本を読む #003〈知られざる貸本マンガ研究家〉

③ 知られざる貸本マンガ研究家

                                      小田光雄

 

 白土三平の『カムイ伝』を読んでいたのも中学時代で、それは1964年に青林堂から『ガロ』が創刊され、そこで連載が始まっていたからである。ただもはや関心は小説などの活字のほうに移り、所謂「マンガ雑誌」からは卒業していたこともあって、商店街の書店での立ち読みだったけれど。

 

 それをどこまで読んだのかは記憶していないが、66年に小学館の「ゴールデン・コミックス」として、白土の『忍者武芸帳』とともに『カムイ伝』も刊行され始め、これを機として、この小学館版で両者を読むことになった。それに私は小学生の時に貸本屋で、『忍者武芸帳』を途中までしか読んでいなかったので、ここでようやく「影丸伝」の終わりまでを見届けたのである。それは私だけでなく、戦後世代に共通する体験だと思われる。

 

 しかし私の貸本屋体験といっても、それは農村の駄菓子屋を兼ねた商店の一角に置かれていた数本の棚に他ならず、せいぜい数百冊の世界だったはずだ。そうした私的事柄も影響し、また現在のように貸本マンガ研究や復刻もなされていなかったので、白土三平がプロレタリア画家の岡本唐貴を父とすることは知っていたけれど、『忍者武芸帳』や『カムイ伝』に至る前史にそれほど関心を払ってこなかった。

 

 だがこれも十年以上前のことになるのだが、浜松の古本屋時代舎で、ほぼ同世代の高木宏という貸本マンガ研究家を紹介されたことがあった。時代舎の田村和典の言によれば、高木は戦後の貸本マンガに最も精通している人物で、姉妹がいたこともあって、少女マンガにもすべて目を通していて、まさにその分野では比類なき知識を有しているとのことだった。またその研究の成果として、以前に自費出版の刊行物も出しているけれど、少部数のために、もはや入手できないとの話も聞いていた。後にこれが貸本マンガ史研究会編・著『貸本マンガRETURNS』(ポプラ社、2006年)の「参考資料」として一冊だけ挙がっている、高木宏「貸本マンガ本発行資料『大一大万大吉』」であることを知った。

 

 さてそれらはともかく、この高木と時代舎で立ち話をし、ふとしたことで『忍者武芸帳』のことに話が及んだ。すると高木はたちどころに、その原型は手塚治虫の『エンゼルの丘』だと断言したのである。それを聞き、たまたま時代舎に『手塚治虫漫画全集』版の『エンゼルの丘』全2巻があったので、購入してきて読んだのだが、『忍者武芸帳』との関連やアナロジーを確認することはできなかった。そこでもう一度会うことがあれば、そのことを尋ねてみたいと思っているうちに、もはや十年以上が過ぎてしまったのである。

 

 そのような次第もあって、野上暁『小学館の学年誌と児童書』(「出版人に聞く」シリーズ18)の中でも、高木とその指摘にふれておいた。それは野上が同書でも語っているように、彼は白土の貸本マンガデビュー作『こがらし剣士』などを始めとする復刻を手がけた小学館クリエイティブの企画編集者兼経営者でもあったし、また貸本マンガ史研究会のリトルマガジン『貸本マンガ史研究』(シナプス)の関係者だったからだ。それゆえに私の発言は、野上の周辺の読者も含めての教示を期待してのものだったけれど、残念ながら何の情報ももたらされなかった。

 

 そこで高木のことに関して、もう少し書いておきたい。これも先の田村から聞いているのだが、貸本マンガについての高木の知識は、コミック出版関係者や研究者をはるかに上回っていて、それは彼らだけでなく、当のマンガ家の琴線にもふれてしまうようなことがよく起き、それゆえに高木が敬遠される要因と事情となっているという。そうした典型が、『忍者武芸帳』の原型は『エンゼルの丘』にあるとの発言で、それは白土にとっても予期せぬ煩わしい洞察だったとされ、この指摘をきっかけにして、白土はその高木をモデルにして『カムイ外伝』の一作を書いたと伝えられている。

 

 その作品は『カムイ外伝』16所収の「遠州」(1985年9月8日)である。すなわちこの遠州という人物は、当の人物に似てはいないが、浜松の高木をメタファーにしたとされ、同巻の表紙には大きく描かれている。このストーリーを簡略にたどってみる。抜忍のカムイはサブと称し、土木工事の現場で働いている。そこに遠州と名乗る男が現われ、一緒に組むことになる。その遠州がいう。「サブ、おめえ誰かに狙われてるんじゃねえのか……」と。ほぼ同時に、山の上に積まれていた丸太が崩れ落ち、カムイを直撃するが、それをかわした後も、カムイを狙う旗本や浪人たちが暗躍し、襲ってくる。そのような状況の中で、遠州はカムイの味方となって動き回っているが、「カムイにもこの男の正体は全く見当がつかないのである」。

 

 そうしているうちに、遠州は策謀をめぐらし、旗本や浪人たちを夜釣りの海へとおびき出し、彼らを全滅させる。またしても遠州はいう。「だがなあ、ものにはけじめってものをつけとかなきゃなあ」と。その後二人は現場の仲間を引き抜きにきた無頼者を撃退したことで、稲葉屋という口入屋に雇われ、敵対する岩戸屋との構想に巻きこまれていく。そのようなプロセスの中から、遠州が稲葉屋に父親を殺され、仇と狙っていたことが明らかになる。結局のところ、遠州はカムイに倒されて簀巻きにされ、川へと放りこまれるが、カムイに助けられる。そこでの二人の会話は次のようなものである。

 

 「サブ! おめって奴は……一体……」

 「フフフ、人間なんてわけのわからないものさ……あんたは遠州、おれはサブ、それでいいんじゃねえのかい。」

 「ちげえねえ……」

 

 まだこの「遠州」という一作は終ったわけではないけれど、高木の詮索に似た発言を受けての作品と見なせる「遠州」の落としどころが、ここに表出しているようにも思われる。

 もちろんこうした読みが正解であるのかわからないが、このように解釈してみるのもまた一興ではないだろうか。

—(第4回 2016.5.15予定)—

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