『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.037

Ⅳ 日蓮仏法論

 

日蓮を本尊にした曼荼羅


当初の目的は、念仏の停止

 

日蓮は、南無阿弥陀仏の称名念仏と南無妙法蓮華経の唱題を、ともに唱えることを禁じ、南無妙法蓮華経とだけ唱えることを信徒に求めました。法華経信仰に厳格な専修を求めたのは、歴史上、日蓮だけでした。それは、なぜだったのでしょう。

 

法華経には「正直捨方便」、「不受余経一偈」との文があります。これは、「法華経以前の教えは全て方便である」、「法華経以外の経典の一句たりとも信じてはいけない」という意味です。日蓮は、これを根拠に法華経だけ信じることを求めたのです。なるほど、そう言われれば、反論の余地はありません。しかし、その一方で、源頼朝をはじめ、過去に法華経を信仰した人物を、日蓮は高く評価しているのですが、そうした人物は、決して法華経だけを信じていたわけではないのです。同じ法華経信仰でも日蓮のそれは過去の在り方とは厳格さに違いがあります。

 

この点について、日蓮は、こう述べます。

 

「智者学匠だにも、近来は法華経を捨て念仏を申し候」、「世間に貴しと思ふ人の只弥陀の名号計りを唱るに随て、皆人一期の間一日に六万遍十万遍なんど申せども、法華経の題目をば一期に一遍も唱へず」、「謗法の者に向ては一向に法華経を説くべし」

 

ここに、日蓮の問題意識は明瞭です。日蓮の当初の目的は、第一に称名念仏の停止だったのです。それは幕府に提出した「立正安国論」で、為政者に求めた施策が「一凶を禁ぜん」、「国中の謗法を断つべし」という念仏停止だったことからも明らかです。

 

称名念仏の流布を押し返し、法華経信仰の再興を図る。この二つの難題に応えるために採用したのが南無妙法蓮華経の唱題です。

 

口唱という万人に可能な実践であり、しかも称名念仏を否定し、それがそのまま法華経信仰になるという、まさに画期的な修行方法でした。この唱題の流布こそ、念仏に対する否定であり攻撃であり、折伏そのものだったのです。ですので、念仏に代えて題目を唱えろ、という主張は、日蓮にとって当然のことでした。こうして、唱題を専修とする日蓮独自の法華経信仰が生まれたのです。

 

江間浩人

 

—次回11月1日公開—

 

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