本を読む #047〈『アーサー・マッケン作品集成』と『夢の丘』〉

㊼『アーサー・マッケン作品集成』と『夢の丘』

                                         小田光雄

 

 これまでたどってきたように、平井呈一の出版社との関係は1950年代の場合、『世界大ロマン全集』や『世界恐怖小説全集』の東京創元社、60年代は『全訳小泉八雲作品集』の恒文社と『怪奇幻想の文学』の新人物往来社に集約されていたと見なせよう。だが70年代に入ると、そこに牧神社が加わっていくことになる。

 

 その前史は1972年に牧神社を設立する菅原孝雄が九州大学仏文科を出て、紀伊國屋書店洋書部に入り、思潮社に転職したことから始まっている。菅原は『本の透視図』(国書刊行会)でふれているが、『怪奇幻想の文学』に収録の『オトラント城綺譚』の思潮社からの単行本化を考え、上野の風月堂で、やはり和服姿の平井と会った。平井はそれを建部綾足に範をとる擬古文でと提案し、思潮社版『おとらんと城綺譚』が72年に刊行された。その前年に菅原は1970年に創刊した海外詩の出版に連動する季刊誌『思潮』の編集人を務め、71年の5号「恐怖と幻想の夢象学」特集の巻頭に、平井の「英米の怪異小説を中心に」語った「私の履歴書」を掲載している。これは創元推理文庫版『真夜中の檻』にも再録されている。

 

 平井はそこで大学予科時代に、アーサー・マッケンを読んだことが契機となって、怪異小説に触手をのばすようになったと回想し、さらに続けている。

 

 マッケンの「パンの大神」をはじめて読んだ時の感動も忘れがたい。わたしは興奮して、夜通し東京の町をほっつき歩いたことを憶えているが、それ以来マッケンの妖気の虜になった。“The Three Impostors”“The House of Souls”と読んでいくにつれて、「白い粉薬」「黒い封印」「輝くピラミッド」「白っ子」「内奥のひかり」など、ウエールズの寂しい野山を背景に、太古の神のなす妖異な所業におののき、ことに作者の世紀末風のデカダン趣味がわたしの肌にあい、今でも一番好きな怪異作家は誰かと聞かれれば、躊躇なくマッケンだと答えられるほど、わたしはこの人に心酔している。“The Hill of Dreams”という作品は純文学小説で、マッケンの生涯に只一冊の私小説だが、ルシアンという文学青年の生活を中心に、これほど都会のなかの孤愁と若い魂の息づきを深々と描いたものはちょっとない。かれの怪異小説とは別に、これは時間をかけてぜひ翻訳したいと思っている。

 

 そうした平井のマッケンへの愛着に寄り添うように、菅原は組合問題も絡んで思潮社を辞め、72年に編集の大泉史也と営業の渡辺誠とともに、本郷で牧神社を立ち上げ、『思潮』はやはり季刊誌『牧神』へと引きつがれた。そして牧神社の最初の企画として、73年から平井の個人全訳『アーサー・マッケン作品集成』全6巻が刊行されることになった。それにアンソロジー訳『こわい話・気味のわるい話』が続いていく。

 

 幸いにして『夢の丘』を収録した『アーサー・マッケン作品集成』Ⅳは入手しているので、それを読んでみる。「空にはあたかも大きな溶鉱炉の扉をあけたときのような、すさまじい赤光があった」と始まっている。これは主人公のルシアンという一人の精神の遍歴をテーマとしていることもあって、自伝的要素が濃厚であり、第一章から第四章までの舞台はマッケンの郷里のカーリオン・オン・アスタとその周辺で、ルシアンが生まれ育った牧師館での中学時代の夏休みの生活を員取ダクションとしている。

 

 第二章ではルシアンがロンドンに送った小説を盗作されたことから、悪徳出版社と盗作著述家の実態に憤り、絶望と孤独に陥るが、その一方で制作への意欲に駆り立てられていく。第三、四章では初恋の娘のアンのために憧憬と尊敬を制作へ投影させるために、自らの肉体に苦痛を与える苦行者となり、憔悴したからだで友達の家に招かれ、貧しい自分と父、若い娘たちの軽薄さと虚栄を思い知らされる。それゆえに自分を取り巻く見せかけと偽善の世界から逃避するために、自分の夢想する理想の都「アヴェラニウスの園」幻想に取りつかれる。

 

 第五章において、ルシアンはロンドンに出て、郊外の陋巷の一室で苦しい制作生活を始めるが、アンはすでに縁戚の男と結婚し、彼女の思い出を心の支えとして制作を続ける。しかし父も亡くなり、彼は天涯孤独となる。

 

 第六、七章では季節は冬となり、ルシアンは濃霧の中での彷徨が続き、一人の街娼に誘われ、野中のあばら家に赴くが、それはマッケン特有の夢魔のような、都会のなかでのサバトのような、夢とも現ともつかない幻想的な筆致で描かれる。そしてルシアンは長編を苦心の末に書き上げるが、ついに力尽き、睡眠薬を多量にのんで死ぬ。その末期の時にあって、彼の半生の出来事が走馬灯のように去来し、それは凄愴としたイメージで迫ってくる。しかも最後には先の街娼とヒモのような男が現われ、いきなり世界は現実に引き戻され、この対比は平井もいっているように、この象徴的な小説に絶妙な終止符が打たれたという印象を生じさせる。

 

『夢の丘』とほぼ同時代に出版されたギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの手記』や『三文文士』をテーマとし、かつて拙稿「三文文士の肖像」(『ヨーロッパ 本と書店の物語』、平凡社新書)を書いている。それが想起され、『夢の丘』もまたひとつの「幻想怪奇小説家の肖像」のように思われた。

 

 なお荒俣宏の『世界幻想作家事典』(国書刊行会)に、マッケンの作品も含んだ詳細な立項があることを付記しておく。

 

−−−(第48回、2020年1月15日予定)−−−

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