矢口英佑のナナメ読み #003〈『歪む社会』〉

No.3 『歪む社会』

 

矢口英佑〈2019.2.28〉

 

 言うまでもないが、物事や事象に正常な形があるとすれば、〝歪む〟とは、その形がねじ曲がったり、変型したりしていることを指す。この漢字は「いびつ」とも読む。この読み方は、かつて日本人の食生活では必需品だった、炊きあがったご飯を入れておく容器の「飯櫃(いいびつ)(めしびつ)」を語源としているそうである。この容器、江戸時代は楕円形だったようで、形がゆがんでいるように見えたことから、江戸時代から変型したものなどに「飯櫃(いいびつ)」を短縮した「いびつ」と言うようになったらしい。

 

 それにしても「不」と「正」を縦に組み合わせて「歪」という漢字になり、横に並べれば「不正」である。本書はこの「歪んで」「不正が行われている」日本の現状を痛烈に暴き、それを「歪正(わいせい)する」、すなわち「歪みを正しく直す」には、いま何をしなければならないのかが語り合われている。

 

 〝語り合われている〟と記したのは、ジャーナリストで、『ネットと愛国』(講談社)で第34回講談社ノンフィクション賞、「ルポ外国人『隷属』労働者」で第46回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した安田浩一と新進気鋭の社会学者で、昨年『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社)を世に送り出した倉橋耕平との対談集だからである。

 

 本書のカバー折り返しには、「この社会はなぜ歪んでしまったのか?誰が歪めてしまったのか?そして、この歪んだ社会で、私たちは何ができるのか?」とある。それではこの対談者たちに映る「歪んで」いる社会とはどのようなものなのだろうか。

 

 日常生活で目にする具体的な形状であるなら、誰もがその対象物が「歪んでいる」か「歪んでいない」のかは即座に判断できるし、その判断が大きく分かれることあまりないだろう。しかし、その対象物が「社会」となると、それを見る側の思想や主義、主張、さらには感性によってさえ判断は大きく異なってくる。

 

 ならば、この二人の立つ位置はどこにあるのだろうか。

 

 実に明確、鮮明である。本書には「歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う」という副題が付されていることからも一目瞭然と言えるだろう。敢えてつけ加えるなら、「ネット右翼の跋扈」といった類の文言があれば、本書が社会を「歪ませている」と批判する対象や現象がいっそうはっきりしたに違いない。

 

 「歪み」現象の要素には、偏見、差別、独断、不公平、不平等、非常識、非合理、歪曲、ねつ造、無分別、過剰反応等々(まだ要素としては他にもあるだろう)がその時々に応じて、いくつも重なり合ってくる。しかも、これらの要素はかなり情緒的に右翼的言説に塗り込まれて、歴史修正主義者やネット右翼たちの口から、さらには文章を通してはき出されてくるのである。言い換えれば、歴史修正主義者もネット右翼たちも、揺るぎない根拠と地道な検証を経た上で、みずからの右翼的考察を確たる思想にまで昇華させているわけではない。それゆえに安田と倉橋は文藝評論家だった江藤淳を〝本格的な保守派の代表的論客〟として、あるいは右派論壇のリーダーとして西尾幹二などは別格に置いているように見える。

 

 本書で取り上げられている歴史修正主義者やネット右翼たちからの言説が多分に直情的で、しかも執拗であるだけに安田、倉橋の言葉がおのずと曖昧な物言いが忌避され、鮮明な批判の言葉が並ぶのは当然だろう。

 

 そもそもネット右翼とは、倉橋によれば、「愛国主義的で歴史修正主義的、排外主義的な発言を意図的にネットなどで繰りかえしている人たち」となる。しかも彼らは天皇を崇拝しているわけではなく、単に嫌いだからと左翼的な考えを持つ人びとを「サヨク」とか「パヨク」と罵り、その発言には一貫性がないという。

 

 また安田はネット情報の盲点ともいうべき特性を指摘している。それはネットから流される情報は、「あいだに人が介在しない」思いつきで書かれた裏づけのない、検証不可能なものがあり、それらを鵜呑みにして、さらにそれを拡散させていくというのである。

 

 確かに今の日本は安田も言うように、文化を消費する側もネットを通して声を上げて「コミットしていく機運が高まり」「文化消費者による評価が重視され」るようになっている。

 

 誰もがネットを通して自己主張ができる強みは、主張する側の姿が見えないだけにかなり自由に、言い換えれば無責任に自説をぶちまけることも可能になっていることだろう。たとえ荒唐無稽な言説であっても繰返しネット上にその言説が掲載され、しかも、それらが拡散し始めると、「ネットに書き込まれているから間違いない」と信じる日本人が増え、その間隙を縫うようにネット右翼が入り込んでくるのは、むしろ必然なのかもしれない。

 

 ネット右翼が現れたのは2005年前後のようだが、日本では1990年代からの右派的な言説のうねりが次第に大きくなってきていた。本書では、そうした動向を歴史修正主義の台頭や排外主義的な思考とも絡ませて一種の見取り図が描かれている。あわせて本書の文中に現れる人物や事象、組織等々に注釈が付されているのは読者の理解を深め、日本の右派勢力が拡大していく現状をよりいっそう把握するために、大いに有効だと思われる。

 

 この見取り図からは、今や政界も、放送メディアも、そして出版メディアも、いつの間にか右派言説にすり寄り、それらの言説が流布され、社会に浸透してきている現状が浮かび上がってくる。たとえば、日本のアジア諸国への侵略戦争はなかったとして、歴史を見直し、日本人みずからをおとしめる自虐史観を見直そうと1996年に作られた「新しい歴史教科書をつくる会」が歴史修正主義者と直結していたこと、商業メディアもそうした現象に共鳴を始めていったこと、街頭でのヘイトスピーチや差別発言の横行、国会議員によるヘイト発言、企業に見られるネット右翼的な発言等々、どれもが社会を歪める元凶として捉えられていることがわかる。

 

 確かに、私たちの日常に右翼的な言説を甘受していく社会的な風潮がそこかしこに浸潤してきている。安田も倉橋もそうした風潮に強い危機意識を持っているからこそ、繰返し右翼的言説に過激とも思える批判の言葉を浴びせるのだろう。

 

 こうした日本の現状にどう向き合うのか、これからの日本がどこに向かおうとしているのか、一人の日本人として何をすべきなのか、こうしたことを考えるとなると、どうやら、この二人が打ち鳴らす警鐘に真摯に耳を傾けなければならないようだ。

(やぐち・えいすけ)

 

 

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〈次回、2019.3.10予定『核家族の解体と単家族の誕生』〉

歪む社会』 四六判並製256頁 定価:本体1,700円+税

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