『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.040

Ⅳ 日蓮仏法論

 

日蓮を本尊にした曼荼羅


念仏の次は、密教だ!

 

日蓮は、法華経の行者を本尊とする曼荼羅を、どのような目的で書き始めたのでしょう。

 

曼荼羅の表示と並んで、佐渡以降、日蓮に顕著に見られた変化は、密教(真言宗・天台宗)に対する攻撃です。それまでも密教への批判がまったくなかったわけではないのですが、佐渡流罪を境に本格的に準備し、攻撃を開始しました。

 

そもそも曼荼羅は、密教による世界観を図示したもので、大日如来を本尊とし、祈祷・修法には欠かせないものでした。この本尊を、大日如来から法華経の行者に代えた日蓮の曼荼羅は、それ自体が密教の否定であり、攻撃だったのです。かつて念仏に対抗して、帰命の対象を阿弥陀仏から妙法蓮華経に改めて法華経信仰の再興を目指した日蓮は、今度は本尊を大日如来から法華経の行者である日蓮に改めた曼荼羅を示して密教に対抗し、末法における新たな法華経信仰を確立しようとしたのです。

 

日蓮は、自身を本尊とした新たな法華経信仰が、釈迦の末法において、真実無二の仏法として海外に流布していくことになる、とも述べました。内村鑑三は『代表的日本人』の中で次のように語っています。

 

「日蓮の大望は、同時代の世界全体を視野に収めていました。仏教は、それまでインドから日本へと東に向かって進んできたが、日蓮以後は改良されて、日本からインドへ、西に向かって進むと日蓮は語っています。これでわかるように、受け身で受容的な日本人にあって、日蓮は例外的な存在でありました」

 

日蓮の創造性と独立心は、世界を視野に収めた大望を有する点でも発揮されたと内村は言います。そして、結論として次のように述べています。

 

「闘争好きを除いた日蓮、これが私どもの理想とする宗教者であります」

 

読者の皆さんは、この内村の意見をどう思われたでしょう。念仏、密教への攻撃を通して法華経信仰を再興しようとした日蓮から、闘争を差し引いてしまったら、果たして日蓮の独創性はあったでしょうか。日蓮は徹頭徹尾、闘争の人でした。闘争こそ日蓮の創造性と独立心の源です。それを確認するために、なぜ日蓮は密教を攻撃したのか、その理由を考えてみたいと思います。

 

江間浩人

 

—次回2月1日公開—

 

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