矢口英佑のナナメ読み #084 『スマホ社会と紙の本』

No.84『スマホ社会と紙の本』

 

 

矢口英佑

 

2023年の内閣府による消費動向調査によると、日本の総世帯におけるスマートフォンの普及率は、89.9%で総世帯平均所有台数は2,03台だったという。また、NTTドコモのモバイル社会研究所の2023年11月の調査では、子どものスマートフォン所有率は、小学6年生で半数を超え、中学生では7割を超え、3年生では8割に達しているという。

 

こうした統計的な数字に驚きを感じないのは、幼子を連れた親が電車内などで子どもがむずかるのを防ぐためにスマホの動画を見せている姿が日常の風景になっているからだろうか。

 

今や生まれ落ちた時からスマホがそこにあり、やがて指で触れれば画面が変わる面白いおもちゃとなり、さらに就学時期になれば通信、情報、知識を得るのに欠かせない道具となり始めるのである。かくして片時もスマホを手放さず、歩いているときでさえ前を向いて歩いている歩行者が数えるほどしかおらず、衝突することも珍しくない社会を私たちは現出させてしまっているのだ。

 

その意味では、本書の書名に「スマホ社会」とあるのは、まったくその通りだろう。だが、書名を私なりに解釈すると、「スマホの虜になってしまった社会」と言えるのかもしれない。

 

それではこうした「スマホ社会」に対する著者の姿勢は?

 

少なくとも本書のテーマである〝読書〟に限れば、「紙の本」と敢えて「紙」を書名に入れて特記していることからも理解できるように、「スマホ社会」に大きな懸念を抱き、活字文化の先行きに不安を抱いているのはまちがいない。したがって、当然とも言えるのだが、著者の姿勢には〝学問のすすめ〟ならぬ、〝紙の本による読書のすすめ〟があり、さまざまな面から「紙の本」の効用が説かれていく。

 

ただし、著者は「スマホ社会」を全面排除しようとしているわけではない。パソコンやスマホ、タブレットなどでの読書や文章活用も容認しながら、だからこそ「紙の本」での読書の方がいかに読書する者に有益で、優れているのかを国内外の作家や評論家の言葉を引き合いに出したり、統計資料なども駆使したりして、多面的に「紙の本の読書」をすすめている。

 

なぜすすめるのか。著者は「はじめに」で記しているが、先ず前提として「グローバル化や効率化優先のもと」「画一化・均質化された商品やサービス」が大量に「量産され量販され」、それに何ら疑問を抱かない人びとが増えていることへの懸念がある。さらに「デジタル化やネット化も加わって」、情報獲得や通信手段の著しいスピードアップ化とそれに伴う「画一化」「均質化」されてしまっている現在の社会に対して批判的でもある。

 

さらに著者は同じく「はじめに」で、藤原智美の言葉を以下のように引用している。

 

「そもそも人々は、孤独に耐える力、個を自立させる力を書きことばに求めたのではなかったのか。(中略)書きことばとは突き詰めると、自己との対話であり、思考である。……孤立した思考世界で対話することは、ネットではなく本でなければならない。そこには〈つながらない〉価値がある」

 

つまり、著者には何よりも読書そのものの重要さを多くの人びとに知ってもらい、手にした書物の文章世界から与えられた刺激にみずからの思考をぶつけることで自己との対話を繰り返すようにとの強い思いがあるのが理解できるだろう。

 

そのため、本書の第1章「読書体験」では、先ず著者自身の人生の歩みの中で出遭った書物との思い出やそれらの書物から何を得ようとしていたのかが語られている。さらに国内外の作家や文芸評論家が読書について、あるいは著者が読んだ書物についてどのように捉えていたのかを示している。ここからは、人生にとって読書がいかにその読み手に大きな影響を与えてきたのかが明瞭に見えてくる。

 

第2章の「本の三つの特性」は、本書の中心テーマと位置づけてもいいのだろうが、本には三つの特性があるとして、次のように記している。

 

(1)「読者が本を好むのは、本に〈アフォーダンス〉があるからではないか」

(2)「本はそれぞれ、読者の人生行路と密接につながる個別性に富んだ〈里程標〉となり得る」

(3)「読書や本は、ストレスに煩わされず居心地がよい場所の〈サードプレイス〉とめっぽう相性がよい」(「はじめに」より)

 

これらの三点は、「ネット社会」「スマホ社会」になって紙の本の退潮があまりにもあからさまになった危機感から敢えて声高に言われている内容ではない。紙の本がまだ勢いがあった時代から、すでにそれぞれの文章表現者たちによって異なる言葉で語られ、指摘されてきた本の特性と言えるものである。

 

それだけに著者によって本の特性として、あらためて3つに整理して提示されてみると理解しやすく、納得できる。電子化される書籍が増大してきているからこそ、紙の本の優れた点を理解してもらい、紙の本を手にする読者減の流れを食い止める、あるいはネット社会に飲み込まれるのを防ごうとする、著者の苦心が反映されているとも言えるだろう。

 

そして、著者が挙げている(1)に見える〝アフォーダンス(affordance)〟という概念で本の特性を解釈するのは斬新である。アメリカのジェームズ・J・ギブソンが唱え始めた〝アフォーダンス〟とは、著者の言葉を借りれば「そこに生活する人や動物に環境がアフォード(提供する)価値や意味」があるというものである。もともと認知心理学の理論だがそれを本の特性にも当てはめようとしている。この理論を本へ応用することが広く知られているわけではないため、著者は江藤淳、篠田節子、池澤夏樹といった作家たちの本の特質についての言葉を引用しながら〝アフォーダンス〟と重ね合わせて説明するとともに、次のようにも付け加えている。

 

 「紙の本と電子書籍の違いを考える場合にも、「形を持たず無形の〈電子書籍〉ではアフォーダンスが働かない、ないしは働きにくいが、ものの形があり固形物である〈紙の本〉にはギブソン流のアフォーダンスがしっかり働く」という違いを考慮に入れると、わかりやすくなる」

 

紙の本は寝転がって読むこともできれば、電車内でも読めるし、時にはファッションにもなり得るのはそのためである。アフォーダンスが働くからにほかならない。

 

本の特性の(2)は、一冊の本との出会いがその人間の人生に決定的な意味を持たせることにもなり得ることを説いており、(3)では、家や職場とは異なる居心地の良い第三の場所で、本がそばにあることの優れたマッチングを説いたもので、誰にも煩わされずに一人でいられる場所での読書経験は多くの人が持っているにちがいない。

 

さらに言えば、本そのものが〈サードプレイス〉にもなると言えるだろう。

 

「紙の本による読書のすすめ」が本書のテーマだが、著者はスマホ社会、ネット社会への目配りも周到で、第4章「ネット時代に本とどう付き合うか」、第5章「電子書籍化の流れ」第6章「ネット時代、本に望む」といようにネット社会となってしまっている現代社会に紙の本を常に照射させながらネット社会、スマホ社会がもたらしている現状分析をさまざまな角度から行なっていることも本書の特筆すべき点である。

 

そして、著者はスマホ社会、ネット社会とそれらに押され気味の紙の本、この両者の関係について、

 

「紙の本とデジタルが併存できるようにと、今しばらくはいずれのメディアとも、可能な限り工夫を重ねることが必要である。

的確で奥行きのある活字メディアの客観情報、双方向性のある検索可能で大量迅速のデジタル情報——それぞれ互いに相補性がある。

来し方を振り返り、往く先を見渡す。険しい道のりだろうが、決してできないことではない」

 

とまとめており、著者の現時点までの総括と見て差し支えないだろう。

 

それにしても10人中9人がスマホを持つ現在の日本、せめて1日24時間はスマホを手放してネット社会から脱けだし、「休肝日」ならぬ「脱スマホ日」を作ることも必要になってきているように思えて仕方ない。〝紙の本による読書のすすめ〟に応えるためにも。

 

 

(やぐち・えいすけ)

 

 

 

 

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