矢口英佑のナナメ読み #028〈『大衆文化のなかの虫たち 文化昆虫学入門』〉

No.28 『大衆文化のなかの虫たち 文化昆虫学入門』

矢口英佑〈2020.6.25

 

 かつて日本人の生産活動は農業や漁業、林業といったような第一次産業に従事する者が大半だった。山や畑、田んぼ、海が経済活動の現場であり、生活と密接に結びついていた。

 

 そうした生活空間で生きてきた日本人は、そこに息づくさまざまな植物や動物とともに自然の営みを受け入れ、季節の移り変わりを感じ取ってきた。そのような環境では昆虫を目にすることはごく当たり前であって、非常に身近な生き物たちだったのである。

 しかし、現在では日本の産業構造は大きく様変わりをし、第一次産業従事者は生産労働人口の5%にも満たなくなっている。この事実一つを取っても、日本人の生活は、動植物や昆虫などからはかけ離れて、遠い存在になってしまっており、ましてや季節の移り変わりの中で生を営む昆虫などの生態を知る者などは、一部の専門家や好事家でなければいなくなってしまっているのである。

 

 このような状況だからこそ、本書の書名となっている『大衆文化のなかの虫たち 文化昆虫学入門』に興味がそそられるのだろう。かつて目にし、手にしていた虫たちへの私のノスタルジックな思いがあるのは間違いない。さらに言えば、「文化昆虫学入門」とある点にも興味を抱いたからにほかならない。

 

 このような研究領域があることなど門外漢の私には知るよしもなかったが、古くから存在した研究領域だったとしても、別に不思議ではないように思う。ただ、どのような研究手法が取られるのか、おおよそは書名で推測はできるのだが、やはり気になった。

 

 著者たち(保科英人、宮ノ下明大)も当然、私のような興味の持ち方をする読者が少なからず存在することを承知していたようで、そのあたりへの配慮には怠りないと言える。

 

 本書は4部構成で、1部が「文化昆虫学概論」となっており、その冒頭で「我々はまず序論として、一般には聞き慣れない学問である文化昆虫学とは何ぞや?との話から進めたい」と記している。

 

 著者たちの概説にしたがえば、「文化昆虫学」が聞き慣れないのも道理、どうやら極めて新しい学問領域のようで、アメリカのC.L.Hogueが1980年に正式な学問として設立を提唱したことに始まったらしい。

 

 さらに「文化昆虫学」の定義を次のように説明している。

 

文化昆虫学とは、人間の文化活動、たとえば絵画、文学、工芸、映画、信仰、または食生活、経済活動の中で、昆虫がどのようにかかわっているか、そして人々の自然観、昆虫観を研究する学問

 

 となるようである。ところが著者たちは、新しい学問領域をきちんと理解して欲しいという思いが強いことを窺わせるように、さらに説明を具体化することで、念には念を入れていて、こう付け加えている。

 

 日本の様々な昔話や民話を思い出していただきたい。これらの話に登場するキツネたちは大概ズル賢く描かれている。無論、善人として描かれるキツネ、妖狐のように人間に害をなす暴威として描かれるキツネも存在するわけだが、どのようなキツネであっても「智」との共通点がある。馬鹿で間抜けなキツネなんぞとんと聞いたことがない。このように、古来我々日本人はキツネを賢い獣とみなしてきた。この考察が文化動物学なのである。

 これでご理解いただけただろう。文化昆虫学とは、前述のキツネを適当な昆虫に置き換えれば良いのである

 

 確かにこれだけ噛み砕いて説明されれば、「文化昆虫学」がどのような学問なのかはわかるだろうし、人間の文化的な現象、活動と強く結びついていることが理解できる。そして、昆虫の生態を研究することで、人間の「腹を満たす」ことにつながる学問ではなく、「脳みそを満たす」、実学的ではないという意味で「寄り道的」(著者たちは「余暇的」と表現している)学問であることも併せて了解することになるのである。

 

 さてこうして「文化昆虫学」とは、何であるのかを理解した読者は、いよいよ個別のテーマごとに昆虫との関わり合いを知ることになるのだが、それはまるで百花繚乱と言ってもいいほどに、幅広い領域に及んでいる。

 

 たとえば、本書に登場する昆虫の名前を大雑把にだが取り出してみよう。

 

 アブラゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ、クマゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシ、カブトムシ、クワガタ、オニヤンマ、ホタル、アブ、ハチ、ハエ、ミツバチ、イモムシ、テントウムシ、ゴキブリ、バッタ、オサムシ、エンマコオロギ、スズムシ、マツムシ、ツヅレサセコオロギ、アオマツムシ、カンタン、カマキリ。

 

 以上は「Ⅰ部 文化昆虫学概論」で目についた昆虫を挙げたに過ぎない。

 

「Ⅱ部 近代文化昆虫学」になると、明治時代の鳴く虫やホタルの値段や昆虫との関わりをめぐる20の小見出しが並んでいる。そのうちのいくつかを挙げれば、「明治・大正・昭和前期の鳴く虫のお値段は季節野菜のようなもの」「政財界、皇族、軍の要人たちと鳴く虫」「ナチスドイツとスズムシ」「「蛍売り」とはいかなる商売であったか」「哀れ、大型小売店の景品にされてしまったホタル」といった項目には、思わず飛ばし読みの誘惑に負けてしまう。

 

「Ⅲ部 身の回り品に見る現代文化昆虫学」では、商品にデザインされたテントウムシについて調査報告もまじえて語られている。

 

少なくとも日本では、ナナホシテントウのイメージが強く、七つ星を均等にバランス良く配置したデザインがテントウムシとして認知されていると考えられた。これらのデザインは、生物学的に見たテントウムシとは大きく異なる。(中略)文化の中の昆虫は、人間が作り出したイメージの産物であり、そこに隠された歴史的あるいは生物学的な背景を明らかにしていくことが、文化昆虫学の醍醐味のひとつであろう

 

 この「文化の中の昆虫」が「人間が作り出したイメージの産物」であることを実証するように「Ⅳ部 サブカルチャーに見る現代文化昆虫学」では、映像での特撮ヒーロー、昆虫絵本、映画、アニメ・ゲームに描かれる昆虫の紹介と著者たちの蘊蓄を傾けた文化昆虫学が語られていく。

 

 現代の日本人はビジュアル重視で、鳴く虫よりホタルの幻想的な光に懐旧の念を抱くにしても、やはり「短い季節一瞬の命」を大切にする指向性があるという指摘はその通りだと思う。また、秋にコオロギやスズムシなどの鳴く虫に物の哀れを感じ、時代が移り変わろうとも日本人はその鳴き声に耳を傾けるにちがいないとの指摘にも異論はない。

 

 ただ、日常の生活から動植物が遠ざかり、ましてや昆虫といえばゴキブリしか実物を目にしなくなっているような現在の日本では、季節の移り変わりの中で本書に登場するような様々な昆虫と日常的に触れ合うことは至難とも言える。

 

 してみると、本書の「文化昆虫学」を深読みするなら、私たちが日々の営みを続けるごく普通の生活空間に、緑や水が豊かで、清澄な空気に溢れた自然をもう一度取り戻さなければならないという警鐘が大きく鳴らされているのではないだろうか。

 

(やぐち・えいすけ)

バックナンバー→矢口英佑のナナメ読み

〈次回『パリ68年5月』、2020.7月下旬予定〉

 

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