の丸文庫」の点数が増えたことで、八興は手形による資金繰りと高返品率のために、ついに倒産してしまった。『影』も休刊に追いやられた。しかしそれにくじけることなく、久呂田は名古屋の取次の東海図書に話をつけ、「セントラル文庫」として、『影』のような短編誌シリーズや単行本を出す計画を進めていたのである。
それが「スリラーぶっく」と銘打たれた『街』で、57年3月に久呂田の編集で創刊号が出された。これが『影』と同時に復刻された『街』で、奥付を見ると、編集所は名古屋の中部出版社、発行所は神田神保町のセントラル出版社、セントラル文庫編集とある、編者は市橋晧三、発行者は大海新一と記されていた。やはり久呂田の装幀によるA5判上製96ページで、草川秀雄「台風の一夜」、辰巳ヨシヒロ「鶯荘殺人事件」、佐藤まさあき「墓場から来た男」、久呂田まさみ「巣加反乱」、石川フミヤス「恐怖の銃弾」、松本正彦「地獄から来た天使」の掲載だった。
同時にセントラル文庫からは辰巳の単行本『顔役(ボス)を倒せ!』も刊行された。その延長線上に久呂田の上京があり、辰巳、桜井、さいとうもそれに続き、「劇画」への道を歩んでいく。そして短編誌ブームが起きていく。八興は光伸書房と社名を変えて再出発し、『影』と『魔像』、兎月書房は『摩天楼』と『無双』、金園社は『ジャガー』と『ツワモノ』を刊行していくことになる。
(おだみつお)
—(第93回、2023年10月15日予定)—
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