⑥ 角田喜久雄と山中共古
小田光雄
時代小説を読み始めた頃に、それらを多く収録した春陽文庫の存在を知った。しかし当時の商店街の書店には春陽文庫があまり並んでおらず、幸いなことに深入りしなかった。それにカバー表紙はかかっていたものの、見るからに垢抜けなく、魅力的でなかったからだ。これは後になって考えれば、最も広範な大衆小説群の世界ともいうべき春陽文庫は、1960年代の出版業界において、社会科学や思想の岩波文庫、文学中心の新潮文庫や角川文庫などに比べて、評価が高くなかったこと、それから春陽堂の営業力が欠けていたことによっているのだろう。
それに確か春陽文庫目録もなかったはずで、1991年に『春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)』が出されるまではその明細も定かでなかった。その代わりといっていいのか、60年代には『春陽文庫の作家たち』という、作家と作品の紹介を兼ねた目録が発行されていた。もちろん、これを入手したのはずっと後の今世紀に入ってのことで、塩澤実信『倶楽部雑誌探究』(「出版人に聞く」シリーズ13)の資料として必要とされたからだ。そこには角田喜久雄の「伝奇時代小説の傑作」として、『どくろ銭』も書影入りで紹介されている。時代小説史などでこの作品は『髑髏銭』と表記されているが、ここでは春陽文庫名に従うし、この表記そのものが読者層を浮かび上がらせていよう。
この角田に関しては、原田裕『戦後の講談社と東都書房』(同14)でも言及されていて、50年代には角田が当代の人気作家で、原稿料が最も高かったという。それはまだ戦前の角田の「伝奇時代小説」の人気が保たれていたことを示している。そのような時代に私も『どくろ銭』を読んだことになる。手元に古本屋で再入手した同書の71年版第18刷があるが、初版は1952年で、戦前の37年に春陽堂が単行本を出版していることから、当代の人気作家として文庫化されたと推測される。第18刷とは殆んど毎年の重版を意味し、前回の山手樹一郎『又四郎行状記』もそうだったけれど、春陽文庫の固定読者層の存在を伝えている。
『どくろ銭』の伝奇時代小説の謎と怪奇に包まれた波乱万丈のストーリーは、大衆文学研究会編『歴史・時代小説ベスト113』(中公文庫)などに紹介されているので、そちらに譲り、ここではそのタイトルに象徴される謎の核心としての古銭に触れてみたい。その部分を引用してみる。
そもそも浮田兵衛古銭を愛し数多収集ありしが、中にも皇朝十二銭ならびに開基勝宝大平元宝の奇銭を加えたる十四枚をかたく秘蔵し歴代これを伝う。いずれも裏面にどくろの刻印を打つがゆえにこれをどくろ銭と通称し、いわゆる浮田の八宝が所在を尋ぬるかぎなりと称す。
浮田の八宝とはなんぞ。尾瀬大納言頼国卿尾瀬の地にありて再挙をはかり志ある者と通じひそかに集積せる金銀武具のたぐいなりと伝え、その埋蔵の地は広く関八州に及ぶという。
これらの事実が物語内テキストとしての『精撰皇朝銭譜』に書かれていて、このどくろ銭が物語を支えるコアに他ならない。
最初に読んだ時は当然のことながら、古銭に関しての知識もなく、どくろ銭も単なるこのような時代小説特有のフィクションと考えていた。しかし柳田国男から民俗学の先達として敬われた、旧幕臣でメソジスト教会牧師の山中共古を読み、『共古日録抄/見付次第』(パピルス)を編纂するに及んで、共古が古銭の専門家でもあることを知った。そして『集古会誌』などに「がんくび銭」や「古銭の話」などを書き、やはり旧幕臣の成島柳北も古銭研究者で、『明治新撰泉譜』なる一冊を上梓していることを教えられた。そこで前回の柳田民俗学と『大菩薩峠』の関係ではないけれど、角田もこれらを読んでいて、「がんくび銭」から「どくろ銭」のヒントを得たのではないか、先述の『精撰皇朝銭譜』というタイトルは、これも共古がふれている江戸時代の銭書『皇朝銭図』と柳北の一緒からとられたのではないかと思ったのである。
また山口昌男は『内田魯庵山脈』(晶文社)を高浜虚子の「杏の落ちる音」(『定本高浜虚子全集』第7巻所収、毎日新聞社)から始めていて、この主人公の平岡緑雨は古銭家として設定されている。緑雨は作品中においても、支那から大量に持ちこまれた古銭を購入している。そのモデルは集古会のメンバーだった岡田紫男で、実際に代々の古銭家であり、この小説と紫男をめぐって、魯庵は「『杏の落ちる音』の主人公」(『内田魯庵衆』所収、『明治文学全集』24)を書いている。
共古の古銭論や虚子の小説は明治末期から昭和初期にかけて書かれているが、たまたま昭和十年前後に出された好古斎道人編『趣味の古銭』(近代文芸社)、中橋掬泉編『新撰古銭大鑑』(成光館書店)を入手しているので、角田が『どくろ銭』を書いた時代はまさに古銭が趣味のひとつとして語られていたことになろう、それゆえに古銭と伝奇時代小説が結びつき、『どくろ銭』という特異な作品が生まれ、好評を博したのであろう。
『戦後の講談社と東都書房』において、角田は将棋狂として語られ、『どくろ銭』と並ぶ昭和三代傑作『妖棋伝』や『風雲将棋谷』(いずれも春陽文庫)の作者の由来を彷彿させてくれる。だがおそらく角田は将棋だけでなく、様々な趣味の世界を巡歴したはずで、そのした意味において、集古会には属していなかったにしても、山中共古や岡田紫男と同様の趣味を有し、集古会的精神の近傍にいたと思われる。このように考えてみると、共古の古銭論や『集古会誌』『集古』などを角田が読んでいて、それを『どくろ銭』などの作品へと東映させていたという私の仮説は、あながち間違っていないのではないだろうか。
なお共古の古銭論は、青裳堂書店の『山中共古全集』4に収録されている。
—(第5回 2016.8.15予定)—
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