ミステリーな日蓮 #020〈日蓮の誓い われ日本の柱とならむ!〉

⑳〈日蓮の誓い われ日本の柱とならむ!〉

 

 日蓮が執権・北条時宗に求めているのは、端的に諸宗による祈祷の停止と日蓮による祈祷です。そのための幕府主宰による諸宗との討論・法論です。日蓮は、幕府が法論さえ実現してくれれば、必ず諸宗に勝利すると確信しています。そして勝利の暁には国師となって幕府を助け、国を安穏にするために祈祷ができる、と認識しているのです。

 

 だから日蓮は、要人への書状において、諸宗の高僧と召し合わせられることを「本望」と述べ、「日蓮が本望を遂げしめ給え」と懇願します。一方、諸宗の高僧に対しては「日蓮に帰依すべし」と迫り、「対決の時を期す」と手ぐすねを引きます。日蓮の目標、それは国師だったのです。

 

 この時、法論は実現しません。しかし日蓮は、その後も幕府による法論を求め続けます。門下が私的な法論で勝利した際も、今後は幕府による法論以外は相手にするな、と注意を与えていますし、幕府要人から祈祷の要請があった際も、それを断ったようです。日蓮は、あくまでも国師としての祈祷を求めます。日蓮は次のように述べます。

 

 「伝教大師は叡山を立て、一切衆生の眼目となる。結局、七大寺は落ちて弟子となり、諸国は檀那となる」(撰時抄)

 

 伝教大師(最澄)のように、仏教界の頂点に法華経を掲げ、諸宗と僧尼の序列、再編を図り、国をあげて日蓮に帰依する姿を理想としているのです。

 

 ところで日蓮は、国師になろうとの目標をいつごろから抱いていたのでしょう。

 

 日蓮は、佐渡に流罪となった際、法華経の経文通り実践しているのに、法華経の行者を守ると誓ったはずの神々や諸仏が、なぜ自分を守らないのか、と悩みます。その煩悶の中で、次の有名な一節が宣言されます。

 

 「われ日本の柱とならむ、われ日本の眼目とならむ、われ日本の大船とならむ等と誓いし願い破るべからず」

 

 神々や諸仏が自分を守らなくてもいい、どんな厳しい迫害にあってもいい、ただ命をかけて法華経信仰を貫くだけだ、とかたい決意を披歴した後で、「必ず日本の柱になると誓った願いだけは絶対に破らない」と当初からの誓願を反芻して、自らを鼓舞しているのです。日蓮が国師になると決意したのは、かなり早い時期だったことが伺えます。続きは次回に。

 

—ご感想はお問い合わせメールまで(次回は9/1予定)—

 

江間浩人(2017.8.1)

 

《コラムのバックナンバー》

#019〈私の祈祷でなければ、叶わないのだ!〉

#018〈日蓮は国師を目指した〉

#017〈祈祷がなければ仏教じゃない〉

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