矢口英祐のナナメ読み #090 『江戸期における河川舟運と流域生活圏の形成』

No.90『江戸期における河川舟運と流域生活圏の形成』

 

                                   矢口英佑

 

本書は書名に見えるように「江戸期の河川舟運」、つまり、海ではなく川を利用した舟による江戸期の輸送、物流の状況が明らかにされている。しかし、編著者たちの関心は「近世以前には個々独立していた村落やその他の小さなコミュニティーが、境界を超えて何を契機に一つのまとまりのある、つまり「一体性のある地域社会」を形成するようになったのか」にある。

 

しかも、舟運研究については、これまでに優れた研究は枚挙にいとまがないようであるが、「舟運と「生活文化圏」(「生活圏」とも略記される)の形成、あるいは地方文化や地域性が歴史的にどのように関係し形成されてきたか、という点に焦点を当てた研究は意外に少ないし、文献資料もあまり見当たらない」(第一章第三節「先行研究と本書の研究方法」)という。

 

先行研究も、文献資料も少ない研究対象に強い関心を抱いたのは、著者の一人である大木昌が専門とする研究領域で、スマトラの舟運研究を進めたことがあり、河川での物流が「人の移動と物の運搬、情報と文化の交流によって、それぞれの流域に特色ある地域社会を醸成するうえで重要な役割を果たしてきた」という研究成果を得ていたからであろう。

 

しかし一方で、大木は「日本史の専門家ではない」、「専門は東南アジアの歴史であり、本書が対象とする江戸時代の歴史にかんしては全くの専門外である」と繰り返し述べている。だが、そのような立ち位置にいたからこそ、あえて挑戦的な試みを可能にさせたとも言える。

 

本書は「第一部 河川舟運の歴史と基本問題」、「第二部 河川別舟運の実態と流域生活圏」の二部構成で、第一部は「舟運」とは、といった面から網羅的、かつ多角的に、しかもかなり踏み込んで語られており、当然、「舟運」全般について歴史的に記述されている。したがって「江戸期」に限定されているわけではない。言うまでもなく、舟による物流は江戸期以前から舟の運航が可能な川では行なわれていたのであり、著者が万葉集の河川舟の様子を伝える歌を紹介しているのも首肯できる。日本人にとって古くから河川舟による輸送、そして物流がいかに人びとの生活に密着していたのか、この万葉集からの例示などは大いに説得力がある。

 

また、第二部第八章「越後から上州へ渡った飯盛女と八木節――越後と上州を結んだ利根川」(執筆担当者は齋藤百合子)では、川による物産の移動ではなく、「飯盛女」と呼ばれた女性たちの誕生や民謡の「八木節」の伝播と変容といった、人や文化の移動に川の存在が大きく関わっていたことが論究されている。本章では舟歌や民謡(論述内容と関わってもいるからだろう)が少なからず引用されていて、それらの歌詞は当時の様子を十二分に伝えていて、実に興味深い。

説得力があるということで言えば、第一部第二章「日本における河川舟運前史――古代から近世まで」の第二節「北上川と藤原氏の繁栄」では、北上川なしには藤原氏の繁栄はなかった謎解きがされており、第二部に繋がる前段の論述として、読み手の関心を引きつけるのに大いに役立っている。

平安時代、京都から遠く離れた奥州の平泉が、なぜ京都に次ぐ日本の第二の都市となったのか。藤原氏が支配していた金鉱が国内での勢力拡大に大いに役立ったが、それは戦国時代になってからであり、著者は「金を持っているだけでは多くの人口が居住する大都市を築くことはできない」としている。

東北地方の、しかも内陸に位置する平泉が、実は交易都市であったこと、特に海外との交易を積極的に行っていたこと、そうした事実をこの地域で発掘された多くのさまざまな出土品が教えていること等々を示す。こうして著者の大きな関心事である「一体性のある地域社会」はどのように形成されたのか、あるいは地方文化や地域性が歴史的にどのように関係し、形成されたのかについて、次のように述べている。

 

  「藤原氏は北上川の舟運を利用して一方で上流に向かって遡航し、遡航限界から峠を越えて陸奥湾に至り、北海道のアイヌと交易したこと、他方、下流に向かっては河口の石巻から太平洋に出て、そこから博多経由で中国との交易を行なっていたと考えられている。中尊寺に中国から輸入した経典が多数所蔵されていることも、これを示唆している」

 

平安時代、日本という国の枠組みの中にまだ組み込まれていなかった奥羽地域がグローバルシティーとして存在していた事実とともに、北上川という河川がいかに重要な働きをしていたのかを読み手は知ることになるのだが、こうした論述からは、大いに知的スリリングが与えられるにちがいない。

 

本書の丁寧な記述方法という点から、形式面で指摘するなら、各部毎に「序」があり、各章毎に「はじめに」と「結語」が置かれていることだろう(研究者の世界では当然のことなのかもしれないが)。読者側からすれば、本文に入る前にあらかじめ予備知識が与えられ、その章の読了後の「結語」で全体の整理がされていることから、編著者たちの伝えたい内容をより一層、説得力あるものにする装置となっている。

 

本書では「北上川」「最上川」「利根川」「天竜川」「吉井川」「旭川」「高梁川」の7河川が取り上げられ、それぞれ「河川の特徴、舟運の概要、荷物の種類と量、人の移動、幕府と藩による舟運の管理、舟運、あるいは河川ルートが与えたと思われる社会文化的な影響」といった点から論じられている。ただし取り上げられている河川はこれらにとどまらず、第一部で「大和川」(奈良・大阪)、「雄物川」(秋田)、「阿武隈川」(福島・宮城)、「太田川」(広島)、「吉野川」(徳島・高知)、「仁淀川」(高知)、「四万十川」(高知)、「球磨川」(熊本)についても言及されている。

 

「江戸期」の各地域の生活文化を捉えようとするもくろみからすれば、ほぼ全国の河川について目が向けられていると言えそうである。しかも編著者たちが眼目としている地域社会や地域文化が歴史的にどのようにして形成されたのか、それらが川を中心にして生まれてきたとことを実証する例示としては、必要十分だろう。

 

このように見るなら、本書は江戸時代の人びとの生活が川を中心として、地域毎の特性を備えつつ、どのように営まれてきたのかを知る資料として、多面的に、且つ丹念に記述されており、第一級の労作といっても言い過ぎではないだろう。

 

願わくば、編著者が言うように「専門家の常識にとらわれない自由な立場」で論述された本書が、専門家たちから「ひややかな無視か、ひどくイデオロギッシュな罵倒」(速水融編『歴史のなかの江戸時代』より編著者が引用する一節)といった扱いで片隅に押しやられないことを祈るばかりである。

(やぐち・えいすけ)

 

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