タイトル | 起きろ石ころ |
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刊行日 | 2024年11月30日 |
著者 | 清水安三 |
定価 | 3000円+税 |
ISBN | 978-4-8460-2467-3 |
Cコード | C0023 |
ページ数 | 464 |
判型 | 四六 |
製本 | 並製 |
内容
「わが国教育界の戦後派の巨星」(キリスト新聞)が残した渾身の一冊!
桜美林学園創立者が1965年当時、新聞に連載した手記、初の書籍化!
戦時下での制約から解放された筆者による貴重な教育史。
本書は戦前に中国の貧困な女子のための学校を作って「北京の聖者」といわれ、
戦後は桜美林学園を設立した清水安三の、「天性賦与の奇智」あふれる一代記!
日中関係の歴史をかえりみさせるノンフィクションでもある。
桜美林学園創立者が1965年当時、新聞に連載した手記、初の書籍化!
戦時下での制約から解放された筆者による貴重な教育史。
本書は戦前に中国の貧困な女子のための学校を作って「北京の聖者」といわれ、
戦後は桜美林学園を設立した清水安三の、「天性賦与の奇智」あふれる一代記!
日中関係の歴史をかえりみさせるノンフィクションでもある。
著者紹介
清水安三(しみず・やすぞう)
桜美林学園創立者
1891年、滋賀県生まれ。中学時代にW. M. ヴォーリズと出会い、同志社神学部に進学。
1917年、キリスト教の伝道者として中国へ渡る。
1921年、貧困のうちにある中国人女児の教育のため、崇貞学校(のちに崇貞学園)を妻の美穂とともに北京の朝陽門外に設立。
1924‒26年、米国オハイオ州オベリン大学に留学。
美穂の死去後に再婚した郁子とともに崇貞学園を運営したが、学園は敗戦により北京政府に接収される。
1946年に帰国し、妻の郁子とともに東京郊外に学校法人桜美林学園を創立、
「キリスト教精神に基づく国際人の育成」を建学の精神に掲げる。
学びて人に仕えることを意味する「学而事人」は、清水安三が大切にした言葉であり、同学園のモットーとなっている。
1988年に死去、享年96。
桜美林学園創立者
1891年、滋賀県生まれ。中学時代にW. M. ヴォーリズと出会い、同志社神学部に進学。
1917年、キリスト教の伝道者として中国へ渡る。
1921年、貧困のうちにある中国人女児の教育のため、崇貞学校(のちに崇貞学園)を妻の美穂とともに北京の朝陽門外に設立。
1924‒26年、米国オハイオ州オベリン大学に留学。
美穂の死去後に再婚した郁子とともに崇貞学園を運営したが、学園は敗戦により北京政府に接収される。
1946年に帰国し、妻の郁子とともに東京郊外に学校法人桜美林学園を創立、
「キリスト教精神に基づく国際人の育成」を建学の精神に掲げる。
学びて人に仕えることを意味する「学而事人」は、清水安三が大切にした言葉であり、同学園のモットーとなっている。
1988年に死去、享年96。
目次
第一章 幼少期から同志社時代まで(一八九一〜一九一七)
第二章 中国での活動のはじまり(一九一七〜一九二六)
第三章 崇貞学園の時代(一九二六〜一九四六)
第四章 桜美林学園時代(一九四六〜一九六八)
第二章 中国での活動のはじまり(一九一七〜一九二六)
第三章 崇貞学園の時代(一九二六〜一九四六)
第四章 桜美林学園時代(一九四六〜一九六八)
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