本を読む #041〈種村季弘『吸血鬼幻想』〉

㊶種村季弘『吸血鬼幻想』

 

                                         小田光雄

 

 本連載㊳の『怪奇幻想の文学』の第1巻『真紅の法悦』の「解説」が種村季弘によるものだったことにふれておいたが、それに関して、紀田順一郎は『幻想と怪奇の時代』で、次のように述べている。

 

 種村季弘への原稿依頼は、以前から面識のあった私から行うこととし、当時地下鉄神保町駅の構内にあった喫茶店で落ちあい、趣意を説明した。種村は何を書いてもよいのなら、喜んで協力すると約束し、さらに当時桃源社から出した『吸血鬼幻想』のケースの黄緑色は、ドイツ語原書の吸血鬼アンソロジーのカバーを真似たものだといって、実物を見せてくれた。出来上がった解説は、これまでにない吸血鬼小説論となっていた。

 

 しかしこの証言は40年近く前のことであり、記憶違いも含んでいるので、それを修正してみる。まず、『真紅の法悦』の出版は紀田も記しているように、1969年10月で、種村の『吸血鬼幻想』の初版は70年6月に刊行されている。しかもそれは桃源社ではなく、薔薇十字社から出されていて、種村はそこに『深紅の法悦』の「解説」の「吸血鬼小説考」を大幅に加筆訂正し、収録に及んでいる。それゆえに紀田の記憶は時系列が逆で、『真紅の法悦』刊行後に『吸血鬼幻想』が出されたことになる。私の所持する『吸血鬼幻想』は71年7月の再版だが、『怪奇幻想の文学』と併走するようなかたちでの重版だったといえるのである。

 

 ただ種村の論稿は1968年秋の『血と薔薇』創刊号に掲載された「吸血鬼幻想」に端を発している。それもあって、種村は『吸血鬼幻想』の「あとがき」で、その原稿を依頼されたことが「吸血鬼熱の機縁」となったゆえに、『血と薔薇』の責任編集者で「この恐怖と魅惑のこもごもなずさわれた世界に立ち入る合図をあたえくれたわが魔道の先達たる澁澤龍彥氏」に同書を捧げている。これも既述しておいたように、紀田は『怪奇幻想の文学』第2巻『暗黒の祭祀』の「解説」として澁澤に「黒魔術考」を依頼しているので、『怪奇幻想の文学』もまた『血と薔薇』や『澁澤龍彥集成』の刊行と併行していたことになろう。

 

 これらの同時代出版状況に関して、内藤三津子『薔薇十字社とその軌跡』(「出版人に聞く10」で聞きそびれてしまい、悔やんでいるのだが、それは種村と『吸血鬼幻想』についても同様である。やはり『怪奇幻想の文学』も『澁澤龍彥集成』とパラレルに、種村の著書も1970年前後から次々と刊行されていった。その当時の種村の印象深い著書を挙げれば、その筆頭には『吸血鬼幻想』、それに『ナンセンス詩人の肖像』(竹内書店、69年)、『壺中天奇聞』(青土社、76年)に続くといえる。なお『ナンセンス詩人の肖像』は本連載㉙の安原顕の編集による一冊である。

 

 だがとりわけ愛着の深いのは『吸血鬼幻想』で、紀田も書いている「ケースの黄緑色」と枡型本の判型は古本屋でも、ひときわ異彩を放っていた。これがドイツ語原書の吸血鬼アンソロジーを範としていることを紀田の証言で初めて知った。それもあってか、当時としては2300円の高定価で、古書価も安くならず、なかなか買えなかったことを思い出すし、あらためて『吸血鬼幻想』を手にすると、当時の出版状況が浮かび上がってくるような気にさせられる。「装釘・口絵」は野中ユリの手になるもので、それに加えて、50ページ近くの「吸血鬼画廊」という絵画や映画などからの多少な吸血鬼のイメージが召喚され、「恐怖と魅惑のこもごもなずされた世界」へと誘っているようでもあった。

 

 種村はこの『吸血鬼幻想』を「吸血鬼というと、だれでもすぐに思い出すのは、映画や小説でおなじみのドラキュラ伯爵やカーミラであろう」と始めている。それは種村も平井呈一のストーカー『吸血鬼ドラキュラ』、レ・ファニュ『吸血鬼カーミラ』、ポリドリ『吸血鬼』などの訳業を継承していることを告げ、澁澤とともに平井が「魔道の先達」であることを言外に示しているのだろう。それをふまえた上で、まず種村は吸血鬼の起源とその伝説をたどっていく。

 

 吸血鬼がことほか跳梁したのは、十八世紀のバルカン諸国であった。以来、バルカンは吸血鬼伝説の特産地となり、トランシルヴァニア山脈に沿うこの一帯は、今日にいたるまで吸血鬼の実在を証明するような怪事を生みだしている。とりわけ社会的変動のはげしい時代に吸血鬼はいつも喚び戻され、第一次大戦直後にも、ボヘミアは一種の吸血鬼ブームが起ったという。

 

 そしてこの「死者が夜な夜な蘇って人血を漁るという伝説」はバルカン諸国に限らず、スラブ、トルコ、地中海諸国、さらにはアラビアやインドにまで及ぶ広大な地理的、歴史的分布図を以ていることが確認される。またそれらの中心としてのバルカンが周辺の様々な信仰の混ざり合う坩堝と化して、奇怪な伝説を土着化せしめたことも。ここであらためて、『吸血鬼ドラキュラ』の冒頭において、主人公ジョナサンがルーマニアのトランシルヴァニアに向かうところから始まっていることを想起させるのである。

 

−−−(第42回、2019年7月15日予定)−−−

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