矢口英祐のナナメ読み #092 『戦前モダニズム出版社探検』

No.92『戦前モダニズム出版社探検』

 矢口英佑

 

「モダニズム文学」とは1920〜1930代に勢いを増した文学潮流の一つで、文学の世界で聞く言葉だが、「モダニズム出版社」とはあまり聞かない。だが、著者が「大正末期から昭和初期にかけて、第一次大戦後の西欧の新しい文学・芸術思潮(未来派、立体派、表現派、ダダ、シュルレアリズム、新心理主義など)の影響をいち早く受け、日本の文学者や詩人がモダニズム文学(及び詩)の創作を始めた折、彼らの出版活動を陰で支え、積極的に協力した出版社」(本書「プロローグ」より)としており、なるほどと納得した次第。

 

創元社の元編集者、その後はフリーとして編集業に携わって来たからだと思われるが、著者の出版社や編集者たち、そして書き手への関心は現在までも衰えを知らないようである。

 

自分の足で古書店を巡ったり、古書店からの古書目録に頼ったり、さらには公共図書館へ資料を請求したりと、これが著者の主な古書探索手法である。決して豊かな資金力によって古書を収集してきているわけではない。本書の中でも高値のついた古書や雑誌を喉から手が出るほどに欲しているにもかかわらず、諦めざるをえなかったといった類の記述は一度や二度ではない。

 

このように盤石な材料が手元にあるわけではないのだが、みずからの足と時間をかけて手にした書物や雑誌を材料にして、まるで腕の優れた料理人のように、著者が手にした食材(古書・雑誌や資料)をみごとに駆使して、今まで味わったことのない料理を本書に並べて、堪能させてくれていると言えるだろう。こうした手法によって著者はすでに古書や出版社、書き手に関するエッセイを数多く世に出して来ている。

それだけに古書に関しての知識は生半可ではない。著者の古書店巡りのスタイルは、これという一冊の本や雑誌を求めて書店に行くのではなく、たまたま出会うかもしれない一冊への期待を込めて古書店に足を運ぶのである。本との偶然の出会いが生まれるかもしれない書店巡りの醍醐味であり、本来あるべきスタイルと言えるだろう。その積み重ねから得た種々の書籍、雑誌、出版社、編集者、作家、詩人、文芸評論家、さらには表紙、カバー・挿絵などの画家・装丁家に関する知見は実に幅広い。

しかもハンターが狙った獲物を執拗に追尾して仕留めるかのように、あるいは何が姿を現すのかわからないまま、果敢に「探検」を重ねる探検家のように「鬱蒼とした出版史の密林」(本書「プロローグ」より)に分け入っていくのである。

 

本書では金星堂、厚生閣書店、椎の木社の三社がモダニズム出版社として取り上げられている。しかし、著者も「こうした雑多な内容ではあるが、たまたまモダニズム出版社が三社、勢揃いしたので、この言葉をタイトルに使わせていただいた」というように、取り上げられているのはこの三社だけではない。著者がかつて勤めていた創元社、種村季弘が編集者として勤めていた光文社、瀧澤龍彦がやはり編集者として働いていた新太陽社などにも触れられている。だが、著者の関心に沿っての古書探検の成果は、上述の人物たちだけでなく、目次から名前を拾い出しただけでも、森泉笙子、松村泰太郎、矢部文治、白鳥省吾、福岡益雄、吉田一穂、亀山巌、川端康成、町野静雄、紅野敏郎、小野幸吉、福岡真寸夫、吉田謙吉、曽根博義、春山行夫、吉田宗治、田居尚など多彩である。

 

たとえばモダニズム文学と言えば、伊藤整の名前を挙げる人が多いが、この伊藤整が金星堂の編集部にいた頃について、作家となってからの回想文が紹介されている。しかし面白いもので、改めて本書によって内部事情を知っている者の言葉として彼の回想が提示されると、外からは窺い知れない事柄だけに非常に興味深いものとなっている。たとえば伊藤の『生物祭』は金星堂主人の福岡益雄から勧められて「上質紙で菊判函入り500部」作ったようである。函入りの本など現在ではあまりにも贅沢な作りで驚かされるし、部数が500部とは少な過ぎると、これまた驚かされる。そして、こうした部数から推測されるのは、モダニズム文学を積極的に刊行していた金星堂だが、それらの作品が爆発的に売れていたわけではなかったらしいことである。伊藤が編集者として手掛けた創作集などもわずかな部数、しかも印税無しといった状況で、多分に出版社の心意気によるところが大きかったのかもしれない。著者も「伊藤の前衛的な小説は一般読者にはまだ難解で売れなかったのもうなづける」と記している。

また「鬱蒼とした出版史の密林」に分け入ったからこそ知り得た書籍とその書き手について「二 森泉笙子『新宿の夜はキャラ色』を読む——「バー・カヌー」の六年間を垣間見る」が置かれている。

これはまさに「密林」での探検なしには得られなかった成果にちがいない。著者の手元にこの本がなく、「バー・カヌー」についてもほとんど知らなかった頃に著者はこう書いていた。「そこに(この本のカバーの書影を指す——書評者注)バー「カヌー」に集まった作家や映画人五十人の錚々たる名前——田村隆一、色川武大から三島由紀夫、武田泰淳まで——が列挙されている。もちろん種村氏の名前もあがっている。埴谷雄高が跋文を寄せている由(中略)本書で種村氏がどのように描かれているのか、大へん興味がある。彼女の以上の二冊とも(もう一冊は関根庸子名での『私は宿命に唾をかけたい』——書評者注)、古本で手に入れて読んでみたいが——特に森泉名のドキュメントは面白そうだ——昨今、積ん読本がどんどん増えている現状なので、今しばらく入手を控えておくことにしよう」。

著者は種村季弘を追尾している過程で、たまたま上述の本に遭遇したようで、若き美人のママを前にして酒を飲みながら「錚々たる五十人」がどのように振る舞い、それをママがどのように見ていたのか。「本書は読者がもし古本屋で見つけたら、即買わないと絶対に損をする、格別に面白い本であることを、保証します」と著者が強く薦めている。

本書は著者の古本探検記を読ませるだけでなく、読者にも探検家の一員になるよう勧誘する目的も潜ませていたのかもしれないなどと思ってしまう。

 

本書の記述上の特色として、蒐集した書籍や雑誌、創作家たちについて書きながら、その過程で派生した事象に触れて、横道に入ることが少なくない。穏当を欠く表現になるかもしれないが、〝芋づる式〟と言えばわかりやすいかもしれない。

 

読み手からすると、連結していく妙味と新たな予想外の知識の獲得という二つの楽しさが与えられていくのである。だが、ひょっとすると著者は読み手のこうした楽しみ方には気づいていないかもしれない。

 

(やぐち・えいすけ)

 

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