⑯〈天台僧の日蓮が、天台宗を撃つ〉
日蓮にとって、密教との対決は、とても難題で周到な準備が必要でした。それは、なぜでしょうか。
日蓮は、仏教界では正統な主流派にいます。当時の主流派は、最澄(伝教大師)の定めた通り、比叡山(天台宗)で山家学生式に則った12年に及ぶ山籠もりの修行を経た者です。当初は、毎年、わずか2名の試験合格者にしか許されない修行で、無事に終了すれば、師匠から阿闍梨(あじゃり)号が授けられます。最近でこそ、日蓮の籠山行に言及する人も現れていますが、以前は、日蓮とは無縁の修行だと思われていました。
日蓮は、叡山での12年間、法華経をはじめ金光明経、仁王経などの護国経と呼ばれる経典と、その解説書などを、徹底して暗記・暗唱し、学んでいきました。修養の第一は、何と言っても暗記です。日蓮は叡山に登る前、清澄寺の本尊であった虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となしたまえ」と祈ったとされていますが、この時、日蓮は記憶力増進の修養を行ったようです。当時、暗記がいかに大事であったかが分かります。日蓮は門下に宛てた手紙の中で、護国経の経文を数多く引用し、それらを縦横無尽に活用しています。また、佐渡流罪の当初、主要な経典が散逸していたにもかかわらず、日蓮の経典の引用に特段の違いはありません。いずれも日蓮が経文を暗記していたからで、叡山での修養のたまものと言えるでしょう。
叡山で授戒され、阿闍梨号を受けた日蓮は、中国の智顗(天台大師)、日本の最澄の流れを汲む正統派の法華経者として、活動を始めます。ところが、日本仏教の総本山とでもいうべき比叡山の天台宗は、すでに9世紀、第三祖の円仁(慈覚大師)が密教を法華経の上位に置き、密教化していたのです。日蓮が浄土宗と争うことは、天台宗も専修念仏の禁止を求めていたので、教義上も日蓮の立場からも難しいことではありませんでしたが、相手が密教となれば話は別です。
日蓮は、幕府に「立正安国論」を提出する際、次のように記しました。「天台沙門日蓮撰」――天台宗の僧である日蓮が著述した、という意味です。密教批判は、天台僧を名乗る日蓮が、総本山の天台宗に弓を引く行為になるわけです。(#017〈祈祷がなければ仏教じゃない〉に続く)
江間浩人(2017.4.1)
*西山茂東洋大学名誉教授は、「日蓮教学の根本には実践がある。教学と実践の両方を学び、日蓮教学を現代社会で再歴史化しよう」と提案しています。日蓮の教えの蘇生には、日蓮と同じ闘争が必要です。日蓮の教説は、法華経身読と不可分のものです。したがって、闘争なき蘇生は成立しようがありません。日蓮の門下には、覚悟が必要なのです。
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