矢口英佑のナナメ読み #086 『いのちのかたち』

No.86『いのちのかたち』

 

矢口英佑

 

本書『いのちのかたち』は写真家・江成常夫の作品集である。テーマは「いのち」ある物の生と死、そして新たな生の誕生への予兆だろうか。

 

この写真集の一つの特色は、被写体が基本的には写真家の自宅の庭にある(いる)植物、野菜、昆虫などであることだろう。日常的にはあまりにも身近過ぎて、見ていながらじっくり見入ることなどしようとしないか、目を向けず素通りしてしまって見落とされてしまいそうなモノを被写体としているのである。

 

そして二つ目の特色は、それらの被写体は旺盛なる生の華やかさだけが写し取られるだけでなく、どれもが生気が萎み、避けられない終末に向かって確実に衰え、やがては朽ち果てていく姿までがあまりにもリアルに捉えられていることだろう。

 

それは見る者に生あるものの晴れやかさと、命を閉じなければならない非情さが如実として迫って来る。生あるものが背負った宿命から逃れられないことをこれらの小さな生き物たちが人間に教えているのである。

 

われわれはこれらの被写体を日頃から目にしているはずだが、次第に朽ち果てていくまでの姿をこれほど仔細に見ることはないのではあるまいか。旺盛な生を発散させている姿は見ながら、萎んだり枯れてしまったりした花や、痛み始めた野菜などには目もくれず、打ち捨てることを当然として生活している。それだけに生気を失い、形を失っていくそれらの姿に名状しがたい儚さ、哀れさが見る者を驚かせ、いつの間にかそれらの被写体に引きずり込まれていくにちがいない。なぜなのか。そこには喚起された儚さ、哀れさがいつしかわが身の終末と重ね合わせて見ていることに気づかされるからにほかならない。

 

まさに写真家が言うように

 

「朽ちていく野菜や果物を見詰めていると、人間の死骸が腐敗し、白骨化して土に還るまでの九段階を図で示し、浄土の様相を思い起こす「九相」を連想する」(本書「まえがき」)

 

からだろう。

 

では写真家はなぜこのような被写体を選び、朽ち果てていくまでの姿を追いつづけたのか。写真家はさらに次のように記している。

 

「死を自己のものとして受け止めたのは、還暦の四年後、腋の下のできた腫れ物が悪性腫瘍と判り、ステージ4を告げられてからだ。

手術は成功したが術後の抗癌剤投与と放射線治療で、三年余りにわたり鬱病に悩まされた。この間はっきりとした意図もなく、死相を帯びた病身に重ね庭先の草花、身の回りの小さな風景を、おもむくままに写真に収めた」

 

死がそこまで襲いかかってきており、死と否応なしに向かい合わなければならなくなり、

 

おそらく絶望の淵に追い込まれたにちがいない。そして数年間に及ぶまさに「死相を帯びた病身」が自宅の庭に咲く花々や身の回りの小さな生きるモノに写真家の目を向けさせていった。それは健気に、必死に生きているモノへの愛おしさではなかっただろうか。

 

しかも最後の姿まで写真に収めたのはみずからの病身の行き着くところと重ね合わせ、愛おしいモノの最後までを見届けてやろうとする思いがあったであろうことも想像に難くない。

 

おそらくその時点ではこれらの写真を刊行するあてなどなかったはずである。だが、癌との戦いに勝利した後、2006年に『生と死の時』と題した写真集として平凡社から刊行されたのだった。

 

したがって本書はその続刊として位置づけられる写真集である。

 

写真家が「日常の命ある小さな風景」になぜ「レンズを向けた」のか。

 

1936年生まれの写真家は戦場に駆り出されることはなかったものの、「狂気の戦争」によって、アジア諸国・地域で多くの無辜の人びとに「死と涙を強い」たのであった。無論、相戦わなければならなかった兵士たちにも、そして日本国内にも「戦争の狂気」は襲いかかった。

 

こうした体験が写真家に日本の戦争を指弾し、強い贖罪感から死者の鎮魂と慰霊を込めて、写真に写し取ることをおのれの生涯をかけて果たすべきこととしたからにほかならなかった。そこに上述したようにみずからの肉体に癌が襲いかかってきたことにより、身近に健気に生きている命あるものに目が向けられ、「戦争のリアルを見詰めてきた同じ眼差しで」写真を撮り始めたのだった。

 

写真家は言う。「真の表現は無心の心の中からこそ生まれる」と。

 

本写真集に収められたすべての作品が静謐さとあまりにも透き通った透明感に満ちているのは、この写真家の言葉を見事に証明している。そして新たな命の再生への確信がその向こうにはある。

 

 

(やぐち・えいすけ)

 

 

 

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