(89)冨士田元彦『さらば長脇差』と大井広介『ちゃんばら芸術史』
小田光雄
前回、山根貞男の『映画狩り』に言及したけれど、このような映画を中心とするヒーローとアクション、肉体論は、1970年代を迎えてから記憶に残る著作が刊行され始めていた。それらは冨士田元彦『さらば長脇差』(東京書房社)、渡辺武信『ヒーローの夢と死』(思潮社)、西脇英夫『アウトローの挽歌』(白川書院)、石川三登志『男たちのための寓話』(すばる書房)である。
こうした70年代の映画書出版の系譜上に80年代の『映画狩り』も成立したことになろう。これらのうちで、かつて「渡辺武信『ヒーローの夢と死』」(『古本屋散策』所収)は取り上げているが、その他の3冊は論じてこなかった。そこで今回はこれらの映画書の発祥に位置づけられる冨士田の『さらば長脇差』のことを書いてみよう。
その前に冨士田のプロフィルを記しておけば、彼は角川書店の『短歌』編集長、映像文化研究員で、著書として『現代映画の起点』(紀伊国屋新書)がある。また80年代になって、雁書館を設立し、短歌誌『雁』を創刊するのだが、『さらば長脇差』のほうは1971年に発行者を木原宏とする東京書房社から刊行されている。確かこの版元は限定版文芸書出版社だったはずだ。
そのことをうかがわせているのは奥付の検印紙に見える限定一千部のうちの第342番という表記、及び一五〇〇円の高定価、上製二重函入にしても、外函は輸送用も兼ね、また四六判284ページであるので、直販価格のように思える。それゆえなのか、古本屋で見出すまでにかなりの年月を要した。その外函には題簽が貼られ、それは帯代わりともなり、次のような内容紹介も記されていた。
“本書は、戦前戦後のなつかしいチャンバラ映画の歩みを克明にたどって、その魅力の源をさぐりながら、日本映画史の構造や秘密を明らかしたものであり、その上で、娯楽時代の映画の軌跡こそ、日本映画史の歩みそのものの体現であったことを示し、日本映画の行先を警鐘を鳴らしつつ照らすものである。”
サブタイトルの「時代映画論」の内実を示すように、Ⅰは「時代映画論」として、昭和四年の内田吐夢の『生きる人形』、六年の『仇討選手』、七年の伊丹万作の『國士無双』などによる時代映画の新時代の始まりから戦後の終焉までをたどり、Ⅱの「戦後時代映画論」においては昭和三十三年と三十四年の東映、大映、松竹の71本の作品が具体的に論じられている。
この二年は時代映画を中心とする東映が専属スターシステムによって最も繁栄を誇り、日本の映画人口が12億人近いピークに至った時代だった。それからはテレビの普及率と反比例するように、映画観客が激減し、時代映画というジャンルもまた変質し、押しつぶされていったと見なし、『さらば長脇差』はこの2年の時代映画の作品構造を分析することで、日本映画とその歴史の体質を解明しようと試みている。
ところが自らを重ね合わせると問題なのは、山根の『映画狩り』の場合、こちらはほぼリアルタイムで同じ映画を観ていたのだが、『さらば長脇差』の昭和三十三、三十四の71本はほとんど観ていないのである。それもそのはずで、当時はまだ小学生になったばかりだったし、その後ビデオやDVD化されたものも含まれているにしても、それらは数本でしかないと思われる。そしてもし同書が文庫化され、新たな読者を得たとしても、配信時代の現在ですら、それらの映画をすべて観ることは難しいのではないだろうか。そこに現在と異なるビデオ以前の映画書の問題がつきまとっているし、必然的に著者個人の記憶と解釈の限界が生じてしまう。
それは先述した70年代の他の3冊も同様だし、また昭和三十四年に刊行され、冨士田たちも影響を受けたと見なせる大井広介の『ちゃんばら芸術史』(実業之日本社)でも、著者が述べているとおりであろう。同書は尾上松之助と立川文庫、沢田正二郎と新国劇、大衆文芸と乱闘映画、競映時代と片岡千恵蔵、長谷川伸とちゃんばら中間小説といったふうに、時代映画と大衆文学の関係にまで言及している。大井の「後記」の言葉を借りれば、「中里介山の『大菩薩峠』からチャンバラを本質的に否定した『樅の木は残った』に至る、小説の分野と――沢田から女剣劇までの、剣劇史と――マキノ映画から東映映画までの剣戟戦映画との関連を扱った、奇妙な小著」ということになる。
だが大井は冨士田と同じく、昭和三十三、三十四年の時点で、チャンバラファンの自分にしても、『樅の木は残った』の出現によって、チャンバラ大衆文学は否定され、剣劇はすでに壊滅し、時代映画も劇映画一般に止揚されていくはずだとのべ、それが「厳然たる事実」に他ならないと断言している。
そして大井は罹災で剣劇、剣戟映画の資料を失ってしまったので、「万全を期することは、もうサカダチしてもおぼつかない。記憶に残っているものは知れている」とも書きつけている。
そうした認識は冨士田も共有したものだろうし、それだけでなく、二人とも昭和三十年代半ばに「ちゃんばら映画」の本質の変化を体感していたことになろう。
(おだ・みつお)
—(第90回、2023年7月15日予定)—
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