本を読む #073〈つげ義春『夢の散歩』〉

(73) つげ義春『夢の散歩』

 

小田光雄

 

2回続けて、フランスの「バンド・デシネ」を取り上げてきたこともあり、日本の「バンド・デシネ」的大判コミックに関しても言及しておきたい。それは青林堂や北冬書房を中心として、1970年代から試みられてきたからである。もちろん大量生産と大量消費を宿命づけられた大手出版社のコミックと異なり、雑誌コードも付されず、少部数の書籍と同じ流通販売システムによっていたので、当時の読者にしても、目にふれる機会は少なかったと思われる。それに当時はコミック売場のある書店自体がほとんどなかったからだ。

 

1975年に北冬書房から「つげ義春新作集」として『夢の散歩』が刊行されている。A4判上製、261ページで、表題作を始めとする9編が収録され、函のカバー表には自転車を手にして町の狭い道をたどっていこうとする青年の後ろ姿が描かれ、そのつげによる鮮やかといっていいカラーの絵柄は、彼ならではの世界へと誘うような雰囲気に充ちている。黒地の背の上部にも同じ白抜きのタイトルの下に自転車と青年の後ろ姿がそのまま使われている。だがカバー裏には円の中で大きく脚を広げている全裸の女性像が置かれ、それは向かう先がエロスの世界であることを暗示されているかのようだ。ただこの表紙は初版だけに見られるもので、再版は函もなく異装化され、エロスの気配が希薄になったと記憶している。

 

エロスの世界への接近は冒頭の『夢の散歩』にも明らかで、最初に読んだ時にはそれまでのつげの印象と異なる志向を垣間見たような気にさせられたし、構図やストーリーについても同様だった。あたかもつげがキリコの世界へと迷いこみ、性的妄想をたくましくし、それを実行するという物語のようでもあり、あらためて読んでみる。その前に留意すべきは1枚の口絵が置かれ、そこでは溶解してしまった風景の中で、途方にくれている様子の青年と自転車が夢を想起させる茫洋とした姿を表わしていることだろう。

 

そしてタイトルページには青年と日傘で顔が見えない女性の並列像が提出され、「夢の散歩」が始まっていく。最初の1ページは一面に空と広い道路と街路樹が描かれているけれど、それは無言の空っぽの世界のようで、歩道にいる自転車を手にした青年と道路の中央のバス停で日傘をさし、子どもを連れている女性が点景として見えている。2ページ目からは点景だった青年と女性がアップされ、彼は道路を渡り、バス停へと近づいていき、そこで母子と並ぶ。

 

すると突然、交番を背景にして警官が現われ、「ピッピッピ」と笛を鳴らし、母子に対して「ここは横断禁止なのがわからないのですか/坂の下のガードをくぐりなさい」と指示する。それは青年にも向けられ、「おこられる・・・・・・/すみません」とあやまり、これも点景のようだった家の横にある坂道のほうに向かうと、母子もついてくる。その家には人影も見えている。ところがそこはガードレールが壊れてなくなり、ぬかるみ状態の坂があるだけで、降りていくと、ドブと先の家に突き当たる。この家の裏側にまわればガードトンネルへ行く道があるはずで、裏側から見たガードレールを含むパースペクティブが挿入される。

 

青年は自転車とともにドブにかけられた細い橋をようやく渡り、「あの奥さん渡れるのかな・・・・・・」と思う。すると坂の上では子どもがぬかるみにはまったようで、「奥さん」が膝をつき、あわてている姿がロングショットで捉えられる。そしてページが変わると、「奥さん」の尻がむき出しになった後ろ姿がクローズアップされ、それを見て、青年は「あんなにパンツがずりおちて・・・・・・」と述懐する。その時の青年の顔は「奥さん」と同じく黒いままで、表情はうかがえない。青年は「奥さん」がパンツを上げようとしているのを目にしながら、ズボンを下ろし、背後から犯す。「奥さん」は驚きはしたようだが、抵抗せずに声をもらし、青年はことを果たし、それに気づかず、ぬかるみから解放された子どもの姿も描かれている。そして何もなかったかのように、家の裏側のパースペクティブが再現され、自転車とともにガードトンネルに向かっていく青年と、坂の半ばに佇んでいる母子の姿が対照的に示され、青年の「あの奥さん明日も散歩にくるかな」というモノローグで終わっている。

 

このタイトルページを含めて13ページ、30コマの「夢の散歩」は1968年につげの名前を知らしめた「ねじ式」に通じる夢幻性とエロスのありかをコアとする物語と見なせよう。それは『夢の散歩』所収の「夏の思いで」「事件」も同様であり、発表掲載誌がこれも北冬書房のリトルマガジン『夜行』だったこととも密接に絡んでいると推察される。やはり所収の「懐しいひと」で、「北逃書房」は「短篇でいいのよ安いんだから」とのセリフを見出せるにしても。1970年代前半において、つげと北冬書房の高野慎三の意向がそうした夢幻性とエロスの探求にあったようにも思える。

 

同じく所収の「下宿の頃」「懐しいひと」「義男の青春」は日常的エロスをテーマとして、『ヤングコミック』や『漫画サンデー』などの「娯楽雑誌」に発表されたことを考えると、この『夢の散歩』としてまとめられた「つげ義春新作集」は「ねじ式」に垣間見えていたエロスの世界へと、さらに踏みこんでいこうとした集成として成立したのではないだろうか。

 

その後、やはり大判の林静一『ph4.5グッピーは死なない』(改訂版、青林工芸舎、1999年)、つげ忠男『曼陀羅華綺譚』(北冬書房、2011年)を読み、『夢の散歩』がもたらしたエロスの世界の行方を垣間見たように思われた。

 

—(第74回、2022年3月15日予定)—

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