矢口英佑のナナメ読み #077『男やもめの七転び八起き イーハトーブ敗残記』

No.77『男やもめの七転び八起き—— イーハトーブ敗残記』

 

                                                                     矢口英佑

 

本書は妻を失った男の喪失感、コロナウイルスに襲われた日本への鋭い目、市議会議員選挙立候補、そして落選の顛末、宮澤賢治への傾倒などが凝縮された書名となっている。だが、決して「敗残記」などではない。

 

本書は第1部「男やもめの〝七転び〟——妻の死とコロナパンデミック」、第2部「男やもめの〝八起き〟——叛逆老人は死なず」の2部からなり、全12章の構成となっている。そして、第1部では〝七転び〟だが、第2部には〝八起き〟の語が見え、このあたり著者、あるいは編集者かもしれないが、書名へのこだわりが窺えて面白い。しかも第2部の副題には〝叛逆老人は死なず〟とある。私が「敗残記」などではないとするのはそのためであり、〝叛逆〟に加えて〝反骨〟精神も旺盛で、年寄りだからといってオメオメと引き下がっていられるかといった心意気が感じられ、お見事と言うしかない。

 

第1部第1章は「「喪失」という物語」という標題である。肺がんを患い、消化器出血による突然死で妻を失った著者の手足をもぎ取られたような喪失感から立ち直れない心のありようが12のそれぞれ独立した文章によって、切々と綴られている。長年互いに助け合い、心を通わせてきたまさに「連れ合い」を失った衝撃がいかに大きく、精神的に襲いかかる埋めようもない空疎感は著者夫婦が見事な「連れ愛(合い)」だったことが痛いほど伝わってくる。

 

本書には「2018・7・22」の日付から始まり「2022・7・23」で終わる4年間のその時々の感慨や行動が記録されている。驚かされるのは、著者が妻を失った喪失感の中に沈み込んでいるにもかかわらず、無論、その文章には悲しみに打ちのめされた空虚感が滲み出ているのだが、誤解を恐れずに言えば、逆境を生き抜こうとしている力強さも感じられることである。加えて、著者が元新聞記者だったからであろうか、コロナ禍状況に関わる身の回りや日本という国のありように向けられた視線は鋭く、記者として長年培われた目には少しも衰えが感じられない。たとえば、

 

「ステイホームやソーシャルディスタンス、リモートワーク、テイクアウト、エッセンシャルワーカー、アフターコロナにウイズコロナ、ついでに言えばオン飲み(オンライン飲み会)にアベノマスク……。巷にはまさにパンデミック(大流行)並のカタカナ語が氾濫している。最近では「新しい日常」が「ニューノーマル」(新常態)などと翻訳されて、ひとり歩きし始めた。感染症予防のための「新しい生活様式」が気が付いてみれば、〝体制用語〟に変換されているという危うさ。そう、歴史はそうやって繰り返されてきた」

 

著者が挙げているいくつものカタカナ用語はコロナ以前には使われていなかったり、異なる状況や場で使われたりしていた。だが、コロナ禍で繰り返し使われてきたこれらのカタカナ語に私たちはいつしか捕捉され、ひとつの方向に動き始めていることに無防備になっているというのである。だからこそ著者は次のようにも言うのだ。

 

「「Normal」(正常)は時として、「Abnormal」(異常)を際立たせるという逆説をあわせ持っている。たとえば、耳目をそばだてれば「緊急事態宣言」発令の背後から憲法改正の〝底意〟が立ち上がってくる気配が感じられる。「戦争」から「平和」へ……戦後民主主義の〝揺りかご〟に揺られて育った私たちの世代は、こうした危機に乗じた時代の変調にはことさら敏感になってしまう。(中略)〝ニューノーマル〟のいかがわしさを嗅ぎとる嗅覚がいま、求められている」

 

このような私たちへの警鐘は、やや大袈裟に言えば、第1章を除いた第2章「やもめ男の新たな旅たち」、第3章「(続)「やもめ」放浪記」、第4章「パンデミックの直撃」、第5章「浮遊する「忙中閑」」、第6章「「姥捨て山」脱獄期」、第7章「ふたたび、彷徨の旅路へ」で構成されている第1部のそこかしこから感得できるはずである。

 

本書は新聞記者として関わった事件や人物から説き起こしたり、手にした書籍、新聞記事、さらにはある事象を拠り所としながら著者の感慨が書き記されている。

 

その意味では、豊富な人生経験に照らし、加えて新聞記者の目を縦横に駆使した〝2018年から2022年までの日本社会論〟と見ることも可能だろう。

 

本書の第2部は、第1部とは大きく異なり、市議会議員を2期務め、妻の介護のために3期目の立候補を断念、一期を置いて再度、82歳で市議会議員選挙に打って出た著者の思いと奮戦記録である。なぜ82歳の高齢で立候補を決断したのか。その解答は著者の選挙公報に明確に記されている。

 

「さらば、おまかせ民主主義 叛逆老人は死なず」

 

「老醜、さらすべからず」…この戒めを肝に銘じてきたのは他ならぬ当の本人でした。ところが、そんな〝敵前逃亡〟を許さないような時代状況に遭遇してしまいました。今年1月の市長選挙での不気味なほどの市民の無関心とコロナ禍の中で勃発したウクライナ戦争がこれに拍車をかけました。親友のノンフィクション作家、鎌田慧さんは著書『叛逆老人は死なず』の中で、こう語っています。「戦争に傾斜するグロテスクな時代を招くに至ったのは、われわれ老人が、平和の恩恵のなかに安閑と暮らしてきたからだ」。老い先短いこの老醜の身はいま一度、終末觀が漂うこの時代に立ち止まり、〝退場〟をもう少し先延ばしする決断をしました。人生最後の雄叫びを挙げるために…」

 

与えられた一票を投じない有権者が多く、あなた任せの姿勢が結果として一部の人びとの利権に結びついていく行政、そして、「理非曲直をわきまえない言い分が世の中を闊歩している。世も末の感がある」という危機意識が著者を市議会議員へ立候補させたというのである。さらに今のような時代を招いたのは年寄りたちの責任だという自覚は、老いたとはいえ、この日本という国を依然として背負っているという著者の自覚にほかならず、まさにあなた任せではない、みずからの立ち位置を明確にしていると言えるだろう。

 

格差社会のひずみのなかですっかり意気消沈し、より生きやすい社会を創出する気力を喪失させてしまっているかのような働き盛りの人びともいる日本で、著者のように〝退場〟せず、〝雄叫びを上げる〟高齢者がいることは、この国もまだまだ捨てたものではなく、若い者たちもこうした高齢者に続くべきことを教えている。曖昧な形しか見えない社会ではなく、筋道が通り、公明正大で、理非曲直がしっかりした社会作りを諦めてはならないことを著者は強く私たちに訴えているのだ。

 

それにしても選挙結果が落選だったとは。ひょっとすると著者の底知れないパワーに怖れを抱いたのかもしれない。なんとも残念でならない。私ならまちがいなく一票を投じていただろう。

 

(やぐち・えいすけ)

 

 

 

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