矢口英佑のナナメ読み #045〈『チャンキ』〉

No.45『チャンキ』

矢口英佑〈2021.12.22

 

本書は2033年、今から12年後の日本で起きている空恐ろしい出来事が描かれた近未来小説である。

 

その空恐ろしい出来事とは、「タナトス」なるものが訪れると、どのような状況にあっても抗いようのない強烈な死への衝動に捉えられ、死ぬ理由などまったくないはずの人が唐突に自らの命を絶ってしまうのである。遺書などあるはずもなく、自分や自分の愛する人がいつ自殺するかわからない。しかも、その可能性があるのは日本国籍を持つ人すべてにあてはまるらしいというのである。対応や防御はできない。この小説の時間軸に合わせるなら、2028年には自殺者は1日8千人を超え、年間でおよそ300万人。タナトスが最も頻繁に起こるのは10代後半から30代前半まで、その結果、この世代のほぼ半分は消滅する。かつては世界一の長寿国だった現在の平均寿命は40歳余。海外からの旅行者は激減し、在日外国人は母国へと戻ってしまった。ほとんどの外資系企業は撤退し、産業構造は大きく変化して、国内総生産はあり得ないほど落ち込んだ。得体のしれないウイルスか、遺伝子か、化学物質か、呪いか、悪霊に汚染された極東の小さな島国を侵略しようとする国などなくなってしまったのである。

 

いつ自分がみずからの命をどのような手段で断つのかもわからないこのような時代に生きる高校3年生2人がこの小説の主人公である。一人は本書の書名になっている「チャンキ」であり、もう一人は同じ学校のガールフレンド・永井梨惠子である。

 

この空恐ろしい日本で主人公の2人の高校生がどのように活躍するのかと期待する読者にはあまりにも小説世界が異なっており、期待を裏切ることになるだろう。このあり得ないとんでもない状況の中で苦難に立ち向かい、苦闘の末に日本を救っていくハッピーエンドのSF痛快小説ではないからである。

 

2人の主人公は現在の日本で見かける、どこにでもいるであろう、ごくありふれた高校生である。主人公の1人チャンキは国立文系受験を目指しながら、部活動では柔道部に属し、部員仲間との裏表のないつき合いを続けている。またこの時期の男子高校生のこれまた大多数であるように、異性を強く意識し、考えることといったら性への激しい欲求であり、肉体と精神の極端なアンバランスな様子がこの小説の冒頭部分であからさまに描出されている。

 

一方、もう一人の主人公・梨惠子はチャンキに比べると精神年齢は明らかに上で、これまた思春期の男女の精神年齢の差がやはり小説の冒頭部分で明瞭に示されている。梨惠子は知識欲旺盛で、興味を覚えれば積極的に街の図書館や博物館などへ足を運ぶ高校生で、チャンキにはそうした梨惠子には気後れし、つい梨惠子の物言いに従ってしまう傾向がある。しかし、そこには彼女を好ましく思う感情もあるからで、18歳の誕生日を前に梨惠子に対して密かにキス以上のものを狂おしいほどに何度も求めようとするが、達成できずに終わる。

 

そして、この小説はチャンキの「メイクラブ」が消えてしまったあたりからタナトスを前にして「いかに生きるべきなのか」を問いかける2人の人間成長物語へと変容していく。

 

「どこかで歯止めが必要だ。死を身近にしながらも毎日を充実して生きていける新しい価値観を、国は早急に獲得しなくてはならない。構築しなくてはならない。坂道を転がり落ちるように、日本は末期的な様相を呈しはじめている。そのきっかけはもちろんタナトスだが自暴自棄となった人たちが少しずつ増え始めている。死へのハードルが下がり始めている。急がないといけない。日本は滅びる。このままでは日本と日本国民は、地球上から消滅する」

 

こうした危機意識を主人公の2人が明確に持っていたわけではない。しかし、2人は自分たちの地域にある、人びとが呪われた恐ろしい場所として近づこうとしない「カメ地区」へ入っていく。このまま避け続けていてはいけない、タナトスと何か関係があるのかと、みずからの行動で得体の知れない「カメ地区」の実態を確かめようとする。そして、読者は2人の探索心と冒険心からこの小説の核心世界に共に足を踏み入れて行くことになる。

 

日本海側にあるカメ町はかつてはロシア交易の拠点の一つだった。ところがある時期からこの地区でタナトスが異常に集中して起きた。その発端はカメ町郊外に住んでいたウクライナ人一家ということになっていた。やがてこの呪われた町から人びとは出て行き、無人の町はゴーストタウンとなった。それから数年後、この町に何らかの理由で本国に帰れない在日外国人が住み始めた。だがそうした外国人たちも死んだり帰国したりして再び無人となり、カメ地区をめぐっての噂や憶測が飛び交い、呪われた町としてその名前を口にしただけでも不吉な思いにとらわれるほどになっていたのである。

 

この「カメ地区」は、現在の日本でさまざまな局面で常に問題視され、取り上げられている<差別>の象徴として描かれていると言えるかもしれない。実態を知らないまま他者の言葉を自分の言葉とし、推測や噂を実像として捉え、それを信じて行動し、時には集団となって一つの対象に批判や攻撃を加える。自分たちと異なる色合いの者を潰そうとする排他性は日本人だけの特性ではないが、日本の歴史を振り返るまでもなく、今現在のコロナ感染状況の中でも起きているのである。

 

この小説の主人公・チャンキも人びとから忌避され、呪われている「カメ地区」に行ったがために、得体の知れない災厄をもたらす不吉な人間としてクラスメートから遠ざけられるようになる。たまたま学校にいるときに起きた大きな地震もチャンキが「カメ地区」に行ったからだと非難の目が注がれ、身の危険すら感じるようになるのである。

 

だが、その不吉で呪われた恐ろしいはずの「カメ地区」は無人ではなかった。巷間で囁かれている危険な地域を隠れ蓑にして、身を潜めるように集団で生きている人びとがいたのだった。彼らはすべて在留外国人で、出身国はさまざま。多くが母国に帰れない何らかの理由を抱える人たちだった。彼らは日々座禅を組み、瞑想の世界に入ることを日課とする人びとだった。彼らは異なる習慣や考え方を越えて、互いを認め合い、共同して生活をしていた。そして、彼らを秘密裡に生活面での援助とアメリカへの出国を支援している、チャンキの学校の教師で、今は休職中の「ヨシモトリュウメイ」やアメリカ政府と関わりがあり、タナトスで死んでいく日本人を観察する任務についている「斉藤さん」がいた。

 

こうした人びとと知り合い、交流を重ねるうちにチャンキと梨惠子は彼らの相手を認めながら助け合う姿に共感し、親近感を抱いていく。やがて彼らの心の中を覗き、彼らの考え方に触れていく二人は、次第にタナトスでいつ死んでいくかわからない不条理な今を、どのように生きていくべきか、真正面から受けとめ始めていくのだった。

 

そうした彼らが「カメ地区」から東京に身を移さざるを得なくなると、チャンキと梨惠子も彼らを追って行く。ところが、ほんのわずかチャンキと離れたすきに梨惠子が突然、姿を消してしまう。梨惠子の死の予感がチャンキの不安を増幅させる中でチャンキには梨惠子がかけがえのない一人の女性となって強く意識されていく。

 

生きて戻ってきた梨惠子だったが、その身体は傷つき、冷え切っていた。彼女を必死に抱きしめるチャンキに梨惠子がこう言う。

 

「おびえないでいきることよ。死なない人はいない。自分がいつ死ぬかは誰にもわからない。それはタナトスが始まる前から同じ。実は何も変わっていない。そう考えることもできる」

 

「楽しいことばかりに反応しないでね。積み重ねるのよ。たしなみを持つこと。常に自分を主語にすること。人を愛して愛されること。誰かを恨まないこと。感謝の気持ちを忘れないこと」

 

この小説の核心は梨惠子のこれらの言葉にすべて込められて、読者へのメッセージとなっている。予測不能な空恐ろしいできごとはタナトスを持ち出すまでもなく、私たちの日常では日々起きている。だからこそ、たしなみを持って生きること、人を愛し愛されるように生きること、感謝の気持ちを忘れないことが大事だというのである。

 

さてこの小説世界から一種の清々しさを感じながら現実世界に立ち戻った私たちは、チャンキが「当たり前のことばかり」と言いながら「わかった。人を愛す。愛される。日常を維持する。持続する。そして世界を恨まない。世界と自分を肯定する。それが抗うこと。それが生きること」が実践できるのか、みずからに問いかけることになりそうである。そして、そう「当たり前にできない」ことに気づくはずである。

本書が読み継がれていくべき小説である意義はまさにそこにあると言えるだろう。

(やぐち・えいすけ)

 

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