矢口英祐のナナメ読み #100『シャンソンは人生そのもの』

No.100 松本かずこ著『シャンソンは人生そのもの——オランピア劇場へ夢の挑戦』

 

                                     矢口英佑

 

著者の松本かずこは今年、歌手デビュー35周年を記念して、全国ツアーを開催したシャンソン歌手である。本書はそのシャンソン歌手「松本かずこ」と、一人の生身の「松本和子」の驕らず、飾らず、むしろ控えめと言える〝自分語り〟であり、その語り口は清々しささえ感じさせるものになっている。

 

著者のここまでの人生行路は、一人の人間の人生としてごく穏やかな、とは言い難く、起伏に富んだ、では物足りない、波乱万丈という言葉がふさわしい道を歩んできたと言えるだろう。それにもかかわらず、著者の語り口は実にもの静かである。どんな困難や危機、障害も乗り越えてしまえば、どれも懐かしい思い出に変わるとでも言うように。

 

しかし、それにしても著者が歩んできた人生は、それだけで小説が生まれるにちがいないほど〝事実は小説よりも奇なり〟の道のりである。

 

「私が二歳のときに妹を出産して母が二七歳で亡くなり、その妹とはいまだに生き別れです。母と死別して養護施設を転々としたあと、四歳のときに養女に出されました。その後、一六歳で結婚、出産を経験しています」

 

四歳で養女に出された彼女は、

 「この家で、私は働き詰めに働きました。後年、NHKで「おしん」というテレビドラマが放送されたときなど、〝私と同じような境遇のストーリーやなぁ〟などと思いながらテレビを見ていたものです」

 

まだ親からあれこれやってもらい、何かと甘え、親を頼りにする年頃から、それが当たり前だと思って働いていたという。そうした生活を10年以上過ぎた中学2年になって、再婚していた実父の元に戻ることになった。著者は「実の家族と暮らせる喜びよりも、とにかく養家から出られることが嬉しかった」と述懐している。養女としての肩身の狭さにジッと耐えていたことが、たったこれだけの言葉に凝縮されていて、読む者の心に突き刺さる。

 

だが、実の家族との落ち着いた生活は一年ほどで終わってしまう。いや、自分から終わらせてしまったのだ。養母が亡くなっていたことを伝えてくれず、養母の死に目にも会わせてくれなかったという実父に対する激しい怒りから家を飛び出してしまったからである。中学を卒業したばかりの者がこれほど激しい,決然とした行動が取れるのか、ただ驚かされるばかりである。

 

こうした軽挙妄動と非難されても仕方のないような事ができたのも、幼くして養女に出され、人に甘え、頼る以前に自分一人で生きなければならないことを日々の生活からいつの間にか学び取っていたからなのだろう。

 

これ以降の著者の人生はすべてが他動的という言葉とは無縁な、みずからが切り開いていく極めて能動的な歩みを続けることになる。無論、その道行は決して平坦な道ではなかった。それにもかかわらず著者には後戻りは似つかわしくなく、たとえ立ち止まることはあっても、そこから次のステップへと踏み出していくのである。

 

「もう家には戻らない」と決心し、退路を断った著者が喫茶店の住み込み店員になり、そのマスターから結婚を申し込まれ、16歳で結婚、そして出産という道もみずから選び取ったものだった。だが、夫の経営感覚や生活ぶりに愛想をつかし、1歳の子どもを夫の母親に預けて、家を飛び出し、見ず知らずの熱海のスナック経営者夫婦に雇われるという、ここでも驚くような行動を取るのだった。安全策というような道筋は著者にはないかのように、もはや後に引けない境涯にみずからを追い込み、そこから〝危難脱出を試みる〟という言い方が著者の生き方に照らせば、決して異様な表現ではないように思う。

 

この無謀とも映る所業にもかかわらず、著者には一片の後悔という後ろ向きの姿はまったく伺えず、ひたすら前に突き進む、積極的な姿勢だけが浮かび上がってくる。

 

どのような難局にぶつかっても前進しようとする姿が、周囲の人々に共鳴を起こし、著者に手を差し伸べる人びとが、その時々に現れて来るのも不思議ではなく、むしろ納得させられてしまう。著者は本書の中でたびたび触れている。

 

「私は人に恵まれているな」「渡る世間には鬼はいない」というのはホンマやなと思うと同時に、自分の幸運を改めて感じた」と。

 

だが、それほど積極的な彼女の行動姿勢は、まったく逆の作用にも働く結果を招いた。124錠の睡眠薬を一気に飲んで自殺を図ったのだ。協議離婚の果てに夫に子どもを奪われた母親である我が身への絶望感からだった。そして、ここでも友人に助けられ、幸運の女神は再び著者に微笑みかけるのだった。

 

著者の人生にとって幼い頃から心を癒してくれるものは歌と犬や猫だったという。なかでも歌は大好きで、どのような時にでも歌を口ずさむ子どもだったようで、歌手への憧れもその頃から始まっていたという。だが後年、自分が実際に歌手になるなどとは考えもせず、ましてや2000人収容のシャンソンの殿堂・パリのオランピア劇場のステージに日本人女性歌手として、石井好子に次いで2番目の歌手としてステージに立つとは夢想だにしていなかっただろう。著者は言う。

 

「強き一念、思いがあれば、夢は叶う——」と。

 

歌手生活30周年の記念公演をオランピア劇場で行う、その実現のために10年の歳月をかけて周到に準備を進めていたはずだが、その過程では「壁にぶつかり、つまづいて転びそうになり、心が折れかけたことも一度や二度ではなかった」と語っているのだが。

 

「自分が生きてきたなかで培ってきた人生観やさまざまな経験を余すことなく表現できるのがシャンソンであり、年齢や経験を重ねてきた歌い手こそがシャンソンの深みを表現できるのではないか」と語る著者にシャンソン歌手を決意させたのがエディット・ピアフだった。

 

エディット・ピアフは、日本でも「ばら色の人生」や「愛の讃歌」などで知られ、癌のため47歳で逝った彼女を敬慕する著者はピアフが最晩年に描いた自伝の中で「いろんな人が私のことを語り始めるに違いありません。でも、みんなの話があまりにも違っていると私がどんな人間だったのか、本当のことは何もわからなくなってしまう。(中略)時間のあるうちに、自分のことを話しておきたいのです」という言葉に倣って、

 

「自分が語れるうちに自分のことを話しておこうと思ったのです。ピアフに憧れ、ピアフのような歌手になることを目標にして生きた、どこかピアフの人生行路とリンクする山坂のある人生を歩んできた一人のシャンソン歌手がいたという記憶を残すために」と記している。

 

冒頭で示したように、本書には粉飾がほとんど見られない。著者の強靭な意思が滲み出てくる〝自分語り〟でありながら、過ぎ去ったその時々の悲壮感や絶望感の色合いが淡い色彩に換えられた言葉として紡ぎ出されている。こうした語り口になっている背景には、おそらく著者が意識していないと思われるが、いたずらにみずからを悲劇の主人公に仕立てることも、勇敢で大胆な人物像に仕上げることも排除し、ひたすら等身大の自分を示そうとしていることが大きいと思われる。

 

そして、これまた著者が意識していないと思われるが、本書に目を通した読者に人間として生きることの素晴らしさを示し、生きる勇気を伝える伝導の書にもなっているのだ。

 

(やぐち・えいすけ)

 

 

 

 

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