⑮ 1960年代の河野典生と『殺意という名の家畜』
小田光雄
前回、矢牧一宏の七曜社から河野典生のミステリーが刊行されていたことにふれたが、その河野も近年鬼籍に入ってしまった。彼の作品を愛読していた時期もあったし、そればかりでなく1960年代の河野の単行本が手元にあるので、これらも挙げておきたい。年代順に出版社も含め、リストアップしてみる。
- 『陽光の下、若者は死ぬ』(荒地出版社、60年)
- 『アスファルトの上』(光風社、61年)
- 『殺人群集』(光風社、61年)
- 『黒い陽の下で』(浪速書房、61年)
- 『憎悪のかたち』(七曜社、62年)
- 『殺意という名の家畜』(宝石社、63年)
- 『他人の城』(三一書房、69年)
さらに、やはり60年代に『群青』(早川書房、63年)、『ガラスの街』(三一書房、69年)が出されているし、これらの他にもあると思われるけれど、この二册と同様に入手していない。さてここにリストアップした作品にふれると、1とタイトルは同じだが、内容は異なる短編集『陽光の下、若者は死ぬ』、同『狂熱のデュエット』、長編小説『群青』などが角川文庫化されるのは70年代に入ってからなので、それ以前に河野の60年代の作品を読もうとすれば、これらを古本屋で見つけるしかなかった。6の『殺意という名の家畜』は64年に第17回日本推理作家協会賞を受賞しているが、この宝石社版でしか読むことができなかったと思う。だが意図して集めたというよりも、目にすると買っていたといっていいし、70年代前半において、これらの河野の著作の古書価は安かったのである。しかしこのように取り出してみると、7の新書判を除いて、裸本だったりもするけれど、B6判上製で、装丁もシックなものに仕上がり、作品と同時に新しい造本の息吹きを感じさせてくれる。2の『アスファルトの上』は箱入で、その箱は大倉舜二の写真を小林泰彦が構成していて、斬新なイメージを伝えている。それに加えて、河野を取り巻いていた編集者たちが荒地出版社、光風社、七曜社、浪速書房、宝石社、三一書房といった、どちらかといえば、リトルプレスに属していたことも示している。これらの出版社は実質的に退場してしまっているが、60年代には戦後の出版も、その苦難の状況は変わっていないにしても、まだ若かったといえるだろう。それに出版物販売金額は61年の1078億円から70年には4347億円へと高度成長していたし、そのことは「文壇という余計者の村落」にも反映されていた。この言葉は『殺意という名の家畜』に見えているものだが、それは次のように続いている。
この一年の間、私はほとんど作品らしい作品は書かなかった。だが、文壇という村落の中にも、さまざまな格式の異なる部落があり、一度、この村落に登録された人間には、格式さえ気にしなければ、口を糊するだけの仕事は、向こうからやって来るものである。とうていしらふでは書けないような種類の、時には別名で書き飛ばす仕事を、いとわなければの話なのだが。
これはこの作品の主人公の小説家岡田晨一の独白である。岡田のように一年間「ほとんど作品らしい作品は書かなかった」小説家であっても、「口を糊するだけの仕事は、向こうからやって来る」ことが語られている。そのことによって「文壇」という「さまざまな格式の異なる部落」も支えられていたことも。ミステリーもそのようにしてあったのだ。それがこの時代の出版状況であり、それは1956年の『週刊新潮』創刊に始まる週刊誌ブームと雑誌のめざましい成長によっているのだろう。現在とはまったく異なる出版と文学環境に他ならず、もはや「文壇という村落」も消滅してしまったと見なしていい。そうした現在のことはともかく、この独白をイントロダクションとして岡田は1960年代初頭の小説家として、「私の今書こうとしている物語」、「小説ではなく手記」、「商品として売られるもの」を始めようとしている。彼は3年前にちょっとしたきっかけから、自分の小説の出版の機会を得た。それは犯罪小説で、初版6000部のうち4000部が売れたとされる。それは岡田に託した河野の当時のポジションだったのであろう。
このように始められた『殺意という名の家畜』は知り合いの娘の失踪、それをめぐって彼女の人間関係がたどられ、四国での無理心中という事件の流れがまず提出される。その中で時代世相と都市風俗が描かれ、それとコントラストな地方の権力と犯罪にまつわる殺人事件が浮上してくる。岡田は自分の作品に関し、「私は、紙の上で、自分の持っている欲望の飛翔を描き、自我の勝利を描いた。そして自分の発見した文体に酔い、なれ合いになった」と自嘲している。だがそれはおそらく河野の『陽光の下、若者は死ぬ』などの初期作品をさしていて、『殺意という名の家畜』には当てはまらず、明らかに新しい日本のハードボイルドを志向する文体の確立をめざしているし、それはひとつの達成だったと見なしていいだろう。
河野は「あとがき」において、この作品が「推理小説のジャンルの一つである正統派ハードボイルドを、我が国の風土の中に、定着させる試み」であり、それがハードボイルド派特有の「個人の倫理を背骨としている」と述べている。そのために、社会派推理小説の探偵役としての警察官や新聞記者ではなく、「我が国の風土」の中からハードボイルド派の探偵として、小説家の「私」が設定されたのだと。ここでいう「正統ハードボイルド派」とはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドの系譜をさしていることはいうまでもあるまい。そしてこの系譜上に、姓は高田と異なるが、名前を晨一とする小説家を主人公にすえた7の『他人の城』が書かれたとわかる。また名前のことで付け加えておけば、ここで『殺意という名の家畜』を取り上げたのは、無理心中の男の名前が「森下光夫」であることによっている。この種明かしはしないけれど、それは論創社の奥付を参照されたい。
—(第16回、2017年5月15日予定)—
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