タイトル | コロナ、優生、貧困格差、そして温暖化現象 |
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サブタイトル | 「世界史的課題」に挑むための、私たちの小さな試み |
刊行日 | 2022年7月7日 |
著者 | 佐藤幹夫 村瀬学 |
定価 | 2000円+税 |
ISBN | 978-4-8460-2189-4 |
Cコード | 0036 |
ページ数 | 272 |
判型 | 四六 |
製本 | 並製 |
内容
日本と世界の〝今〟を対話する
さまざまな様相を呈する現代の緊急課題を、村上春樹・三島由紀夫・宮沢賢治・永山則夫・吉本隆明・斎藤幸平ら新旧論客の発言を踏まえて縦横に議論する〈往復書簡〉集!
いずれ再びやってくるだろう新しい感染症のパンデミック、生産効率の名の下で人間を序列づけ、やつは生きる価値のないと差別し排撃する思想の広がり、貧富の格差などという言葉がおよそ牧歌的に感じられるような、一極集中の度し難い経済序列、そして破壊されつくそうとしている地球。これは、いまを生きる私たちに共通のテーマのはずです。(本書、「まえがき」佐藤幹夫より)
さまざまな様相を呈する現代の緊急課題を、村上春樹・三島由紀夫・宮沢賢治・永山則夫・吉本隆明・斎藤幸平ら新旧論客の発言を踏まえて縦横に議論する〈往復書簡〉集!
いずれ再びやってくるだろう新しい感染症のパンデミック、生産効率の名の下で人間を序列づけ、やつは生きる価値のないと差別し排撃する思想の広がり、貧富の格差などという言葉がおよそ牧歌的に感じられるような、一極集中の度し難い経済序列、そして破壊されつくそうとしている地球。これは、いまを生きる私たちに共通のテーマのはずです。(本書、「まえがき」佐藤幹夫より)
著者紹介
佐藤幹夫(さとうみきお)
1953年生まれ。秋田県出身。2001年よりフリージャーナリストとして活動するかたわら、批評誌『飢餓陣営』の主宰者として、思想・文学・心理学など幅広い分野で評論活動も行う。著書に『一七歳の自閉症裁判』(岩波現代文庫)、『知的障害と裁き ドキュメント千葉東金事件』(岩波書店)、『ルポ認知症ケア最前線』(岩波新書)、『ルポ高齢者ケア 都市の戦略、地方の再生』(ちくま新書)、『評伝島成郎』(筑摩書房)、『ルポ闘う情状弁護へ』(論創社)など多数。
村瀬学(むらせ・まなぶ)
1949年生まれ。京都府出身。同志社大学文学部卒業。同志社女子大学名誉教授。2010年に第34回日本児童文学夫学会奨励賞を受賞。著書に、『宮崎駿の「深み」へ』(平凡社新書)、『10代の真ん中で』(岩波ジュニア新書)、『初期心的現象の世界』(洋泉社MC新書)、『「あなた」の哲学』(講談社現代新書)、『長新太の絵本の不思議な世界』(晃洋書房)、『徹底討論 古事記』『古事記の根源へ』(共に言視舎)、『いじめ』(ミネルヴァ書房)など。
1953年生まれ。秋田県出身。2001年よりフリージャーナリストとして活動するかたわら、批評誌『飢餓陣営』の主宰者として、思想・文学・心理学など幅広い分野で評論活動も行う。著書に『一七歳の自閉症裁判』(岩波現代文庫)、『知的障害と裁き ドキュメント千葉東金事件』(岩波書店)、『ルポ認知症ケア最前線』(岩波新書)、『ルポ高齢者ケア 都市の戦略、地方の再生』(ちくま新書)、『評伝島成郎』(筑摩書房)、『ルポ闘う情状弁護へ』(論創社)など多数。
村瀬学(むらせ・まなぶ)
1949年生まれ。京都府出身。同志社大学文学部卒業。同志社女子大学名誉教授。2010年に第34回日本児童文学夫学会奨励賞を受賞。著書に、『宮崎駿の「深み」へ』(平凡社新書)、『10代の真ん中で』(岩波ジュニア新書)、『初期心的現象の世界』(洋泉社MC新書)、『「あなた」の哲学』(講談社現代新書)、『長新太の絵本の不思議な世界』(晃洋書房)、『徹底討論 古事記』『古事記の根源へ』(共に言視舎)、『いじめ』(ミネルヴァ書房)など。
目次
Ⅰ ウイルス・共同意志・優生思想
[第一信]――佐藤幹夫
ウイルスと、「優生思想」という観念が「うつる」ということ――〈講演〉録と「最終講義」を読んで
津久井やまゆり園事件とコロナパンデミック 「風をたずねるものはもういなくなったのか」について 彼はなぜ急変したのか 「戦後七五年」が行き着いた果てで 体や心を柔らかくして「受け入れる」、硬くこわばらせて「拒む」
[第二信]――村瀬 学
「共同の意志」にとりつく植松聖――「美」と「倫理」を取り違える深淵から
問うてはいけない「疑問」 「共同の意志」を画策する 総理大臣への手紙、トランプ氏への共感など「ヒロイズム」への傾斜 公判でのかみ合わないやりとり 「共同の意志」に従うとはどういうことになることか 加藤典洋の父と村上春樹の父と 「金閣寺」を燃やした林養賢「美しくなければ」 小林秀雄「金閣焼亡」 三島由紀夫『金閣寺』 「考言歩」の人間観批判
[第三信]――村瀬 学
「交わり」と「侵入」――津久井やまゆり園事件と新型コロナウイルス感染の接点を考えて
「〈喩〉としての生命体」が問われてきたのではないか 「交わり」について 閑さや岩にしみ入蟬の声 植松聖にとっての「観念の感染」とは 「戦争」下の「共同の倫理」 「三島由紀夫」が出てくる 再び「ウイルスの感染」と「観念の感染」について 「観念の粘膜」とは―「生存希求」へ
Ⅱ 極貧・貧困・超富裕
[第四信]――村瀬 学
貧しさについて
「貧しさ」とは 中国の問題 中国の巨大化する「胃袋」から 「左翼思想」の歴史がもつ「貧しさ」について 「見えない生きもの」への感じ方の「貧しさ」について 『飢餓陣営』というタイトルについて 「サイクル」を見ないようにする「貧しさ」について 「存在給付」とケアの思想と 補足「施設」について
[第五信]――佐藤幹夫
賢治童話と東北の飢饉・飢餓、そして永山則夫
賢治童話と東北の飢饉・飢餓 体験的宮沢賢治像から 「食べる思想」としての賢治童話 菅谷規矩雄『宮沢賢治序説』を読む 菅谷規矩雄の痛烈な賢治批判 なぜ飢饉は「東北」な
のか 永山則夫について 東北の飢饉と、賢治と永山 永山則夫の飢餓、死の中への遺棄 飢餓と暴力と死のなかで「無力」であること 『無知の涙』について なぜ「無知」だったのか 永山則夫と植松聖
Ⅲ 思想としての環境問題
[第六信]――村瀬 学
義憤について、肯定について――『人新世の「資本論」』を読みながら
はじめに 天地人草 「鳥の言葉」のこと 風(大気・気候・気象)が思想になる時代 斎藤幸平『人新世の「資本論」』の骨子 「義憤」について 吉本隆明の「資本主義」観と対比させてみると 「技術」とは―「資本主義」という名の下に何がイメージされているのか
ナウシカの乗る「メーヴェ」について 資本主義時代の「肯定」とは何なのだろうか 追伸 コモン(ともに)と資本主義を否定することについて
[第七信]――佐藤幹夫
「新たな時代のマルクス」をめぐって――賢治と吉本隆明と斎藤幸平
なぜ『人新世の「資本論」』を取り上げるのか 『人新世の「資本論」』はどう読まれるか 「風(気候)の思想」と「地球(環境)の思想」とエコロジー 斎藤幸平の語るエコロジー思想は「反動的」か 吉本隆明が描いた八〇年代の高度資本主義社会 科学技術は後戻りしない 吉本隆明の「平成版・大衆の原像」と人類の未来 生活者への視線と世界思想への視線 新自由主義と、「歴史の不可避力と必然力」 技術論からケア論へ―「開放的技術」と「閉鎖的技術」 吉本隆明と斎藤幸平―「都市と自然」、そして清貧の思想 「新たな時代のマルクスよ……」
「第八信」中継点から――村瀬 学
次のやりとりの準備のためのメモ
はじめに――見解の違いを味わう 「演芸的」について 資本主義の簡素な理解 斎藤幸平さんも資本家 吉本隆明さんの中流意識論への違和感 河上肇『貧乏物語 佐藤優現代語訳』を読んで 河上肇『貧乏物語』のたどった道 二人のノーベル賞受賞者の「時間給付」への抗議 楽天グループ三木谷浩史会長が岸田首相を「新社会主義」と批判 中国の歴史会議で「共同富裕」政策を 富裕層からの「寄付」というごまかし 宮沢賢治とマルクスの接点の詩のこと 吉本隆明とエコロジーとアフリカ的段階 「気象変動」観に違和をとなえる藤原辰史 「気候正義」と「食料主権」―同世代にいる斎藤幸平と藤原辰史
あとがき――「火」「放火」「戦車」「ミサイル」の世界史のなかで/村瀬 学
[第一信]――佐藤幹夫
ウイルスと、「優生思想」という観念が「うつる」ということ――〈講演〉録と「最終講義」を読んで
津久井やまゆり園事件とコロナパンデミック 「風をたずねるものはもういなくなったのか」について 彼はなぜ急変したのか 「戦後七五年」が行き着いた果てで 体や心を柔らかくして「受け入れる」、硬くこわばらせて「拒む」
[第二信]――村瀬 学
「共同の意志」にとりつく植松聖――「美」と「倫理」を取り違える深淵から
問うてはいけない「疑問」 「共同の意志」を画策する 総理大臣への手紙、トランプ氏への共感など「ヒロイズム」への傾斜 公判でのかみ合わないやりとり 「共同の意志」に従うとはどういうことになることか 加藤典洋の父と村上春樹の父と 「金閣寺」を燃やした林養賢「美しくなければ」 小林秀雄「金閣焼亡」 三島由紀夫『金閣寺』 「考言歩」の人間観批判
[第三信]――村瀬 学
「交わり」と「侵入」――津久井やまゆり園事件と新型コロナウイルス感染の接点を考えて
「〈喩〉としての生命体」が問われてきたのではないか 「交わり」について 閑さや岩にしみ入蟬の声 植松聖にとっての「観念の感染」とは 「戦争」下の「共同の倫理」 「三島由紀夫」が出てくる 再び「ウイルスの感染」と「観念の感染」について 「観念の粘膜」とは―「生存希求」へ
Ⅱ 極貧・貧困・超富裕
[第四信]――村瀬 学
貧しさについて
「貧しさ」とは 中国の問題 中国の巨大化する「胃袋」から 「左翼思想」の歴史がもつ「貧しさ」について 「見えない生きもの」への感じ方の「貧しさ」について 『飢餓陣営』というタイトルについて 「サイクル」を見ないようにする「貧しさ」について 「存在給付」とケアの思想と 補足「施設」について
[第五信]――佐藤幹夫
賢治童話と東北の飢饉・飢餓、そして永山則夫
賢治童話と東北の飢饉・飢餓 体験的宮沢賢治像から 「食べる思想」としての賢治童話 菅谷規矩雄『宮沢賢治序説』を読む 菅谷規矩雄の痛烈な賢治批判 なぜ飢饉は「東北」な
のか 永山則夫について 東北の飢饉と、賢治と永山 永山則夫の飢餓、死の中への遺棄 飢餓と暴力と死のなかで「無力」であること 『無知の涙』について なぜ「無知」だったのか 永山則夫と植松聖
Ⅲ 思想としての環境問題
[第六信]――村瀬 学
義憤について、肯定について――『人新世の「資本論」』を読みながら
はじめに 天地人草 「鳥の言葉」のこと 風(大気・気候・気象)が思想になる時代 斎藤幸平『人新世の「資本論」』の骨子 「義憤」について 吉本隆明の「資本主義」観と対比させてみると 「技術」とは―「資本主義」という名の下に何がイメージされているのか
ナウシカの乗る「メーヴェ」について 資本主義時代の「肯定」とは何なのだろうか 追伸 コモン(ともに)と資本主義を否定することについて
[第七信]――佐藤幹夫
「新たな時代のマルクス」をめぐって――賢治と吉本隆明と斎藤幸平
なぜ『人新世の「資本論」』を取り上げるのか 『人新世の「資本論」』はどう読まれるか 「風(気候)の思想」と「地球(環境)の思想」とエコロジー 斎藤幸平の語るエコロジー思想は「反動的」か 吉本隆明が描いた八〇年代の高度資本主義社会 科学技術は後戻りしない 吉本隆明の「平成版・大衆の原像」と人類の未来 生活者への視線と世界思想への視線 新自由主義と、「歴史の不可避力と必然力」 技術論からケア論へ―「開放的技術」と「閉鎖的技術」 吉本隆明と斎藤幸平―「都市と自然」、そして清貧の思想 「新たな時代のマルクスよ……」
「第八信」中継点から――村瀬 学
次のやりとりの準備のためのメモ
はじめに――見解の違いを味わう 「演芸的」について 資本主義の簡素な理解 斎藤幸平さんも資本家 吉本隆明さんの中流意識論への違和感 河上肇『貧乏物語 佐藤優現代語訳』を読んで 河上肇『貧乏物語』のたどった道 二人のノーベル賞受賞者の「時間給付」への抗議 楽天グループ三木谷浩史会長が岸田首相を「新社会主義」と批判 中国の歴史会議で「共同富裕」政策を 富裕層からの「寄付」というごまかし 宮沢賢治とマルクスの接点の詩のこと 吉本隆明とエコロジーとアフリカ的段階 「気象変動」観に違和をとなえる藤原辰史 「気候正義」と「食料主権」―同世代にいる斎藤幸平と藤原辰史
あとがき――「火」「放火」「戦車」「ミサイル」の世界史のなかで/村瀬 学
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